CXIII 大男チャールズ・ブランドン
パーティーだっていうのに黒服のままの男爵が先導して、饗宴の間まで歩いていく。ディナーテーブルに着く前に、隣のドローイングルームで食前酒を振舞われることになっていた。
ドローイングルームは大理石の彫刻や花壇の置いてある天井の高い部屋で、テーブルに軽食と食前酒が並んでいる。壁沿いに松明が並んでいて明るいけど、天井の方は真っ暗で、斜め下から照らされる不思議な感じになる。
「ようこそ、リディントン。よく来てくれた。シェリーで良いか。」
相変わらず眩しい笑顔で笑う王子。初対面の時のちょっとした違和感がなくなって、なかなか破壊力がある。
コンプトン君が髪をセットしたのかいつものライオン感はないけど、パーティーにはこれでいいと思う。昼は赤味がかった金髪だったけど、夜は光沢のある赤髪って感じも見える。やっぱり顔そりは大事ね。この微妙な照明具合でも肌のノリの良さが伝わってくる。
「お招きいただきありがとうございます、殿下。」
「かしこまらずとも良い。」
王子は笑みを絶やさずにいる。昼から服を変えたみたい。金の飾りが肩ついた黒い服に赤いタスキみたいなものを掛けていて、体格もあって威圧感のある格好をしている。タイツは昼よりも緩いやつで、見た目のセクハラ度合いが下がっていて嬉しい。
「ハル王子、話がある。なっ、リディントン!」
王子の肩に手を置いたブランドンが、私が目に入るやいなや怪物でも見るような目で戰慄した。ウェーブのかかった不思議な色の髪が揺れて、真っ青な目が混乱している。王子の帰還パーティー兼私の新任パーティーなんだから、私がいて当然でしょうに。
「くっ、それよりハル王子、このダビデ像の彫刻だが、早急にヴィーナス像に変えるようお願いしたい。」
いきなり何を言い出すのかしら。
ダヴィデだったんだ、この彫刻。前世のダヴィデ像のイメージよりも少年っぽい、あどけない感じ。全裸なのは変わらないけど、石像って大抵そうだからあんまり気にならない。
「いきなりどうしたのだ、チャールズ。」
王子もさすがに戸惑っている。
「ハル王子、ダヴィデって確か、なんか強くて大っきいやつをやっつけるんだろう?」
「ゴリアテです。」
今まで私の横で静かにしていたモーリス君が、ブランドンの教養のなさを軽蔑しきった様子で冷たく言い放つ。
「そうだゴリアテだ。そいつを槍を投げて倒すんだ。違ったか。」
「石です。」
能面の表情をしたモーリス君。語尾で「この馬鹿が」と言いたいのを飲み込んでいる感じだけど、大丈夫、みんなにニュアンスは伝わっているよ。
せっかくのビジュアルをここまで無駄にするなんて、ブランドンは罪深いと思う。
「まあ石でもなんでもいい。ハル王子、美少年がハル王子のような大男を倒す、これは不吉だと思わないか。」
なんだかよく分からないけど、昼のリアルテニスをまだ根に持っているのかしら。
「チャールズ、これはアレゴリーだ。どんな大きな脅威を前にしても前を向いて勇敢に立ち向かっていく、その精神を表すものであって、私が大柄なのは関係ない。私の母方の祖母にあたる亡きエリザベス王太后が、私が真っ直ぐに育つようにと遺言で残してくれたものだ。そう簡単に代替できるものではない。」
王子はブランドンを諭すようにいうけど、ブランドンは多分半分くらいしか意味をわかっていないと思う。頷いているけど、青い目が混乱している。
「ハル王子、よくわかった。しかしこのダヴィデ像、リディントンに似ていると思わないか。」
全然わかってないじゃない。そして似ていません!いきなり名前が出てきてびっくりする。
「そうだろうか。リディントンは水浴びにこなかったので、いまひとつぴんとこないが。」
王子どこ見てるのよ!?
「ハル王子、リディントンに似た美少年が、王子を彷彿とさせる大男を槍でやっつける。なんだか不吉だと思わないか。」
「石です。」
モーリス君が突っ込むのと同時に、王子は大きく笑った。
「ははっ、リディントンが私と槍試合で勝つとは傑作だな。大丈夫だチャールズ、リディントンの槍には刺されないように気を付ける。」
「武器以外のものでさされるかもしれないだろうっ!」
ブランドンは支離滅裂になっていて何が言いたいのか分からないけど、とりあえず王子周辺はこうやって無駄なお喋りを繰り広げているのね。
男だらけのパーティートークを心配していたけど、なんだか損した気分。
「そこでだハル王子、このリディントン像を美しいヴィーナスに変えるのだ。」
いつからリディントン像になったのよ。
モーリス君が一歩前に出た。緑の綺麗な目はブランドンへの軽蔑に満ちている。
「なりません、ヴィーナスは貞操を守らずに不倫を続けた神、宮殿に相応しくありません。」
風紀委員会モードを発動するモーリス君。
「ヴィーナスは美と豊穣の神だろう、王家の繁栄と永続を願って置くには最適じゃないか。」
繁栄と永続、なんて堅い表現を知っているのね、ブランドン。
「いやチャールズ、モーリスのいう通りだ。純潔は不必要な争いを避けるためにも重要な要素だ。ただただ子孫が増えればいいというわけではない。」
王子の勢いのない声が響く。さっきまで満面の笑顔だった王子の顔が少し青い気がする、照明がオレンジ系だから分かりづらいのだけど。
こういうトピック自体も苦手なのかな。
「ハル王子、事情が事情だからこの場合は仕方がないし、この話をこれ以上続ける気もない。婚外子は確かに王家に波乱をもたらしかねないからな。しかしハル王子の歳ごろになった上流階級の子弟は高級娼婦に筆下ろしをしてもらうものだ。そのかわりと言ってはなんだが・・・」
上流階級じゃないブランドンが変なことを言い始めた。本物の女の前にヴィーナスで目を慣らしていくという作戦なのかしら。
それにしても上流階級ってそういうものなの?思わずモーリス君を見ると私を見つめて首をブンブン振っている。
「違います!聖女さま!そんなことありませんっ!」
「わかったから聖女って言わないで!」
私たちのやりとりに気がつかなかった様子の王子は、相変わらず元気がなさそうにしている。
「兄上の場合もそんなことはなかったはずだ。」
「そうだ、素人二人だからうまくやれなかったんだ、ハル王子!」
なんだか生々しい話になった。初夜以降お渡りがないって聞いているけど、ブランドンとしてはうまくいかなかったという認識なのね。これが大方の判断なのかブランドンの私見かは分からないけど。
「黙りなさいブランドン!」
照明でごまかせないくらい青くなった王子に代わって、モーリス君がブランドンの近くまでツカツカと詰め寄った。
「アーサー様の名誉を根拠のない噂で貶めるとは許せません。セントジョン一門の名にかけてあなたを追放して見せましょう。」
考えてみれば初めて会った時も、モーリス君はアーサー王太子の侍従って名乗っていた。私がアーサー王太子をマッサージできるよう働きかけているみたいだし、王太子への忠誠心は高いんだと思う。
「やるのかセントジョン。喧嘩なら受けてたつ。だがその女のような華奢な体で何ができるのか。お前の親戚の力を借りようにも、私にはハル王子の全幅の信頼がある。」
王子の前で言い切るなんてよほどの自信ね。元気のない王子は反応をしないけど、体格的に喧嘩になったら始まる前から勝負はついている。
「さあどうした、ん?」
モーリス君の襟ぐりを掴んで持ち上げるブランドン。
「くっ」
苦しそうだけどブランドンを睨むのをやめないモーリス君。
「二人ともやめなさい!」
ブランドンは見下した目で私を見て、わざとらしくモーリス君を揺らして見せた。
「リディントン、服を着ていればお前など怖くはない。」
まさかブランドンは私がルイーズ・レミントンだって気付いているのかしら。
「二人揃って相手してやる。お前などセントジョンを持ち上げながらでも倒すことができるからな。」
鼻で笑うブランドン。
「くはっ。」
モーリス君が苦しそうになってきた。ブランドンはモーリス君を右手で持ち上げたから、右側の足に体重がかかっている。今なら。
近づいてブランドンの左膝裏の筋肉をコンと押す。
「うおっ」
バランスを崩したブランドンが後ろに倒れた。頭が簡易テーブルにぶつかる。
どしゃんと音がして、テーブルに乗っていたさくらんぼの砂糖漬けがブランドンの体に散らばる。
「うう・・・」
ノックアウトされたようにガクっと倒れたままのブランドン。
「ああっ、さくらんぼが、ごめんなさい殿下。せっかく季節外れのさくらんぼを用意していただいたのに。」
もったいないわ。目に入ったときから楽しみにしていたのに。
王子は唖然としていて反応しない。ほんとにごめんなさい、さくらんぼ好きだったのかしら。
散らかったさくらんぼを前におろおろしていると、後ろから男爵に掴まれた。耳元でささやかれる。
「こんな大勢の前で魔法を使うなんて、どういうつもりだい、ルイス?」
表情は見えないけど多分笑っていない男爵。魔法って何?膝カックンのこと?
「魔法じゃないわ。みんなに説明するから待って。とりあえず後ろからレディを抱きしめないで、びっくりするでしょう。」
急だったからちょっとドキッとした。
男爵に離してもらって周りを見渡すと、いつの間にかトマスとコンプトン先輩もいたのに気づいた。二人とも呆気にとられたような顔をしている。
「いいですか殿下、男爵、モーリス君、フランシス君、トマス、コンプトン先輩。人間は常に片足に体重を掛けているの。例えば体重が右足にかかっている場合、右足の膝関節を伸ばして立っているんです。この場合、左足の膝関節の筋肉はゆるんで、言ってしまえば楽をしているということです。この膝に後から衝撃を加えると、筋肉はゆるんでいるのですぐに対処できず、結果的に足が崩れるんです。」
我ながら簡潔な説明をしたと思うんだけど、みんなぽかんとしている。
「リディントン、なぜ触っただけでチャールズのような大男の筋肉を動かせるんだ。」
王子は驚きに満ちた目をしているけど、気のせいかさっきよりも元気な気がする。少なくとも親友が床に倒れたままにしては。
それにしても、説明したでしょう?王子のいつもの例え話よりもシンプルかつ端的に。
「医学書を毎日読んでいますから。外科だけで、内科のことはあまり分かりませんけど。」
そういうことにしておく。現世の薬はひどいものが多いから、健康全般を担当してもいいのだけど。
「聖女様・・・・ありがとうございます・・・聖女さまあ・・・」
周りに聞こえない小声だけど、感動した様子のモーリス君が私を信仰し始めていて困る。
「ルイス、王子が医学書を読みたいと言い始めたらどうするつもりなんだい。魔法だとバレてしまうよ。」
小声で囁く男爵の心配はもっともだけど、今はそれどころじゃなかったでしょう。
「うぐ・・・ん・・・」
頭を打っていたブランドンだけど、特に大きなダメージはなかったみたい。コンプトン先輩とトマスが起こしに行く。
「すごい人が入ったね、殿下。」
後ろから聴き慣れない声がして、私は振り返った。




