CXII 縁戚エリザベス・グレイ
王子の部屋から戻ったのはいいものの、晩餐までほとんど時間は残っていなかった。肘掛け椅子で一息ついている男爵とフランシス君を尻目に、私は必死で衣装棚をいじっていた。
「どうしましょう、ディナー用のジャケットを持っていないわ。」
イブニング・ドレスなら持っているけど、男性のパーティー衣装は着たこともないから構造も分からない。着替えを手伝うスザンナもいないし。
「ルイス、女性じゃないのだから、そのグリーンの服で問題ないよ。よく似合っているしね。」
ニヤニヤしている男爵の見立てではモーリス君の服でも問題ないみたい。私も色合いが気に入っている青緑のオーバーは構造的には上着に近くて、あんまり食事の席にお誂え向きでなないけど。
「それならいいわ。それより男爵、スザンナに王子を襲わせるなんて、王子が正気だったら一同火あぶりにあうところだったじゃない。」
王子の部屋で色々起きすぎて大変だったけど、とりあえず身の安全に関わりそうなところは文句を言っておかないと。
「現に正気じゃないと確認してあったし、こうしてみな無事だったよね、ルイス。王子があれほど無防備なことはそうないからね。平和のためにも、チャンスは危険を冒してもものにしなければ。」
王子、色々な意味で日頃から無防備だと思うけど?
でも王子の部屋で疲れ切った私は、反省の兆しが見えない薄笑いの男爵に集中砲火するだけの気力が残っていなかった。
「なんのチャンスなんだか。それはそうと男爵、スザンナは置いてきたの?」
「ああ、毛皮のクローゼットの奥には隠し扉があってね、あの部屋から脱出できるようになっているんだ。」
多分設計に関わっている男爵は誇らしげ。スザンナの無事よりも、心から王子のセキュリティが心配になる。第二王子だと狙う人も少ないのかもしれないけど、王子がいなくなれば王位に近づく人は複数いるのに。
ドアがノックされる。
「聖女さま、セントジョンです。お迎えにあがりました。」
モーリス君のちょっとハスキーな声が聞こえてきた。さっきまで謎の顔そり勝負が繰り広げられていたのに、もう晩餐の時間なのね。
「どうぞ。」
ドアが開いて、ベージュの髪を優雅に垂らした美少年が現れる。ノリス君もコンプトン先輩も雰囲気は特に美少年ではあったけど、顔立ちに関してはやっぱりモーリス君が1ランク上になる。朝と同じブルーグレーの服装はあんまりパッしないけど、袖と襟が臙脂色なのがアクセントになっていて、前世のホテルのボーイみたいなスッキリした格好にも見える。
モーリス君は青白い肌をほんのり赤く染めて私から顔を背けた。
「聖女さま、僕の服を着ていただいているのを見ると、やっぱり気恥ずかしいです。あと、そんなまじまじと見つめられると困ります。」
相変わらず乙女なモーリス君。
「気にしないで、改めてありがとうモーリス君。このまま晩餐に出席することになったけど、何もこぼさないように気をつけるわね。そうだ、さっき東の庭で泣いているレディがいたから、肩を貸してあげたの。ちょっと濡れちゃったかもしれないんだけど・・・」
モーリス君が答える前に、まだ薄笑いの男爵が首を傾げながら介入した。
「ルイス、お目見えやリアルテニスのときは仕方がなかったが、あまり不用意に部外者の人の目に触れないようにして欲しいな。ルイザとしてデビューしたときに困るだろう。」
「そうね、でも女子禁制の東の庭だったから、あの場面では男性の格好が自然だったと思うわ。」
食堂でも割と馴染んでいると思うし、今更ルイザとしてデビューする意味があるのか分からなくなってきたけど、今後も女の子の格好はするだろうからルイスと交友関係を分けておかないといけない。
宮殿の侍女はそこそこ生まれの良い人ばかりだし、お茶会に呼ばれたりしないかしら。女子会も憧れる。
「東区画に女性がいたのか。動機が気になるが、名前はわかるのかい、ルイス?」
「名前はレディ・エリザベス・グレイ。仲良くなったのよ。動機は心配いらないわ。女同士の秘密だから、男爵に教えるわけにはいかないけど。」
今から考えれば、東区画に立ち入ったからって悪名だかいヘンリー王子の従者集団が現れる保証はなかったのだけど、結果的に私が現れたことでエリーの目的は達せられたと思う。
本当にブランドンじゃなくて私が見つけてよかった。
男爵は渋い顔をしているけど、モーリス君は思案するような顔で首を傾げた。
「レディ・エリザベス・グレイ、伯母の義理の妹に当たりますね。あそこは兄弟姉妹が十人以上いますから、何人が宮廷に上がっているか僕も把握していませんが。先ほども僕は伯父と客人をもてなしていたのですが、レディ・エリザベスの話が上がったような気もします。東区画に足を踏み入れるような勇ましい性格ではなかったと思いますが。」
大方の名門貴族とはつながっていそうなモーリス君。それにしても、十人以上いたら持参金とか大変そう。
そしてモーリス君、恋する女は強いのよ。
「モーリス君の親戚だったのね。じゃあエリーや周りの人に何か聞かれたらルイス・リディントンをちゃんと宣伝してね。」
「聖女さまのお望みとあれば、なんなりと。」
身分の高いモーリス君がコネに恵まれている一方で、あのブランドンは王子以外に友達がいなさそうだからありがたい。トマスは新人だし、男爵もネットワークはあるみたいだけど何を言うか信用できないから、広報はモーリス君にお願いしようと思う。ちょっとポジティブすぎないか心配だけど。
「そういえば、アンソニーは大丈夫だったのかしら。モーリス君は何か聞いている?」
「ええ、先ほどエレズビー男爵、ウィロビー男爵、そしてノイル卿にお会いしましたが、アンソニーについて特に取り乱した様子はありませんでした。三人ともアンソニーを可愛がっていましたので、異変を察知したならばあのように静かではいられないはずです。何事もなく挨拶を済ませたのだと思います。」
アンソニーのお兄様たちかな。予想通り甘やかしていたようだけど、肩書きがないのはアンソニーだけみたい。あの子に領地を継がせないという選択は正しいけど、お兄様たちと絶えず比べられているなら少し可哀想でもある。
「なら、万事問題なさそうね。」
「ウィロビーは昨日強い魔法を受けたばかりだったからね、心配はいらないだろう。それよりもう時間だよ、ルイス。饗宴の間に向かわないと。」
男爵は少し時間を気にしているようだった。そういえば王子との挨拶の時もこんな感じだった。と言っても相手はリアルテニスをしたいがために陛下との挨拶を明日に延期した王子だし、あんまり急ぐ気にもなれない。
饗宴の間というと、どうやら歓迎パーティーのために宮殿でも豪華なホールを押さえてあるらしい。王子の帰還パーティーでもあるわけだから、私のためというわけでないだろうけど。
「じゃあ行きましょう、モーリス君、男爵。ブランドンと対峙するときは当てにしているわね。もちろんフランシス君もよ。忘れてないから安心して。」
ドアを開けると、入れ替わるようにしてスザンナがくるくる回りながら部屋に入ってきた。なんて格好をしているのかしら。
「男爵さま、あたい生まれてきてよかった!この右手はしばらく洗わないよ!」
貝殻を見つけて喜ぶ少女みたいにルンルンしているスザンナ。残念なことに貝殻よりずっと不純なものを見つけたようだけど。
「スザンナ、何か羽織りなさい!モーリス君が仰天しちゃうでしょう!」
「聖女さま・・・」
スザンナの胸に惑わされないモーリス君も、一回襲われかけているからか少し怯えたようにしている。
「お疲れ様だね、スザンナ。今回で上半身のコツは掴めただろうから、次は・・・」
「男爵、口を謹みなさい!モーリス君が卒倒しちゃうでしょう!」
このコンビは今後も手を焼かされそうね。
「聖女さま、僕のいない間に一体何が・・・」
「モーリス君、知らない方が幸せなこともあるのよ。さあいきましょう。」
スザンナを留守番に置いて、私たちはディナー会場に向かうことにした。