CX 外交官ドーセット侯爵
私が外の空気を吸いたいと言うと、ドーセットの若僧はついてくると言って譲らなかった。年季の入った外交官ならもっとさりげなく同行するか、予め「話し相手」を用意しておくものだが。
内戦で名門貴族の多くが断絶や取りつぶしにあったこの国で、外交の妙味を知る人間はほとんど残っていないと言えるだろう。
「ドーセット侯爵、マーガレット様の御輿入れ以降、我々は同盟国と言っても過言ではありますまい。さすれば、このように監視下に置かれるようなこと、不本意でございますな。やはり長年の敵国として信頼が置けないのかもしれませんがな。」
ドーセットの様子を見る。表情からは特に私の嫌味に気分を害したようには見えない。外交官として最低限の作法はあると見える。
「監視などとんでもない。せっかくの散歩を楽しいものにしていただきたいと、同行を願い出たまでです。北の国とは末長く平和な関係を保っていこうと、国王陛下も願っておいでです。」
商人のように笑みを浮かべる若者。同盟云々についてもはぐらかしてきた。頭はそこそこ回るようだ。
「キンカーディン大使、リッチモンドの庭園は広い分整備も大変でしてね。こうして客人を招かなければ庭師の苦労も報われないと言うものです。せっかくですから、庭をご案内して参りましょう。」
「それはありがたい。」
さて、どうするか。あまり「話が弾んで」もこの後に差し支える。
噴水が設置された庭の花園へ、侯爵の先導で歩いていく。侯爵の従者が数歩後ろについてきている。
振り返って二階の窓を見る。
所定の位置に赤い布が垂れ下がっていた。
ついにか。ついにこの時がきたか。
さて、あとはどうやってこの若造と従者を引き離すかだ。
「さすがに広いですな。バルモラルのものの数倍はあろうか。」
ドーセットはにこやかに答える。
「リッチモンドの宮殿はお国のお城と違って、篭城を主眼に設計されていませんからね。バルモラルも素敵なお城とお聞きしますが、ゆっくり花を鑑賞するにはこのような宮殿がぴったり、というものです。妻のエレノアもこの区画はお気に入りでしてね。」
足を止める。
「それは北の国が物騒と言う意味かな、ドーセット侯爵。だとしたら外交儀礼に反するのではなかろうか。」
言いがかりも甚だしいが、致し方あるまい。この国の人間は北の国の民を「ひがみっぽい」と評しているようだから、存分に利用させてもらおう。
「これは失礼いたしました。ですが、私はいつも尊敬申し上げているのですよ、北の国の尚武の文化を。この国は内戦で荒れましたから、内戦後に戦いを連想させるような城を築けなかったという、ただそれだけの話です。それぞれの良さがあると言うもので、決して優劣を語るわけではありません。」
こういう柔らかい物腰の人間がいるのは厄介だ。これくらいの大領主にしては珍しく大学も出ていると聞く。
ひがみ倒してみるか。
「尚武、質素堅実といつもお褒めくださるが、要は貧しいと言いたいのでしょう。我々が倹約を是とし武を尊ぶ文化に落ち着いたのは、あなたがたが再三侵攻と略奪を重ねたからだと言うのに。」
「滅相もない。この国に比べて人口も税収も少ない中、互角に戦った北の国の戦士たちに、私は最大限の敬意を払っております。」
ドーセットは真剣な目をしている。言っていることの二割ほどは真実が含まれているのかもしれない。
「あなたがたはいつもそう言いますな。決して優劣を論じてはいない、北の国には北の国なりの良さがあると。しかしその憐憫にも似た儀礼的な褒め言葉が、私たちのプライドをどれだけ傷つけることか。」
大袈裟に目を瞑って見せる。ドーセットは表情を変えない。
「どうぞ気分を害されないでください。みな自分の故郷が一番だと思うものです。こうした外交の場では、礼節を第一に振る舞うようにしておりますゆえ。」
この年齢でこの落ち着きは大したものだ。
「ご言い分はわかりました、ドーセット殿。しかしこの職について20年経っても、なかなか自分の中のナイーブな部分が消えないもので。私はあなたやあなたの従者とご一緒のままでは安らげそうにもありませんな。呆れられるかもしれないが、しばし一人にしていただけないだろうか。ちょうど厠に行こうと思っていたので、ここで解散しても問題ありますまい。」
「大変残念です。ここから厠までは距離がございますので、宮殿の者にご案内させましょう。」
しつこい若造だ。くっくっとした笑いを作る。
「やれ、北では厠に一人で行くことを是としましてな。用を足すのに主人が同伴する変わったような、変わった慣習などないのですよ。よろしければそれを認めるくらいの誠意は見せて欲しいものですな。こちらに赴任して一年、場所くらいは存じている。」
ドーセットの顔が少し曇った。表情が変わったのははじめてだ。
「わかりました、ですが大使、不躾ながら忠告しておきます。我々が大使をお守りしているのは、この国のためを思わない連中があなたに近づき、北の国を巻き込むことを企んでいるからです。先の内戦のように、北の国がとばっちりを受ける可能性もない訳ではありません。」
少し本気を出してきたようだ。
「それは物騒なことだ。そんな話は今のところ聞いておりませんがな。」
ドーセットは具体的な名前は出してこなかった。実名をほのめかせば効果的な脅しになるだけに、内通者は発覚していないとみていいだろうか。泳がせている可能性もあるが。
「大使、国力で見ればこの国の方が数段大きいのです。北の国が武をもってこの国を支配しようとしても、結局は経済力のあるこの国の貴族が北の国を乗っ取ることになりかねません。」
警告か。時すでに遅しというやつだがな。
「それもまた一興かもしれませんな、我々は剣を持ちたくてもった訳でもないのです。天敵がいなくなれば、政治や農業は南に任せて、屈強な戦士たちには最近見つかったという新大陸でも開拓にいかせましょう。絶えず城であなた方に怯えているよりもよっぽど良いではありませんか。では失礼しよう。」
呆気にとられているドーセットと従者を置いて、厠の方角に向かう。
勇足で宮殿の角を曲がると、こちらに歩いてきた侍女と衝突した。よろける侍女を支える。
「おっと、失礼した、お怪我はないかな、お嬢さん。」
「いえ、全て問題ありません、旦那様。」
素晴らしい。
「ついにやったのだな。」
「はい、廊下から聞こえた限りでは間違いなく。完全に最後まで。どうやら王子は、はじめてだったようです。」
初めてか、どうりで今まで足がつかなかった訳だ。しかし初体験をとらえるとは、この少女もなかなかのものだ。
だいぶ後ろに、さっきのドーセットの従者がいる気配がある。
「おや、お嬢さん。ぶつかったときに私のカフスで、あなたの腕にかすり傷をつけてしまったようだ。」
「まあ。」
「よければ医者のところまで案内しよう。」
「お願いしますわ。」
二人で私の部屋の方向に歩き始める。