CIX 美男子ヘンリー王子
蒸したリネンを当てて、王子の顎から額にかけてほぐしていく。王子は間近で見るとちょっと脂っぽいのと、無精髭がやっぱり気になるで、この謎の勝負でどちらも解決するとしたら一石二鳥だと思う。
「ふむ・・・これも・・・なかなか・・・」
あんまり気持ちのいい要素はないと思うけど、王子は気に入ったようだった。
「ぬ・・・やるなリヴァートン。」
先輩は悔しそうに唇を噛んでいる。
男爵、早く私を少年漫画の世界から抜け出させてくださいね。
「目を瞑ってください、殿下。」
どこまで剃るのか知らないけど、とりあえず目元もほぐしていく。目を擦るのは目に悪いから気をつけないとね。
「ん・・・癒されるようだ・・・」
王子はすっかりエステに来たマダムみたいな感じになっている。マダムがこんなに巨体だったらびっくりするけど。
「はい、終わりです。」
王子の反応が意外にも良かったので、早々に切り上げる。
「うむ、良かったが、なんだか物足りないところがあるな。」
首を傾げる王子。さあチャンスですよ先輩。
「それでは後攻、コンプトン先輩のターン、顔剃りです。」
競技者だけど、せっかくだから司会も兼ねてあげる私。コンプトン先輩は石鹸を軽く濡れた手につけると、王子の顔にそっと伸ばし始めた。
「ちょっと、先輩、石鹸を泡立てなくていいのですか。」
現世の石鹸はそもそも泡立ちづらいのだけど、レミントン家では兄さんもお父様も泡だてていた気がする。
そっか、あれは私が石鹸の原料を変更したからだっけ。
「泡立てる?どうするんだ?」
「ちょっと貸してください。」
フィンガーボウルに溜まっているお湯を使って、石鹸を手先で細かく擦り付けると、なんとか泡立ちが出てきた。
「真似してみてください。」
半信半疑な様子だったコンプトン先輩が、石鹸を頑張って泡立てる。私の時ほど泡立たなかったけど、少し泡っぽくなった石鹸水を王子の顔に塗って、慎重に顔そりを当てていく。
「これは・・・いつもと・・・ノリの良さが全然違う・・・」
前世のテレビCMみたいなことを言い出す王子。王子は体格もいいし躊躇せず裸になるし、前世にいたらシャンプーとか剃刀のテレビCMには引っ張りだこだったと思う。
女嫌いだからドラマや舞台には出られないね。
「うむ・・・さすがだ・・・」
「王子様、喋らないで。」
真剣な目で顔を剃る先輩の様子はまさに職人。肌が切れないかハラハラして見ていたけど、先輩の顔そりは流石にスムーズで、見事に王子の無精髭を退治していった。ちゃんと額や頬の生毛も見逃さない。
「終わりました、王子様。」
ボウルの水のリネンを浸して、泡を綺麗に拭き取るコンプトン先輩。
「うむ、いつもより数段心地よかった。」
背もたれから起き上がった王子は、まごうことなきイケメンだった。
もともと張りのいい肌がツヤツヤになっていて、無精髭がなくなって2歳くらい若返った印象。脂っぽさもだいぶマシになって、これは前世のゲームかアクション映画で主人公を担えるイケメン。こうしてみると、彫りは深くないけど勢いの良い顔をしているから、体格の良さとぴったりして、シンプルで颯爽とした感じ。
眩しい。
「素晴らしいです。では、この勝負、コンプトン先輩の勝ちでよろしいですね。」
「そうだな。」
私の目に渋々と言った感じでうなずく王子。
「ルイス、殿下、コンプトン、ちょっとお待ちください。」
平和に終わりそうだったのに、男爵がまた介入してきた。
「コンプトン、今日の顔そりはいつもに比べて何か変えたかな。」
「いや、俺はいつも全力でやっている。」
コンプトン先輩はなんだか言い淀んでいるようだった。
「だとすれば殿下、殿下がコンプトンの顔そりをいつもよりも気持ち良いと感じたのは、コンプトンが本気を出したからではなく、殿下の顔の状態がいつもと違ったからではありませんか。」
「そうなるな。」
男爵、本当に余計なことしか言わないのね。王子に無精髭がなくなっちゃった今、「ミスター宮殿」投票をすれば男爵なんか負けちゃうんだから。
私は影の差した彫りの深い男爵に1票を入れる少数派かもしれないけど。薄笑いをしないという条件付きでね。王子がタイツをやめたらまたちょっと迷うけど。
「それならば、コンプトンの技はルイスの下準備があって初めて気持ちが良かったということになります。この勝負、引き分けが妥当では。」
男爵は王子に奏上しながら、私に向けてニヤリとした。私の意図は分かっていたみたい。
覚えておきなさいよ。
「そうだなウィンスロー、そなたのいう通りだ。この勝負、コンプトンが優勢だったが勝負はつかなかった、としよう。」
パワーアップした王子も勢いよく頷いた。
「くっ・・・覚えてろリヴァートン!今に見返してやるっ!」
「リディントンです!」
私の声は、悔しそうに走り去ってゆくコンプトン先輩の背中に響いた。
ようやく少年漫画が終わったみたい。良かった。
「コンプトンは真面目なのだが、ときに真面目すぎるところがあってな、難しいかもしれないがうまく付き合ってやってほしい。」
先輩を庇う王子。ブランドンはともかく、王子は割と従者に愛情があるみたいなんだよね。その愛情が健全なものであるかはまた別の話だけど。
「わかりました。では殿下、私と男爵もお暇してよろしいでしょうか。」
もう色々ありすぎて疲れちゃった。そういえば毛皮コーナーに潜んでいるはずのスザンナは無事かしら。
「ああ、そうだリディントン、今夜は従者一同を呼んで皆で晩餐にしようと思う。体調を崩したフィッツウィリアムと、急に母親に呼ばれたらしいハリーは来られないが、ゲイジにはまだあっていなかったな。引き合わせるとしよう。チャールズとニーヴェット、ノリスとコンプトン、それにモーリスも呼ぶ予定だ。」
従者集団が一堂に介するみたい。
男爵が一歩前にでた。
「殿下、よろしければ私もご一緒させていただけますか。」
「構わないウィンスロー。いつも世話になっている。急に来られなくなったハリーの分が余るところだったし、ハリーには二人分を用意していたからな。」
殿下、この人は殿下を襲わせようとしている悪人ですよ?気をつけてね。
「ところでウィンスロー、帰ってからウッドワードの姿を見かけないのだが。」
ウッドワード?誰だっけ?
「フランシスはこちらにおります。」
男爵がフランシス・ウッドワード君を指差した。そうだった、ウッドワード姓だったねフランシス君。
え?
「えっ、殿下、フランシス君に気づいてなかったんですか!?」
王子の恥ずかしいシーン全部フランシス君に見られていたと思うけど?
「すまなかったウッドワード。モーリスと留守を守ってくれたこと、感謝している。」
王子はすまなそう。こんな表情でもやっぱり眩しい。
フランシス君は無言でペコっと頭を下げた。一件落着よね?
「それでは・・・お暇申し上げますね、殿下。晩餐でお目もじ叶いますこと、楽しみにしております。」
「ありがとうル・・・リディントン。」
目で王子に圧力をかけたら、ちゃんと苗字呼びにしてもらえた。儀礼に従って、王子の方を向いたまま廊下に出る。
ブランドン、ノリス君、コンプトン先輩・・・残りの人たちがあれくらいのI Qだったらどうしよう。
私は気が重くなって、ドアの向こうの王子に聞こえないように小さなため息をついた。




