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CII 信仰者ヘンリー王子





はじめに言葉ありき。




言葉は神とともにあり。




言葉は・・・神なり。




よろずのもの・・・これによりて・・・成・・・




る・・・




くっ・・・




つっ・・・




ダメだっ、気持ちが良すぎるっ!」




なぜか福音書を暗唱し始めていた王子様は、降参するように目を細めると背筋を震えさせて天を仰いだ。背もたれにどっぷりともたれかかって、映画に感動した観客みたいな顔をしている。


「あまり動かないでください、殿下!」


耳介の外側を特製綿棒でなぞっている私。王子は気持ちよさそうにしているけど、正直やりがいを感じない。マッサージと違って別に耳かきにプライドがあるわけでもないし。そもそも私は素人だし、女性が男性に耳かきするのってなんだか男尊女卑みたいであんまり気が進まない。前世でも彼氏にしてあげるって友達の話は聞いたけど、逆パターンって滅多に聞かなかった気がする。


「済まない、心頭滅却すれば耐えられると思っていたが、快感が想像以上だった。」


少し荒い息を整えようとする王子。もともと褐色の肌はあまり色が変わらないから、スポーツ後と言えばごまかせそうな格好いい表情ではある。さっきから最高にかっこいい見た目と最高にカッコ悪い場面を両立させる王子。


「殿下、今度は仏教徒みたいですね。ではこれくらいにしておきましょうか。」


「なっ!?」


王子は複雑な表情で私を見つめた。配合的には困惑三割、期待三割、絶望二割、憤慨二割といったところ。


「やめないでくれ。続けてほしい。」


「殿下、石弓から長弓に徐々に移行しないと。」


「今は非常事態だ。」


王子が石弓にハマってしまっても私にいいことは何もないんだけど、今はしょうがないか。さっき耳をマッサージしているとき眠そうにしていた王子は、すっかり起きてしまっていた。


ちなみになぜか男爵はさっきから期待に満ちた表情で私たちを見ている。王子寝そうにないしここからマッサージに移行するのは難しそうだけど、そもそも寝たところでマッサージしても男爵が期待する効果もないのに。


「では中に入れていきますね。」


諦めて事務的に耳かきをしてあげようと思う。


「ああ・・・頼む。」


目を瞑って息を飲む王子。拳を握り締めていて、なんだか首を落とされる前の政治犯みたいな雰囲気。


王子の耳の内側は恐れたほど汚れていないようだった。特に綺麗にするコツもわからないし、とりあえず耳つぼを弱く刺激するようにしていく。柔らかい耳を刺激しすぎるのは危険だから、耳つぼマッサージは禁じ手なんだけど。


「・・・つっ・・・ふっ・・・」


王子がさっきより小声で何か言っている。


「大丈夫ですか?」


「・・・初めてだ・・・いや、こんな感覚は・・・初めてだ・・・ぐっ・・・まるで自分の体じゃ・・・ないようだ・・・」


温泉に浸かって悦に入っているような顔をしている王子。どうやらお気に召したようだけど、あんまり耳かき係にはなりたくないし、程々にしておかないと。


「痛かったら言ってくださいね。」


「・・・自分の体の内側に・・・こんな未知の・・・くふっ・・・部分があったとは・・・うっ・・・しらなかっ・・・くうっ・・・」


少し辛そうな顔ととろんとした目がミスマッチになってきた王子。体が少し震えている気もする。そろそろ潮時みたい。


「殿下、そろそろ終わりにしますね。よろしいですか?」


「・・・くはっ・・・体の芯が震えて・・・止まらない・・・うぐっ・・・まるで・・・侵略されているようだ・・・ぐっ・・・だが・・・攻められるのが・・・つふっ・・・不思議と嫌では・・・」


会話が成立してない。表情はなんとか王子の尊厳を保っているけど、言動が怪しくなってきた。綿棒を取り出す。


「はい、終わりです。やりすぎは健康に良くありませんので、ここまでです。」


王子は約束を破られたときのような、ショックを受けた顔を見せた。


「そうか・・・終わりなのか・・・ご苦労だった・・・」


今まで観戦していた男爵が、王子のもう片側の耳に小声で呟いた。


「王子、続きをして欲しくはないのですか。リディントンの言葉は体の充足という意味では正しいかもしれませんが、心の充足には不十分かもしれませんよ。」


王子も小声で独り言を呟く。


「そうだな、獣と違い人間にとっては、心の充足の方が体の充足よりも重要だ。心が満たされ陶冶されるのなら、多少耳の皮膚が傷ついてもそれは必要な犠牲なのかもしれぬ。」


王子、第一に耳かきされても心は陶冶されません。第二に、王子の欲求は獣と同レベルです。言いたいけど言えないもどかしさ。


王子は私の方に真剣な顔で向き直った。


「リディントン・・・奥もしてくれないのか。」


お断りします。そもそも耳が汚れるとしたら手前の部分。


「奥は神経が集中していて、気持ちいいような錯覚があるかもしれませんが、目的を踏まえれば浅い部分だけで充分なんです。」


「リディントン、これは神話の一節に依拠するのだが・・・いや、頼むから、奥もつついてくれないか。」


王子は例え話を繰り出す余裕がなくなったみたいで、オウムみたいに繰り返した。


つつくって、もはや衛生観念とか当初の目的はどこかにいってしまったみたい。アンソニーとあんまり変わらないじゃない。


「なんなら勅令を・・・」


大人気ないです王子。


「殿下、権力の濫用はおやめください。わかりました、奥もしてあげますから。」


「素晴らしい・・・そうこなくてはな。」


安堵の表情で私に耳を向ける王子。この独裁者にはこの先困らせられそう。


特製の綿棒は前世のものほど安定しないから、耳奥のツボをピンポイントで効果的に押せるほどのコントロールもない。つまりランダムに耳の肌にそわせているだけ。耳の奥は本来刺激しない方が良いポイント。多分今私がやっている耳かきは耳に良くないけど、これも勅令だししょうがないよね。


「・・・くはっ・・・快感の波に・・・飲まれ・・・る・・・」


王子は感無量みたいに目を閉じている。相変わらず爽やかな笑顔だけど、もう知らない。


「ルイス、ラストで追い込みをかけるんだ。」


いつの間にか近くにいた男爵が耳打ちした。期待を込めた目で見てくるけど、正直もうできることは限られている。そもそも追い込みってなんのこと?


試しに手を細かく動かしてみる。王子の大きな体がびくんと動いた。


「・・・うっ・・・そこは・・・弱点が・・・くうっ・・・」


さっきまで幸福感に満ちた感じだった王子が急に引きつったように体を震わせ始めた。今度は少し危機感のある目とだらしない口元でまたミスマッチが起きている。


「・・・つっ・・・自分でも・・・知らなかった・・・ううっ・・・弱い・・・そこは・・・もう・・・耐えられ・・・」


辛そうに座ったまま宙に足を投げ出す王子。そこって言われてもどこだかわからないし。あとこれ絶対耳に悪い。


「さすがだルイス。」


小声で呟く男爵。男爵はひょっとするとこれも魔法だって認識なのかしら。もはやツボを狙ってないから男爵がしても全く同じ効果が見込めるけど。


「・・・うくっ・・・ダメだ・・・悪魔に・・・魂を・・・持っていかれる・・・うっ・・・気分だ・・・」


王子のセリフを聞いて、満足そうに薄笑いしていた男爵の顔が急に引きつった。フランシス君を呼んで何か耳打ちしている。


当の王子はもう魂を諦めてしまったみたいで、男爵達のざわめきに気づいていない。


「・・・我慢が・・・できな・・・つはああっ!!!」


辛そうに大きな声を上げると、王子は背中と後頭部を椅子の背もたれにゴンと打ち付けて、そのままずるずると腰の位置を前に滑らせた。くたっとして動かなくなる。


男爵とフランシス君が王子を間近で覗き込む。


「よし、完璧にかかっているね。」


何が?


訊こうと思ったけど、廊下で物音がして、私たちは注意を削がれた。


「待て〜!!」


遠くでブランドンの声と走る足音がした。何か追いかけっこでもしているのかもしれない。


「ブランドンは精神年齢が成長しないね。やんちゃなところがある王子にはそれが気楽なのかもしれないが。」


男爵は首をふった。やんちゃなところがあるらしい王子自身は、力尽きたように虚ろな目でぐったりと虚空を見つめていて、何も反論しなかった。


とりあえず、最後までひどい顔にならなかったことだけは評価してあげるね、王子。

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