IX 証人フランシス・ウッドワード
「契約書?」
男爵が警戒半分、混乱半分って顔をしている。まだ薄ら笑いは続いているけど。
「昨日は裁判所からさらわれちゃったから、書いている暇がありませんでしたが、フクロウ亭で一人になったときに準備しておいたんです。ここにいるフランシス君に証人になってもらいますね。」
「見せてくれないか。」
顔から微笑が消えてきた。真面目に契約書を読んでいる顔はやっぱりイケメンだ。男爵は彫りが深い顔つきだから、真剣な表情の方が似合っていると思う。暗い色の髪に黒服だし。
「『ルイーズ・レミントンは男装し王子の従者としてマッサージおよびその他の業務を行う。必要に応じて適宜偽名を使う。王子が女性と問題なく接する状態になった場合、または王子がルイーズ・レミントンへの不満を訴えた場合に契約は解除される。任務の成功にかかわらず契約終了時にウインスロー男爵レジナルド・ガイトナーはルイーズ・レミントンに生涯分の年金および推薦状を用意する。』これではちょっと君が有利すぎるのではないかな。」
鋭い目つきが私に向けられた。映画のワンシーンにありそうな顔。婚約者の方はこの表情見たことあるのかな。
「なんでですか。マッサージが成功する保証は無いと最初から言っているでしょう。」
「まず、ヘンリー王子は人の好き嫌いが分かれる方だが、悪い方ではない。『不満を訴えた』をゲームオーバーの基準にするとすぐに終わってしまう可能性があるが、誠実に粘れば心象を改善できるはずだ。君ならできる。」
そうすると、王子は思ったより気難しい性格をしているのかな。さっぱりしたスポーツマンだったら良かったのに。
「でも、王子にマッサージの効果がなかった場合、私がいる意味がありません。」
「レミントン家では体の色々な部位に魔法を試していたと聞いている。全身かけ尽くしてなお効果がなかったら戦略を練り直そう。」
「そうはいきません。」
弁護士の娘として、失敗してポイ捨てされるリスクは熟知している。「戦略の練り直し」って大体撤退のことよね。
「わかった。では最初の魔法をかけてから1年間、定期的に魔法をかけ続けてもなお王子が耐えている場合は契約解消とし、君に年金を渡そう。」
「半年!」
「いや一年だ。スタンリーが魔法にかかった季節が一番効果的、という可能性もあるからね。それと、一年後に一定の効果があったがまだ『女性と問題なく接する』段階でない場合、契約は自動的に延長される。」
「それは恣意的です。」
一定の効果があった、ってセリフはよく言い訳に使われていた気がする。ノリッジのあたりで農地改良詐欺が起きたとき、「一定の効果」がなかったことを証明するために、お父さんが大変そうにしていたのは覚えている。
「わかった、では王子が女性と手をつないだら一定の成果、肉体関係を持ったら任務成功だ。」
「一定の成果から任務成功までのギャップが大きすぎるわ、それだと何年でも延長されちゃうじゃない。女性と挨拶のキスをするのが一定の成果、女性を抱きしめられたら任務成功です。」
「待った、いくら抱きしめたって王子に子供ができないなら本末転倒じゃないか。」
「子供は条件にならないって私は最初から言っています。」
しばらく私と男爵は無言でにらみ合った。3分くらいして、男爵が息を大きく吐いた。
「わかったよ、『抱きしめる』で手をうとう。ただし愛情のある抱きしめ方でないとだめだ。」
「それも恣意的です。」
男爵が疲れたような微笑を浮かべた。
「婦人が王子のもとに到着ないし出発するとき、および親類縁者に対する抱擁を除く、ということでいいかな。」
「いいと思うわ。」
「やれやれ、君にはかなわないね。では契約完了としようか。」
なんとなくだけど、男爵に勝った気がする。私って弁護士の才能あるかもしれない。
「ところで年金があるのに推薦状が欲しいというのはどういうわけかな。」
「王都で何か仕事をしたいなと思っているんです。マッサージ屋さんじゃなくても。」
男爵は目を丸くした。この馬車の中では表情のバリエーションがすごい。
「君は変わっているね。老貴族に嫁ぐのは考えないのかい。」
「パーティーの準備とか屋敷の整備にはあまり興味がなくて、もっとやりがいにある仕事がしたいなって。今は思いつかないんですけど。」
マッサージで人が元気になるところ、お客さんが満足して帰ってくれるところを見たいなって思ってた。前世でそれをあんまり見ずに死んじゃったのが悔しくて、今世でもマッサージに拘っているのかもしれない。でも、魔女扱いされない職業でも、最終目標は達成できる気がする。多分だけど。
「なるほどね。ほら、私の分はサインした。ところで君のサインはルイーズ・レミントンでいいのかい。魔女が裁判で有利になるとは思えないよ。」
「これから無罪になるから関係ないし、修道院にいても裁判は起こせるわ。」
私は受け取った契約書が勝手に変更されていないかチェックをした後、ルイーズ・レミントンのサインを入れた。
「じゃあ、フランシス君も証人としてサインをお願いね。あとで男爵とフランシス君に控えを用意するわ。」
昨日は定食屋さんを考えていたけど、弁護士もいいかもしれない。家業だから割と慣れているし。こっちの世界だと女の人でも資格は取れるのかな。
馬車の揺れでサインに手こずっているフランシス君を見ながら、私はポスト従者ライフに思いを馳せていた。




