0 ルイスとルイーズ
「被告人ルイーズ・レミントンは、体を使ってスタンリー卿を籠絡したことを認めるか。」
大げさなカツラを被った無表情な裁判官が、眼鏡越しに私を見つめて言った。
「いえ、普通にマッサージをしてあげただけで」
「被告人は『はい』か『いいえ』で答えなさい。」
裁判官の低い声が私の抵抗をかき消した。どうしよう、明らかにトリッキーな質問だけど、後の証言と食い違って偽証扱いされたら困っちゃうかもしれない。
「はい・・・」
私の弱い声が部屋に響くと、法廷がざわついた。「なんてことなの」「魔性の女だわ」と囁く声が聞こえる。
「でもそういう意図は全然なくて」
「被告人は聞かれたことにだけ答えなさい。」
なんでこんなことになっちゃったんだろう。開始早々もう泣きそうになる。
「わかりました。」
「よろしい。先ほど行われた証言について、今から言うことが実際に起きたかどうか、『はい』か『いいえ』で答えなさい。」
「はい・・・」
とっても嫌な予感がする。裁判長が主旨書を読み始めた。
「被告人は足のしびれを訴えていたスタンリー卿の服を脱がし、あられもない状態のスタンリー卿の肌を直に撫で回し、体の各部分を触って喘ぎ声を・・・」
「ちょっと、言い方!」
「被告人は裁判を遮ってはなりません。」
「はい・・・」
ざわつきが大きくなる。この裁判、明らかに出来試合だよね。お父様の知り合いの弁護士が雇われているけど、このままだと弁護が始まる前に牢屋入りが決定してしまうかも。
「先述の一件は起きたと被告人は確認できるか。」
「誇張がすごいというか、そこまでは・・・」
「被告人は『はい』か『いいえ』で答えなさい。」
「はい・・・」
私の返事をかき消すように、歓声なのか罵声なのかわからない声が何重にも折り重なって部屋に響いた。痴女扱いは決定だろうけど、この流れだと監獄でおばあちゃんになるかもしれない。
これでも一応は弁護士の娘、ちゃんと反論してみせるんだから。
「裁判長が確認を求めた起訴状には誤解を招く表現があります。申し立てをさせてください。」
裁判長は横の書記に小声で何かを確認すると、私の方を向き直った。
「よろしい。手短にしなさい。」
「ありがとうございます。まず、体を触ったのは事実ですが、私の両親の勧めがあったので、スタンリー卿は事前に同意しています。たくし上げた衣服はごく一部です。部屋には最後まで使用人がいて、既婚のスタンリー卿を誘惑するつもりがなかったのは明らかです。仮に意図せずに誘惑してしまったとしても、私たちは一線を超えていないので、王国の法には触れていないはずです。」
練習していたからスムーズにいけた。レディとしては名誉も回復したいけど、最後の一点が一番大事。とりあえず牢屋に入るのは絶対に嫌だし。
「起訴側のバリスタから反論はあるか。」
裁判長が右を向くのに合わせて、紺のマントを着た、髭の濃い法廷弁護人がたち上がった。
「はい、まずスタンリー卿およびレミントン一族の人間の証言は参考になりません。そして、夫人を始め女性に一切興味を示してこなかったスタンリー卿が、その日から急に被告人に夢中になったと、スタンリー夫人が証言しています。これは私たちが知るような誘惑とは考えられません。」
落ち着いた声で手元の資料が読まれる。スタンリー卿は私じゃなくて私のマッサージに夢中になったのに。
「また、レミントン家の使用人から、スタンリー卿は事件直後ぼうっとして魂を抜かれたようだったとの言質もとっています。」
「だからマッサージしてあげただけだってば。」
いい加減にしてほしい。レディが男性の足を触るのは確かに良くなかったけど、もっとすごいことをしている女性なんて大勢いるのになんでみんな騒ぎ立てるの。
裁判長の眼鏡が光った。
「そのマッサージとやらとは何なのか、被告人は説明しなさい。」
「あっ。」
そうだった、この世界にマッサージはなかったんだ。両親や親戚にマッサージしてあげているうちに、レミントン家ではマッサージって言葉が広まったけど、法廷で使うと怪しい人みたいに見えたかもしれない。
落ち着いて、落ち着くのよルイーズ。ちゃんと武藤先生に習ったのを思い出せばいいだけ。
「指や手を使って体の部位を刺激して、血行やリンパの循環を良くします。スタンリー卿のように筋肉痛が起きていた場合に有効です。あくまで健康目的であって、怪しい意図はありません。」
前世も含めて法廷に立つのはこれが初めてだけど、デビューにしてはうまく立ち回っていると思う。
「被告人は解剖をしたことがありますか。」
髭の法廷弁護人が立ち上がった。解剖?そんな怖いことするわけないじゃない。
「いいえ。」
「ではなぜ、どこをさわればリンパの循環が良くなるかわかるのですか。被告人は悪魔に教わったのではないのですか。」
法廷弁護人が声をあげる前に、ざわつきが大きくなる。「魔女だわ」「魔女だ」と言うささやきがホールにこだましている。
「静粛に! 被告人は質問に答えなさい。」
「それは・・・」
どうしよう、悪魔なんて訳がわからないけど、ここで『前世は駆け出しのマッサージ師でした』って言ったら魔女確定になる気がする。ここは無難に行かないと。
「本で読みました。」
恐る恐る髭の法廷弁護人の方を向いた。髭の青年は勝ち誇った顔で、一枚の羊皮紙を振りかざした。
「これがレミントン家の図書録です。聖書と法律書の他に、詩集が数点と算術の本が一つ。医学書はありません。また被告人の親類縁者に医師はいません。」
はめられた。最初からはめる気だったんだわ。確かに医学書なんて馬車一台くらいの値段がするし、レミントン家の書斎にあるとは思えない。
裁判長の表情が厳しくなった。
「被告人、先ほどの証言との齟齬はどう説明する。」
「そんな・・・」
天井の高い部屋はいよいよ騒がしくなった。「魔女だ!」「火あぶりだ!」と言う声がこだまする。
なんでこうなったの。親切にマッサージしてあげただけのはずだったのに。誰も不幸にしてないのに。
「スタンリー卿はとても元気でしょう、うちの両親やおじさんは何百回もマッサージを受けているけどなんともないわ。」
「被告人は質問に答えるように。」
「いいぞ裁判長!」
「やれ!魔女をひっとらえろ!」
ブーイング、なんて言葉はこの世界にはないけど、まさにそんな感じで後ろから野次が飛んでくる。
焦りを通り越してもう悲しくなってしまっていた。もう前世の話をしちゃおうかな。火あぶりに近づくかもしれないけど、話が複雑になれば裁判の日付が伸びる展開もあるだろうし。
「実は・・・」
私が口を開けるか開けないかと言うとき、法廷の重い扉がバーンと音を立てて開いた。
「なんだ!?」
野次馬が混乱した声を上げていると、羽付きの帽子を被った黒服の男が入ってきた。顔は良く見えない。
「私は国王陛下の侍従、ウィンスロー男爵レジナルド・ガイトナーだ。裁判長、この国王陛下対ルイーズ・レミントンの裁判は、首都の王立裁判所で預かることになった。ついては休廷願いたい。」
良く通る低い声が法廷に響く。侍従と名乗ったその男にはさらに侍従がいたようで、後ろから入ってきた青年が私の横を通り過ぎると、裁判長に丸めた羊皮紙を手渡した。
裁判長は眼鏡をかけ直してしばらく文書を読んでいた。表情はあんまり変わらない。
「スタンリー卿の要請および大法官の判断により、アルドウィッチの王立裁判所で公判が開かれることとなった。この文書の到着を持って本件はこの裁判所の管轄ではなくなったため、これにて閉廷とする。」
裁判長は結局表情を変えないまま部屋を出て行った。観衆はまだ混乱しているみたいで「判決は?」「魔女はどうなるんだ!」といった声が聞こえる。
私も私で混乱している。何があったんだろう。でも裁判所が変わるなら最初からやり直しになるし、少なくとも今の展開は避けられるはずだ。
黒服の男が帽子を外して宣言する。
「被告は私が責任を持って王立裁判所まで移送します。」
つまり私はこの人の管理下に入るのかな。展開が急すぎてついていけない。
ぼうっと黒服の人を見ていると、視線に気づいたのか彼はこっちを向いて微笑んだ。微笑むって場違いのような気がするけど。
こっちへゆっくり近づいてくるその人は、近くで見るとかなりのイケメンだった。やや細めのスッキリした顔をしていて、こげ茶の目とまつ毛がくっきりしている。オールバックの髪型はあんまり似合わないかな。体はちょっと細めで、腰のあたりマッサージのしがいがありそう。
いけない、マッサージで火あぶりになるところだったのに、またマッサージのこと考えてた。
その黒服の人は ―‘ウィンスロー男爵だっけ− 私にそっと耳打ちをしてきた。
「君があのスタンリーを骨抜きにしたルイーズだね、噂通り綺麗な子だ。」
噂ってなんだろう。今の私は前世だったらちやほやされる見た目をしているけど、この世界ではちょっとボーイッシュと受け取られているみたいで、16歳になる今日までいい縁がなかったし。
「あの、裁判はどうなるんですか。」
おずおずと尋ねると、男爵は可笑しそうに笑った。
「君も御察しの通り、もう結論は出ている。いいかい、まだ人がいるから、今から言うことを聞いて驚いてはいけないよ。」
いい知らせがあるのかな。
「ノリッジの弁護士の娘ルイーズ・レミントンは、来月から北の辺境にある修道院で、誰にも知られぬまま一生を過ごすことになる。」
え・・・
くらっと言う感覚があって一瞬目の前が真っ白になった。手を伸ばした男爵に抱きとめられる形になる。
火あぶりじゃないにしても、一生修道院だなんて・・・
「崩れ落ちるのはまだ早いよ。一方でヨーマスの公証人の息子、ルイス・リディントンは、今日付けでヘンリー第二王子の従者に就任する。」
「それと私にどんな関係が?」
抱きかかえられたまま、投げやりに男爵に問いかけた。
「大いに関係あるとも。」
男爵は得意そうな顔をしている。近くで見るとやたら肌が綺麗な人だ。
「なぜなら君は今日からルイーズ・レミントンではなくて、ルイス・リディントンだからだ。」