6章最終話 聖なる夜明け
この話で6章は終わりとなります。お楽しみいただければ幸いです。
次の7章は、また明日投稿いたします。
星のきらめきが、街を照らしていた。
夏が終わったこの時期、うるさかった虫たちの泣き声も止んでいて、とても静かな夜になっていた。もう、深夜と言ってもいい頃合い。
「許せないよ、和人君も、あの人も……。」
「……。」
「私の気持ち、わかるよね? 和人君は」
「……さあ、な」
そんな満点の星空の中、俺と春香は『彼女』と約束した場所へ向かっていた。
春香は俺が信用できないようだ。だから、「あの人は部室に居るから。だから、……もうあとはわかっているよね?」と、俺を約束の場所の入り口まで連れてきている。
「聞かなかったことにするよ。……もう、やるべきことはちゃんとわかっているよね?」
「……。」
どうやって彼女へ話しかければいいのか俺にはわからない。春香にコテンパンにされた俺が、彼女に対して何ができるというのか? ……わからない。だが、俺は向かう。だって、彼女は……。
「着いたよ。ふふ、最後サービスだから、私、違うところにいってくるね。二人きりで集中できるように。……あまり、好きだった人たちの泣いている声は聴きたくないからね。ほら、じゃあ行ってきて」
「……わかった」
部室の扉を開く。すると、そこには一人の少女がいた。
「……和人、君?」
「聖……」
そう、聖だ。
彼女にとっての思い出の場所、そこに彼女はいた。彼女はこの部活を大事にしていた。
一人だった自分を迎えてくれた場所だと。あの時の俺は他人を拒絶していた。そんな俺を、彼女は自分の大事な場所に迎えてくれたのだ。
はじめは鬱陶しさを感じた。だが、彼女と触れ合ううちに、心の氷は解けていき、暖かさを感じ……。
そんな彼女に俺は、感謝していたのだ。
彼女の笑顔に俺は、救われていたのだ。
「……何しに、来たの?」
「聖が心配だったから。だから聖に会いにきた」
彼女は俺の姉……いや、もう止そう。彼女はこの時間軸で一番大事な人だ。
彼女が、好きなのだ。
だから俺は、彼女の元にいる。
彼女の大切な場所を、『時間』を、俺は大切に思う。
だから、俺は簡単に世界を巻き戻すことなどしなかった。
彼女の頑張りを、巻き戻すことで無駄になどできないから。そして、俺は彼女との時間を、無駄にしたくはないと思ったのだ。
そもそもが、この能力自体が間違いなのだ。何が巻き戻すだ。お前は神にでもなったつもりか? みんながこの一瞬を大事に生きているのに、それを全部水泡にすることを、お前は何の権利をもってやっているのだ。
だから、俺はやらなかった。
だが、聖は、……今、笑っていた。いつものように、優しく元気にではない。……苦笑いを浮かべていた。
そして、……海や、美姫、……春香たちに向き合うべきだった。
「……ありがとう。でも、もういいよ? ……いいんだよ? 私、めんどくさいでしょう? ごめんね、和人君のお姉ちゃんだなんて言っちゃって……。気持ち悪かったでしょ? 本当にごめんね。和人君に負担かけてばっかり……。だからもう和人君の自由にしていいんだよ?」
「そんなことない。お前が居てくれて、俺はすごく助かっている」
「ううん、そうじゃないよ。無理にフォローしないで。私が無理やり和人君を連れださなければ……。もう、私を……私を無視して?」
「お前を無視することなんてできない。俺は……お前のことが大事だからだ」
「……っ。なんでこんな、こんな汚い私にそんな嬉しいこと言えるの? だめだよ、その言葉は海ちゃんや美姫ちゃん、会長に言ってあげて。……春香ちゃんに言ってあげて」
「お前は何を言っている? お前は、綺麗だよ。あいつらに負けないぐらい綺麗だ」
「汚いよ!! 私は、汚いんだよ!」
「……」
彼女の叫び声に似た大声は学校中に響き渡った。
いつも自分を押し殺す彼女のこんな姿は、俺だけに見せてほしかった。だが、今ではなった。そんな悲痛な思いを抱いてほしくなかった。
「私は、卑怯なんだよ……。海ちゃん達が和人君を好きなのは予感していた……でも、和人君が他の人に取られるのが嫌で、だから抜け駆けしてしまったの!」
彼女の声が荒れる。感情を込めていることがわかる。
「私、友達ができて嬉しかった。後輩ができて楽しかった。毎日が夢のようだった。だけど……私はそれ以上を望んでしまったらダメだったんだよ」
「そんなことない……それに、抜け駆けなんて言うけど、別にそんなことはどこでも溢れている。早いもの勝ちだろう、恋愛も」
「でも、でも私は正々堂々彼女達と勝負すべきだった……」
「お前は他人に気を遣い過ぎなんだよ。もっと自分のために動いても……」
「私は! 私はそんな人じゃないよ! 私は、自分勝手なの……わがままな人間だよ、私」
彼女の声が、所々で途切れる。……涙で途切れる。
「春香ちゃんから聴いたよ。美姫ちゃんがどんなに和人君が好きだったか、海ちゃんがどんなに和人君が好きだったか、会長がどんなに和人君が好きだったか……それに……」
「……」
「春香ちゃんが、どれほど和人君のことが好きか」
……彼女は聴いていたのか。
春香がどこまで聖に言ったのか気になる。
だが、今はそんなこと頭の片隅にでも置いておけ。
大事なのは、目の前の彼女を……。
「……私はね、彼女達のことを聴いても和人君のことを離したくなかった。だって、和人君のことが好きだったから」
「……」
「春香ちゃんにも言われたよ、和人君を返してって。それに海ちゃん達の目を見てわかった。彼女達も和人君を返してほしかったんだって」
「……それが何だ。今俺は聖のことをこの時間で一番大事だ。だからあいつらよりもお前を選んだだけだ」
「……ううん、違うよ。私はそう言われても、そんな目で見られても……和人君を取った。私はわがままを貫いたの。でもね、その結果がこれなんだよ?」
「聖……」
「私を否定して……。本当はそのために、来てくれたんでしょ? 早く、早く私を拒絶して、お願い……私は、皆が仲良くできたらいいと思ってたのに、願ってたのに、最後は自分のわがままを通しちゃったの。その結果が……これなんだよ? 私がこの部を壊しちゃったの! 私が、私が……」
「……大丈夫だ、まだ、まだどうにかできる方法はあるはずだ」
方法はまだ思いつかない。
だが、俺と聖ならこの状況をどうにかできるはずだ。
春香には、どうにか謝って許してもらう。海や、美姫や……、アリアにも。甘い考えだ。だが、どうにか許してもらうしかない。それしか、聖が笑顔になる道はないのだから。
そんな気持ちを抱いていた俺に、聖は不思議そうな顔をする。
「……和人君は知らないの? 美姫ちゃんのこと」
「……何をだ?」
……嫌な予感がする。背中の毛穴から汗が流れるのがわかる。
「美姫ちゃんね、今、……病院だよ? 自分を刺しちゃって……。私の、……私のせいだ。」
……あ、ああああ。
「もうね、取り返しのつかないことになっちゃったんだよ……」
「……俺の」
「え?」
「俺の、せいだ」
そうだ、俺のせいだ。俺が彼女をちゃんとフォローしなかったから。いや、そもそも俺が彼女を初めから狙わなかったらよかった。彼女に惚れなければよかったのだ。
……俺は、なんて、なんてことを。
「ううん、和人君のせいじゃないよ。悪いのは全部私」
「お前のせいじゃない。お前は何も悪くない。全部、全部俺のせいだろうが。だから聖は何も悪くはないんだ。お前が全部背負うな」
そうだ、俺がすべての元凶。俺が諸悪の根源。彼女達を狂わせたのは俺の早計が招いたこと。
「……私のせいなんだよぉ。私は、私は……」
彼女が腰を落とし縮こまる。震え、泣いている。
「大丈夫だ、お前は何も悪くないんだ……」
震えている彼女が、とても寂しそうに見えた。
だから、何の権利もないけれど、俺は彼女を抱きしめたかった。
抱きしめて、しまった。
「苦しそうにしているあなたに目を逸らしてしまったの……」
「いいんだ、俺が勝手に悩んでいただけなんだから」
彼女の涙が俺の方に伝わる。彼女とそれほど距離が近づいても、彼女の顔は見えない。抱きしめているから当然だ。でも、彼女の顔を見たい。その矛盾を俺は感じた。
「あなたと離れたくなかった。ずっと隣で笑っていたかった。海ちゃん達が泣いていても、あなたを諦めたくなかった」
「お前は悪くないんだ。お前は、当たり前のことを求めていただけなんだ……」
「……もう一度」
「……」
「もう一度、もう一度やり直したいなぁ……もう一度やり直すことができたら、もっとうまくやれるって思うなぁ……」
「……そうだな。俺がいなかったら、お前たちはうまくできていただろうな」
「ううん、違うよ。私は、あなたに居てほしい」
「でも、それだったら皆仲良くなんか……」
「あなたがいなかったら意味がないの。あなたがいて、この部活は一つなんだよ?」
「……」
彼女は……優しいな。こんな俺に、そんな優しいことを言ってくれるなんて。
思えば彼女には世話になってばかりだ。
この部活に入れてくれたこと。
いつも気にかけてくれたこと。
付き合ってから、俺に笑顔を届けてくれたこと。
だから今度は、俺が彼女に返す番だ。
恩を、返す番だ。
彼女に笑顔を、返す番だ。
……だから、俺は。
「……やり直そう」
「……できない。そんなことできるわけない。やり直せたら、どんなにいいかって思ってた。だけど、そんなこと……」
「聖……ごめんな。俺はお前を困らせてばかりだ。だから、……俺」
「……嘘?」
俺の様子に何かを感じとったのか。聖は顔を俺からはなし、俺の目を見つめる。驚いた顔をする彼女。……少し、愛らしく感じた。いつもは、いたずらっ子のように、俺を抱きしめてくれていたから。
「聖、今度目が覚めたらお前が辛いこと全部、全部忘れることができる。全部、今度はうまくいくから」
「いや、いや……和人君」
一層強く抱きしめる。彼女の柔らかさを、匂いを、『忘れない』ように。
「聖、……お前が好きだ。この時間で、お前が一番好きだった。」
「だめ、だめ……だめ! 和人君! 私も好き! 好きだから! 初めて、初めて好きって言ってくれたのに……! だから、……だから!!」
「ありがとう、もし、もしお前が……いや、君と俺が初めに出会っていたのなら、俺は……。じゃあな、今度会ったときは、また、できたら、よかったら……笑ってほしい」
「いや、いや! 和人君! 和人君!! 行かないでぇぇぇ!!! いやぁぁぁぁあああああああああ!!!」
……光がさしこみ、夜が明けた。




