6章17話(文化祭)
「海」
「……はい」
「正直、俺もみんなの前に立つのは怖い」
「……」
海の表情は変わらない。ただずっと俯いていて、泣いていて。それは昔からだ。昔の、前の時間軸で俺がこいつを徹底的に壊していた頃。……いや、それよりも前。こいつが一人ぼっちのころ。そうか、……こいつは一人だったのだ。俺が支配していた頃から、本当の意味では一人だったのだ。
「まぁ、……昔の俺なんだがな。というか今も少し緊張するし。本当は今、俺正直文化祭のステージ立ちたくないし」
「……え?」
俯いていた海が俺を見上げる。
海の問題を解決したいわけではない。ただ、今泣いている海を励ますことに専念したい。こいつのそばにいてあげたい。……恋人になるわけではない。ただ、こいつに一人ではないということをわからせてあげたい。そうすることで、過去の自分のケツをたたきたいのだ。俺の自分勝手な自己満足だ。付き合わせてごめんな、海。
「俺も昔、みんなの前で失敗した。そしてみんなを失望させたんだ」
「……和人君も、なんですか」
「信じてくれるのか?」
「……はい、和人君の言葉なら」
「ありがとうな」
すまないな、海。こんな俺をまだ信じてくれるなんて。
「だけど、少しずつ気にならなくなった。まぁ、昔から鈍感だったからかもしれないが、だんだんと緊張もしなくなったんだ」
「そ、それはどうやって……」
「ただ目の前のことを、自分のできることをだけに集中すること、それしかできなかった」
「……」
「当たり前のことだって思うだろう? だけど、それしかないんだ。いや、……俺にはそれしかできなかったんだ。器用じゃないからな、俺は。……あの人と違って」
「そ、そんな……和人君はなんでも……」
「お前は俺を買いかぶりすぎだよ。俺はそんなすごいやつなんかじゃない。……なぁ、海。」
「はい……」
海を正面から見つめる。泣いていた海。目が赤くはれている。ここまでの状況にした俺が悪い。だから、俺が……。
「正直、苦手意識……いや、トラウマを持っているお前には辛いかもしれない。だけど、……歌うことに集中することから始めてみないか?」
「……」
「ごめんな、何も解決することになってないよな? だけど、……そうだ海。」
「はい……え?」
ギターを取り出す。いつの間にか俺の家においてあったギターだ。俺が自暴自棄の時に買ったものだろう。あの時はなんでもいいから逃避できるものがほしかった。その一環で買ったのだろう。どうでもいいギターだ。だが、今になってこれがあってよかったと思う。
「俺のギターを聞いててくれ。ステージで、俺のへたくそなギターを聞いててくれ。そして、歌いたくなったら歌ってくれよ」
「……」
我ながら気障なことを言ったと自覚している。だが、これでもし、海が……。一人じゃないんだ。お前の周りにはいつもたくさんの人が、今の時間軸にはいるんだと。その中で、過去のクソな俺を消してほしいんだ。
「お互いさ、人前に立つのが苦手なもの同士、助け合おうぜ。俺も緊張するけど、お前がいたら……多分できるからさ」
「……はい、はいっ」
「お前が楽しくなるように、上手くギター弾くからさ。期待しててくれよ?」
「はい!」
海はいつの間にか泣くのをやめていた。そして、俺の手をとっていた。
「ありがとうございます! 私、和人君の役に立てるよう、頑張って歌いますね!」
……ああ。ああ、やっぱり。
やっぱり、海は、泣くよりも笑っていた方が、きれいだな。海のこの顔で思い出した。気づいてしまった。俺は今まで何を悩んでいたんだ? 何に苛立ちを感じていたのだ? 今まで俺が抱えていた問題? それのどこか問題だというのだ? それくらい処理しないで、何が男だ。
「ありがとうな、海」
「お礼を言うのはこっちだよ。なあ、俺の練習に付き合ってくれないか? まだへたくそですまないが、海が横で見てくれると、気合入るんだ」
「はいっ! 横で一つの音も逃さずにヒアリングしますね! ……あっ。ちょっと耳掃除してきますね!」
「……それはやりすぎだ。リラックスして気楽に聞いてくれ」
「はい! 頑張って気楽に聞きますね!」
「……勝手にしてくれ」
………
……
…
屋上に行く。それは俺にとって恒例と化していることだ。いつもはサボりにいく場所。だが、今回は少し違っていた。
「よっ。またサボってんのか?」
「……」
また同じ場所で悩んでいる女の子がいる。そう、美姫だ。心なしかどこか機嫌が悪そうだ。
「なぁ美姫。……あの話していいか?」
「……ふんっ」
顔を背ける美姫。それにまた懐かしさを感じるも、心の中で押し込める。どこまで俺は女々しんだか。
「答えが遅くなってすまないな。……文化祭当日、一緒に周ろう」
「……えっ」
美姫が驚いた顔をしてこっちを向く。何をそんなに驚いているんだか。思わず苦笑いをしてしまう。
「だめか?」
「それは、……私に劇に出てもらうため?」
不安げに揺れる瞳。そんな顔をするなよ。
「違うよ。……ああ、そうだな。暇つぶしにお前がちょうどいいかなって思っただけだ」
「……ふふっ。何それ。」
一瞬呆気にとられていた美姫。だが、噴き出して笑い始めた。
「いいだろう? お前も暇だから俺を誘ったんだろうが。お嬢様の暇つぶしになる俺の身になってくれ」
「ふふっ。まぁ、今はそれでいいわ。ちゃんとエスコートしなさいよ?」
「ああ。面倒だがな」
そう言って立ち上がる美姫。背中を向けて屋上のドアに向かい始める。
「じゃあね、……ああ、言い忘れていたわ」
「なんだ?」
「私、もう主役の練習やってたわよ? 今は休憩中だったの」
「……は?」
「ちゃんと見に来なさいよ! 面倒臭がってこなかったら許さないから!」
「……あはは」
美姫はもう少しだと思う。こいつにあともう少し、そばにいてあげれば。こいつも気づいてくれるはずだ。俺なんていなくても、こいつは一人で歩いていけるのだと。
笑いながら空を見上げる。
昨日よりも、少し晴れているような気がした。
………
……
…