5章3話
「……すまない、リサ。俺、今日ちょっと用事あるから」
「……え?」
すべてはあの時から始まったと思う。
私が、カズ君先輩を自分の家に連れてきた時から。
今までずっと一緒にいてくれた先輩。その先輩の表情があの日から変わったんだ。
そう、先輩が私にいずるさんのことを電話できいてきた日から。
何があったんだろう? もしかして喧嘩しちゃったのかな?
それから先輩の表情は、厳しくなって、張りつめた雰囲気を出していた。
「先輩、私のこと嫌いになったんですか?」
私、何か先輩が傷つくようなことでもやったのかな? だから、思い切って先輩に聞いてみたんだ。嫌なところがあったら、直したいから。先輩に相応しい彼女になりたいから。私を、いつも楽しませてくれる先輩の。私を、いつも助けてくれる先輩の。
「……心配するな。お前のことは何があっても嫌いにはならない。本当に片付けないといけない用事があるんだ。だからしばらく時間を作ることができない。本当にすまない」
「………はい」
そう言って無理に笑って去っていく先輩を、私は止められなかった。思えばここで先輩を止めるべきだったかもしれない。
でも、あんなにも疲れた笑みを先輩がしたことにびっくりしたから、私は突っ立ってることしかできなかった。
時々そうだ、先輩は表情がガラッと変わる。
いつもは優しく笑ってくれるけど、一瞬だけひどく疲れたり、何かに苛立ったような顔をする。その理由を以前聴いてみたけど、はぐらかされた。……先輩はまだ完全に心を開いていないって思ってしまった。
そしてこの会話の後、1ヶ月くらい経った。本当に先輩との時間はなくなり、連絡も時々しか取れない日々。寂しかった。先輩と通じ合えないのは。でもある日、急に先輩が連絡をしてきたのだ。ここ最近は私から連絡してもつながらなかったのに。
「ひゃ、ひゃい! せ、先輩ですか!?」
「はいはい」
だから嬉し過ぎて噛んでしまった。恥ずかしい……。久しぶりに先輩と話せたことにホッとして、嬉しくて。瞳に涙があふれた。頭の中に話したいことがいっぱい浮かんできたけど、考えがまとまらなくて、どうでもいい話ばかりしてしまった。幸せだった。久し振りだったもん。こんな暖かい雰囲気で先輩と話せるのは。だから、本当に聞きたいことが聞けなかった。
何があったんですか? 私に言えないことですか? 危ないこと、やってるんですか?
でも、そんなことを聞いたら、今の雰囲気が壊れてしまうから。この、幸せな時を壊したくなかったから、ただ黙ってしまった。
そんな重い空気の中、先輩はあることを口にした。それはさらに空気に重みを与えるものだった。
「……なあリサ、辛かったら振ってくれ」
「……え?」
「ごめんな、お前に俺は相応しくなかった。心配ばかりさせて、傷つけることしかできない。そして今、……お前に、ふさわしくないことをしているんだ。だからもう自由になってくれ。お前なら俺より良い人が見つかる。……ごめん、それじゃあ」
「ま、待って! 待ってください先輩!」
先輩はそう言って電話を切ってしまった。
今手に持っている携帯電話は唯一先輩とつながっていられるものだった。その携帯から音がなくなった。それは私と先輩のつながりが断たれたと同じだった。物理的にも、……心も。
悲しくて、悲しくて、その日は携帯を抱いて眠った。いつ先輩からかかってきてもいいように。そして先輩とできるだけそばにいたくて。
もう、かかってくることはないというのに……。
………
……
…
「………顔、洗わなきゃ」
先輩の別れの電話から数日が経った。
この国に来て、毎日が輝いていた。春の桜は綺麗。夏のスイカはおいしい。秋の栗もおいしい。冬は鍋がおいしい。……食べ物ばかりだね。
でも、一番日々に彩りを与えていたのは先輩がいたからだと、あの電話から気付かされた。先輩との日常がこんなにもかけがえのないものだと、やっと実感することができた。
でも、もう遅い。先輩とは完全に連絡が取れなくなってしまっていた。
私の日々は曇った。笑顔の回数が少なくなったと、先輩のおかげでできた友人からそう言われた。そんな自分の顔が嫌で、いつもより強く洗う。水飛沫が飛ぶくらい。
顔を洗った後、リビングに向かった。朝ご飯をお姉ちゃんが作って待っている。急がなきゃ。
……そのお姉ちゃんは、最近元気がない。理由を聞いても上手くはぐらかされる。でも、私にはわかっている。姉妹だから。
おそらくお姉ちゃんは寂しがっていると思う。いずるさんが相手をしてくれていないのかな? ……私達姉妹って、なんだか似ているね。
そんなお姉ちゃんを励まそうと思っていると、リビングには意外な人がいた。その人とは……。
「……先輩?」
「……」
………
……
…
「あら、和人君って料理上手なのね」
「ありがとうございます。アリアさんにそう言ってもらえると嬉しいです」
「うふふ、ありがとう。でも、どうしてそんなに上手なの? 料理が趣味とかかしら?」
「……実は、親が家を空けることが多いので、自炊しなきゃいけないんです。だから毎日家で作るし、一人で食事を………」
「……そう、大変ね。私も妹と二人暮らしだからわかるわ。もしよかったら、これからここにきて一緒にご飯食べない? みんなで食べる方がきっとおいしいわ」
「そんな、アリアさんたちにご迷惑ですよ」
「そんなことないわよ。私もあなたに色々助けてもらって感謝してる。だからこれくらいのことは別に何ともないわ」
「………わかりました。じゃあ、先輩を手伝った日に、もし夜遅くなったりしたら、お邪魔してもいいですか?」
「ええ、大歓迎よ」
「ありがとうございます! 嬉しいです、アリアさんの手料理を食べれるなんて!」
「もう、そんな大層なものじゃないわよ? 家庭料理だし……」
「いえ、綺麗な先輩の料理を食べれるだけで役得ですよ。もっと俺をこき使ってくださいね」
「あらあら、うふふ」
先輩がいた。
何故いるのかわからない。いや、そのことは一先ず置いておこう。それよりも、何でお姉ちゃんとこんなに仲が良いの? 何で私だけの笑顔をお姉ちゃんに向けるの? 何でお姉ちゃんに私だけの優しい言葉をかけるの? その笑顔も、声も、言葉も、優しい瞳も、全部私だけのものだったはず。
そして一番大事なこと。
……何で、自分から別れようと言った女の子の家に来ることができるの?
頭が混乱する。何もわからない。理解できない。
先輩にその理由を聞こうとする。だけど、……できない。それはお姉ちゃんがいるから。久し振りにお姉ちゃんが笑っているのだ。この優しい雰囲気を壊して、またお姉ちゃんを悲しませたくないから。
「……ん? どうしたんのリサ、早くご飯食べましょう?」
「……うん」
「……」
その場で、私は一言も声を出すことができなかった。
いつもはおいしいお姉ちゃんの料理。だけど、今日は味がちょっと違った。だから少しだけ残してしまって、早く学校に行ってしまった。……後で謝らないと。
「……すまない」
………
……
…
「……はぁ」
私、アリアは今書類とにらめっこしている。
生徒会長である私は仕事に追われる毎日である。何かとイベントや行事がある学校だから、仕事もその分生徒会にまわってくることが多いのだ。
皆が私のことを認めてくれて、やることができる仕事だけあって、やっぱり楽しいし、やりがいもある。……でも、やっぱり大変だし、疲れてしまう。
「………いずるぅ」
生徒会の役員でもある男の子。そして……付き合ったばかりの私の恋人。まだキスもしていないけど。
その彼に助けて欲しいなとは思った。彼には申し訳ないけど。でも……。
「ごめんな! ちょっと知り合いの子と約束してるから今日生徒会いけないんだ! また今度!」
と、断られてしまった。
時々考えてしまう。
彼は優しくていい人。私もそこを好きになった。でも、私だけに優しいわけではなく、みんなに優しい。その優しさにみんな惹きつけられて、知り合いも多い。……女の子が大半だけど。その女の子達は最近何故か様子がおかしい。だから彼はみんなのフォローをしているようだけど、うまくいっていないようだ。だからそれに時間をとられて、二人になる機会が少ない現状である。
いけないことだけど、それに少し疑問を持ってしまう。
「あーもう! いずるは誰の彼氏なのよぉ………」
……つい寂しくて、本音が出てしまった。
心の中に溜まった黒い泥。それを出してしまった。……ま、いいでしょ。今誰もいないし。
「……」
「……あ」
生徒会室の扉の隙間、そこに誰か立っていた。
あ……、もしかして聞かれちゃったのかな。その人と目が合う。確かこの人は………
「……あなたはリサの?」
「……はい、すみません。たまたま通りがかったら、声が聞こえちゃいました」
リサの恋人の和人君。最近知ったのだけれど、彼はこの高校の1年だった。リサとは中学の頃に知り合って、付き合い始めたらしい。
リサから彼のことは良く聴いていた。とても頼りになって、優しい人だと。そんな人なら安心してリサを任せられる。
「……恥ずかしいところみせちゃったわね」
「いいえ。それより、こんな時間まで生徒会のお仕事ですか? 結構遅い時間ですよ」
そう、もう夜も遅い時間である。小さいこどもは寝る時間いなるくらい。その時間まで作業をしていた。
「……ちょっと仕事が終わらなくてね。それよりあなたは?」
「……秘密です」
「えー、何? もしかしていけないことでもしてたの? ダメよ、用が無かったら早く帰らないと」
彼を少し弄ってしまう。誰かと話して明るい気持ちになりたかったから。
「……実はちょっと知り合いの『恋愛相談』を受けてました」
「恋愛相談……?」
「はい。ちょっと俺の知り合いの友達が最近彼氏と上手くいってないらしくて。なんでも、彼氏が自分のことを放っておいて、他の女の子ばかりに時間を取っているらしいんですよ」
………何だか、他人事じゃないようでびっくりした。
「………へ、へー。そんな子もいるのね」
「ええ、いますよ………………………お前もそうだろう?」
「え? 何か言ったかしら?」
最後の方が聴こえなかった。ちょっと表情も見えないけど、どうしたのかしら。
「いいえ、何も言ってませんよ? それより、さっき聞いてしまったんですけど、先輩も何か悩んでらっしゃるんですか?」
「………」
そう、私も悩んでいる。私の彼氏のことで。彼は優しくて女の子達から信頼を得ているけど、もう少し私に構ってほしい。
そんな不満があるのだけれど……。
……ダメ、後輩よ彼は。
「……先輩、俺はリサの彼氏ですよ?」
「……え?」
「リサの大切な人は、俺の大切な人でもあるんです。無理に話さなくてもいいです。でも、俺に愚痴を言ってくださったら、少しでもストレス発散になりますよ?」
「でも、後輩に愚痴なんて……」
「後輩でもいいじゃないですか。………わかりました、ここには一人の人形がいるとしましょう! そしたら遠慮なく愚痴言えますよね?」
「……そうね」
その時の私は、どうにかしてたのだろう。日々の生徒会・部活の疲れ、妹を守らないといけないというプライド。そして………彼氏とうまくいってないこと。
だから後輩に……。
「えっと、まずはね?~~で、」
愚痴を話した。弱みを見せてしまった。
結構私もため込んでいたらしい。数十分も話した。生徒会の悩み、部活の悩み、なんでも。
中でも多かったのは、やはり彼氏のこと。
そして、話すことに夢中になっていたことが恥ずかしくなって。
「ご、ごめんなさい………こんなに話してしまうなんて」
「いえいえ。先輩のお役に立ててうれしいですよ」
「……ありがとう」
「でも一つ思ったことがあります」
「え……?」
「人の悪口はあまり言いたくないんですけど、ちょっと俺もどうかとおもいました」
「何を?」
「彼氏さんのことですよ! 俺だったら絶対彼女が困っていたらそばにいて助けます!」
「………そう」
「ましてやその彼女が、こんなにきれいなアリアさんですよ!? 助けない理由がないです!」
「ちょ、ちょっとぉ………」
「しかもこんな夜遅くまでアリアさんを残らせて、自分は他の女の子に構うって……アリアさんが可哀想です」
「もう、少し息を吸って。ね?」
「……すみません、熱くなりました」
「ふふ、いいのよ」
なんだかんだ年下ね。熱くなっちゃってかわいいわ。顔立ちはかっこいいけど、赤くなっている顔がとても可愛らしい。こんなに私のことで熱くなってくれて嬉しいわ。
「アリア先輩、俺も生徒会の仕事を手伝いますよ」
「え、そんな悪いわよ。あなた、生徒会とは何も………」
「リサのお姉さんが困ってるんです。それにリサも心配してました、お姉ちゃん最近帰りも遅くてきつそうだって」
「………」
「だから、リサのためでもあるんです」
「………でも」
「それに、メリットがないわけでもないですよ? 俺も来年生徒会に入ろうかなって思ってるんで。そのためにちょっと」
「………ふふ、よく考えているのね? それじゃあお願いしてもいいかしら?」
「はい! ありがとうございます!」
「いいえ、こちらこそありがとう」
本当に疲れていた。
だから、リサの大切な人に………。
………
……
…