4章5話
今日も学校楽しかったね、和人君♪ そんな幻聴が聴こえた。それくらい俺は春香を求めていた。それくらい寂しさが体に残っていた。一日の終わりが告げる。俺は春香と帰れないこの時間がどうしても寂しかったのだ。夕暮れが照らす。夕陽の色が孤独を加速させる。
俺はその夕陽に隠れるように帰り道を一人で歩いていた。
あの屋上の出来事から数日が経った。俺と彼女はあれから疎遠になった。疎遠といっても、俺からは一応連絡している。どうしても仲直りできないかとメッセージも送っている。だが、春香の返事は少ない。そして冷たい。俺と会おうとはしなかった。だから俺はこうして一人で帰っていた。
一人になって気付いた。俺は春香に支えられていたことを。春香のあの優しさを、あの暖かさを失った俺は、こうもダメになるのかと。
一人……それは海もいなくなったから。昔はアイツのことを先輩と呼んでいた。だが、もう心の中では、……いや、もう外でも先輩と呼ぶ気にはなれなかった。そんな生意気なこと昔はできなかったのになと一人で笑う。嫌、……昔だから、『子供』だからこそできたのかもな。体も、精神的にも。海に会おうと俺はアイツの教室に向かったことがあった。だが春香の姿ばかりか、海の姿も見ることができなかった。いつも一緒に登校する道にも来ることはなかった。二人して何があったのだろうと心配だった。俺にできることなら何でもしたかった。だが、俺にできるものは何もなかった。ただ、俺は春香達を傷つけることしかできないことは、俺自身が誰よりも知っていた、心で。だけど、それが無性に悔しかった。
悔しかったのだ。
だから俺は自分から『変える』ことを試した。春香が否定したこと。日常を変化させる行為。だが、この寂しい日常を過ごすことは俺には耐えられなかった。この孤独の日々を繰り返すことは嫌だったのだ。
俺は無力な自身に苛立ちを抑えることができなかった。だから俺は一歩ずつ成長したかった。いつか、いつか俺は春香を変えることができる、何故そのような根拠のない自信があるのだ。
一先ず学生でできることを探す。学生が身に付けるべきこととは、体力と勉学だ。だから俺は前から続けていた筋トレをよりきつくした。そして勉学。俺は教科書より難しいことを勉強したく、塾に通うことにした。教科書が退屈だったのもある。何度も見たことがあるのかのように頭の中に入ってきたから。だから今の時点で難関高校または難関大学をめざした塾に通うことにしたのだ。
塾が見える。さて、今日こそはわかる問題がないことを願って……
「……」
………
……
…
「……っと、もう時間だな。よし、ここは宿題にするぞ。それじゃあ今日の講義はここまで」
「「「 ありがとうございました 」」」
塾講師の精根使い果たしたような声で講義は終わる。まじめにこのクラスのやつらは返事をした。俺はこの真面目な感じが、この塾に入ったころから嫌に感じた。昔、こんな奴らに大事なものを傷つけられそうになった気がしたのだ。記憶にはないが。
ふぅ……終わったな。
授業も終わり一段落ついた。
帰りにどこか寄っていこう。無性に夜食を買いたい気分だった。夜遅くまで勉強したときのために何か口に入れるものが欲しかった。
「……ははっ」
ふとあることを思い出して笑ってしまった。前までは春香に夜食を買うことを止められていた。健康に悪いから、太るからと。その時に『太るのを気にするのはお前だろ』と言ったとき、あいつ拗ねたっけ。あの後はどうやって仲直りしたんだっけ……。……思い出に浸るのは今はよそう。何か気晴らしになるようなものが欲しかった。そう考えると、ふとあることが頭に浮かんだ。……そういえば、何か昨日CMで興味深いアニメがあった。何だろう、『ヤンデレ』っていうのが出るんだっけ? 普段は春香が早く寝るように急かすから深夜のテレビを見ることができなかったが、今は時間がある。少し面白そうだ。
……その前に。
その前に、春香に電話しよう。一日一歩、努力することが大事だ。変化させたい、俺達の今の関係を。だから携帯を耳に当てたのだが、繋がる気配はなかった。……仕方がない。また、明日からも頑張ろう。そう思いながら、全ての勉強道具を鞄の中にしまい込み、塾の机から立とうとすると、後ろを誰かが通った。急に気配がしたから誰かなと思った時、息が止まりそうになった。
「……ふんっ。何ここで電話しようとしてるんだか。どうせ彼女にでも電話無視されてるんでしょ」
花を、見つけた。
その花は孤高であり、誰もいないところに咲くような美しい茎と花弁。冷たさを持ちながらも、気品を感じさせる、薔薇のような人。摘み取ってしまったら、すぐに枯れそうだとそんなおかしなことを考えてしまう程、目の前にいる少女は綺麗だった。
何故、この少女の存在を俺は気付かなかったのだろうか。同じ教室にいて、同じ講義を受けて。何故彼女を知らなかったのだろうか。
「ちょ、ちょっと何よ……。何か文句あるわけ?」
何故俺は言葉を出すことができない? 何故俺は強く逃げ出したいと思う? 何故こうも罪悪感が湧いてくる? そして何だ、この焦燥感は?
わけがわからない程の気持ちが頭に怒涛のように駆け巡り、一気に気分が悪くなった。そして急激な吐き気がした。耐えきれなく、俺は口に手を当て、しゃがみこんでしまった。
「ち、ちょっと! どうしたのよ!? 気分悪いの?」
目の間の彼女が俺を気遣っているのか、背中を擦ってくる。そんな優しさが今は無性に嫌だった。春香という彼女がいるというのもある。だが、目の前の人から心配されるのが、何よりも嫌だった。そしてやっと口にだすことができたのはこの言葉だった。
「な、何で、……何で、ここに、いる?」
「は、はぁ!? 私がここにいたら駄目なわけ? 私もこんなところいたくないわよ! パパがどうしても通いなさいって言うから来てるの!」
強気な子だと感じることができて嬉しかった。ここが嫌だという孤独を感じることもできて嬉しかった。だが何故こんなにも初対面なのに感情を出しているのかと思った。……何故俺はこう思ったのだ?
「ほら、早く立ちなさい。行くわよ」
「ど、どこに……」
「決まっているでしょ。ここの休憩室よ。とりあえずあんた休憩しなさい。この状態じゃ帰ることもできないでしょ?」
優しいなと俺は思った。綺麗で優しいなんて、他の男がいたら絶対に手を出さずにはいられないだろうなと思った。だが、それが無性に嫌だった。優しくされるのも、そして他人に目の前の人が汚されるのも。そう自分勝手なことを思う自身に腹が立つ。だからこう答える。
「いや、いい。……一人で行ける。」
本当は誰かの肩を借りたい。それほど俺は疲弊していた。だが彼女だけには力を借りるわけにはいかない。
「うるさいわね。あんたみたいな病人同然の顔色のやつのいうこと何か聞かないわ。もう、本当に面倒なんだから……」
有無を言わせず、俺は彼女の肩を借りることとなってしまった。それが嫌だった。だが、彼女の体温を感じて驚いたことがあった。何故、こんなにも俺は懐かしいという気持ちを抱いているのだ?
だが、彼女と体を密着させると同時に、ポケットの中ではあることが起きた。
普段はまったく鳴らない俺の携帯。だが、それが振動していたのだ。長く、長く。メッセージではないこの長さは。そうだ、誰からか電話が来ているのだ。取りたかった、取るべきだ。
「ほら、キビキビ歩きなさい!」
そんな俺の焦りを知らずか、彼女は俺の背中を強く叩いた。
「い、痛っ……」
「ほら、そんな弱い声ださない! それにあんたそんなに、ナヨナヨしてないでしょ? ………あれ? 何で私こんな自然体で話せてるの? というか何であんたの体の強さとか知ってんのよ」
「知らねぇよ……」
「しかも、私がこんな面倒なことを……。あ、あんたがこんなにも弱弱しい、泣きそうな顔してるからよね……。あんたのせいよ、和人……。あれ? 私、何でこいつの名前なんて……」
何やら彼女も考え事をしているようだった。一方俺は頭がボーっとしてきた。体調の悪さが立ちあがると一気に体にきたのだ。だが、それまでにポケットの中の携帯をとりたかった。だが朦朧としてうまくとることができなかった。
そんな中、ふと横の彼女の顔を見てみた。近くでみた彼女の顔。甘い匂い。綺麗な髪。視界がそれで埋め尽くされると同時に、一つの声が頭の中に響いた。
『いや、助けて! 和人!!!』
え……?
そこからは濁流のように声が頭の中に溢れてきた。
『あなたは汚点なんかじゃない! あなたがひつようなの……あなたなしじゃ……』
聴いたことがない声。目の前の彼女の声。
『違うの、違う違うの!!!』
見たことがない泣き顔。目の前の彼女の涙。
『やめて! 私は、あなたのためならなんだってするから! 私にはあなたが必要なの…。私達は二人で一つなの……』
そして最後に浮かぶもの。見たくはないもの、そして俺を生まれ変わらせたもの。
『ひッ……いや…』
頭の中にスイッチが入ったような気がした。
そして、目の前には思いもしないことが、『人』が現れた。
「いや、和人君、和人君! その子から離れて! 離れてよぉ!」
電話を持ち、泣いている春香の姿だった。
だが、姿が違っていた。
その栗色だった髪は、『黒』に染まっていた。