3章3話
あの美姫排除未遂事件を皮切りに、美姫が話しかけてくれることの頻度が高くなった。
俺が孤立し始めたから憐れに感じたのかな? それとも、もしかして彼女はあれを聞いていたのだろうか? 俺は別に彼女がいたからああ言ったわけではない。これは本当だ。俺も感情的になり過ぎていたからそのような余裕がなかった。それに元からあいつらはあんまり気に入らなかったのだ。いくら美姫が可愛くて美しいからって、それを認める度量くらい持てよと、常日頃思っていた。それに自身の迂闊さに歯噛みしていた。俺がいれば美姫を周りから遠ざける結果にはならないと思っていたが上手くいかなかったことに加えて、自分と美姫の距離を縮める結果になってしまったこと。彼女は俺なんかが容易く近づくべきではなかった、俺といると彼女の世界が壊れてしまうのだから。
最近、強くそう思うようになっていった。だってそうだろう? 俺はただ汚く、悪意に満ちた人間だ。ただの汚物だ。綺麗な清流のような彼女に、俺という化学物質を流しているようなものなのだ。明らかに俺はこの世界にとって不純物なのだから。
……話を彼女に戻そう。この前の席替えで、美姫は俺の後ろの席になったのも頻度向上の一因である。今ではこうして休み時間の度に彼女は話しかけてくる。彼女は窓の外を見ながら髪をクルクルさせている。それは最近気付いたのだが、恥ずかしがっている証拠。俺と話していて何か変なことを考えているのだろうか。美容院でカットに失敗でもしたのか? いや、失敗しても可愛いのだけど。海とは違って。『ひどい和人君!』、……勝手に頭の中に出てくるな。何で美姫が俺を比較的気に入ってくれるのかわからない。だが、俺と絡んでくれる彼女に少しでも楽しんでほしい。せめてもの償いだ。
そんな俺の心を知ってか知らずか、彼女はこんなことを聞いてきた。
「なんであんたっていつもそんなに楽しそうなの?」
彼女は俺の感情を本当に知ってか知らずか、そんなことを言ってきた。こっちの心の機微が影響しての疲れを知らないでと、理不尽な怒りが少し湧いてきたので、正直に笑顔で応えてやった。
「それはお前がいるから……」
「もう、そんな恥ずかしいセリフ禁止よ!」
「はいはい。まぁ、実際お前がいるからこの学校に来ているって言えるよ。お前は楽しいか?」
最近俺に対して感情を表に出してくれる機会が増えた。俺の一言で、こうして顔を真っ赤にして俺に大きな声で話しかけてくれるなんて、今まででは考えられなかったのだ。
「もう、そんなこと言われても嬉しくないんだから。私は……そうね、前よりは暇していないわ。誰かさんが騒がしいおかげでね」
「あはは。お姫様を喜ばせることができて光栄だよ」
あの馬鹿共が使っていた揶揄。最初は使うのをためらったが、つい口を滑らせて使ってみてしまった。彼女が顔を赤らめてくれたことがあって嬉しくなったから、少しからってしまった。彼女は恥ずかしがっているのか、顔を逸らし窓の方を向いてしまった。
「もう! ねえ、今日暇? 暇なら付き合いなさい」
「はいはい、お姫様の仰せのままに」
「もう、しつこいわ馬鹿!」
こんな日常が春・夏・秋・冬と続いた。
俺達は図らずも二人の世界を築いていた。平日は放課後にカフェに行き、他愛もない話で盛り上がる。休みの日はこれまたカフェや図書館に行き、勉強の合間に冗談を言い合う。冗談で浮かべる彼女の笑顔が好きだった。彼女のどこか上の空な表情が好きだった。それはダイヤの輝きと水晶の儚さ。完全に俺は惚れていた。この日々は決して濃密ではない。だが、後から思い出すとかけがえのない日々だった。
だが、そんな日々に一人の女の子が現れた。
今日も美姫とカフェで勉強していた時。誰かが後ろから抱きしめたのだ。
「和人くんだー! 久し振りー!!」
それは、前回までの世界で保険として攻略してきた『B』だった。
………
……
…
「……和木谷、昨日のあれは何?」
「あー、彼女はただの小学校の先輩だよ」
「……ふーん」
朝自分の席に着くと、後ろの席から美姫が不機嫌そうな声で話しかけてきた。いつもよりも心なしか声が低いし、何より窓の外を見る彼女の顔の眉間に皺を寄せている。
このように美姫を不機嫌にさせている理由。それは昨日美姫とカフェに行ったとき、偶然会ったB(海と同じ学年の元気っ子だ、頑張って思い出してくれ)に後ろから抱きつかれてしまったからだ。
「和人くんだー! 久し振りー!!」
予想できなかった出来事に俺は心底驚いた。驚いて手に持っていた紅茶を少しこぼしてしまった。何故予想できなかったのか。それはこの時間軸では『B』とは面識がないはずだからだ。確かに小学校までは一緒だったという事実はある。この時間軸では6年の頃に記憶が戻ったこともあり、攻略するための時間はなかった(まあ攻略するつもりもなかったが)。だから交流はなかったはずだ。今はC,D達と同じ年。小学校の、それも違う学校に行った先輩後輩なんて今でも交流がある方が珍しいだろう。それも異性。こうして抱きしめられるほど親交を深めていなかったはずだ。
「お、お久しぶりですね、びー、……すみません、先輩。突然抱きしめられたから、びっくりしてこぼしてしまいましたよ」
皮肉を交えながらBと向かい合い微笑む。微笑みの裏では記憶を遡ろうとしていた。この時間軸ではいつBと本当に出会ったか、会話したか、絆を深めたか。でも、何も思い出すことができなかった。その事実に冷や汗が出た。
そんな俺の心の内を知らずか、Bは朗らかに笑いながら話を続けた。
「えへへ、ごめんね。でも、久し振りに和人君と会えたから嬉しくって。……ねえ、今までどこにいたの? 会えなくて寂しかったよ?」
圧力があった。明らかに重い響き。こんなBの声を聴くなんて初めてだ。唾をのみ、一呼吸置き、俺はやっと口を開くことができた。
「……あはは、あまり話したこともなかったのに、『再会』を喜んでくれて、こちらこそ嬉しいです。どこにいたかって、……私立の中学に今は通っています。だから今まで会うこともなかったんでしょうね」
「へー、……『再会』、ねぇ。……ふーん、そうだったんだ……。ねえ、どうして私と同じ中学に来なかったの?」
「勉強が楽しかったからですかね。もっとハイレベルなところで学びたいから受験しました。今ではその選択が正しかったと思います。先輩には申し訳ないですけど。毎日充実はしています」
その言葉を聞いてBは美姫の方を向き、笑みを深めた。
「……ふーん。楽しそうでよかったね。可愛い彼女さんがいるからかな? ……羨ましいなぁ。……じゃあお邪魔みたいだからもう帰るね。……和人君、『また』ね」
そう言ってBは帰ってくれた。また美姫と二人きりになったのだが、変な空気があった。それに耐えきれなかったのか、美姫は
「……私、今日は帰る」
「……わかった。今日はごめんな」
その時はこれで解散したのだ。充分なフォローができず、様々なことを考えながら帰ったのだった。そして今、こうして美姫に昨日のことを聞かれていた。美姫も何か感じたことがあったのだろうか。
「……彼女じゃないの?」
「俺は彼女とかいないよ」
「……その言葉、信じていい?」
「ああ、いたらこうして美姫に話し掛けない」
今、俺は真剣に美姫のことだけしか頭にない。だからそんな思いがストレートに言葉にのってしまった。その思いが少しだけ伝わったのか、美姫は顔を赤らめて、今度は机の上に視線を移した。
「う、うん……」
………
……
…