眠り姫をこの腕に
それは何とも、普通の依頼だった。
「娘の不眠症を治して欲しいんです」
俺は、目の前の。
少し離れた場所に置いてあるソファに、どっしりと座っているおじさんを前にして、顔を両手で覆った。
はあああ、と大仰に溜め息を吐きたいが、それはさすがに失礼にあたると思い、ぐっと我慢する。
「大谷さん、大っ変、言いにくいのですが」
白髪交じりのおじさん。
ちょっとした距離があるので、聞こえるようにと少しだけ大きな声を張る。
そして、顔を覆っていた両手のうち、右手をささっと上げる。
彼の視線を、部屋の壁際にいざなってから、言った。
「心療内科は、お隣です‼︎」
大谷さんは、その何の変哲もない壁に目を向けてから、視線を戻してまた俺を見た。
「ああ、ええ。そちらで、こちらを紹介されたものですから」
その言葉で、かなり濃い殺意が芽生えてきた。
(あのヤロ〜、また自分ところの患者、回しやがってえ)
俺が、イライラと右足を貧乏ゆすりしていると、
「あはは、新谷先生が仰ってた通りですねえ」と言う。
「何ですか、それ」
訊くと、大谷さんは笑いながら続けた。
「貧乏ゆすりのサダって、言われてるって」
ぐわっと怒りが上乗せされた。
そして、大谷さんは、さらなる怒りを煽ってきた。
「貧乏ゆすりが始まったら、こちらに避難してきてください、とね。それにしても、何をそんなにイライラしてるんですかあ。一度、新谷先生に診てもらったらどうです?」
ぷつん。
そして、俺はいつものように、部屋のドアを壊れるぐらいにどかんとブチ開けると、しんたに〜‼︎ と叫びながら、隣のドアもブチ開けた。
✳︎✳︎✳︎
依頼に来た大谷さんを玄関で見送ってから、俺はこの一件でのかなりの疲労を、一人分のスペースしかない狭っくるしい風呂で癒すと、冷蔵庫の中からビールを取り出し、喉へと流し込んだ。
首からかけていたタオルで髪を拭くと、先ほどの新谷の得意げな顔が思い浮かんできて、辟易する。
「ご迷惑でしたか? サダさん、最近ヒマヒマって仰ってたので、お仕事をと思ったんですけど」
ビールを盛大にあおって全部空けると、俺はシンクへとスローインして、ベッド代わりにもなるソファへと、どかっと座った。
「そりゃ、確かに俺の仕事は普通じゃねえし、ここんとこ、依頼もないからヒマっちゃヒマなんだけどよう」
俺には、特殊な才があって、それを使って現在の仕事をしているのだが、これは本当に特殊過ぎてヤバいので、あまり大きな声では言いふらせない。
よって、堂々と看板も掲げられないのだから、依頼もほとんど無いし、仕事と言うにはかなりショボいのも否めない。
だから、このビルの一階、『カフェ白雪』でバイトを掛け持ちしている、いわゆるフリーター、なのだ。
本来の正式な仕事の収入である依頼料よりも、白雪でのバイトの給料の方がはるかに多いという。
なので、どちらが本職か。
それは、そう問われた時、本人でさえもその答えに言葉が詰まるという事実を考えると、俺はカフェの店員、道賀 定一と自己紹介するしかない。
まあ、そっちのカフェの話は置いといて。
もう一つの職の話をするとだな。
俺のお仕事事情における大問題、と言えるのが。
その依頼のほとんどは、隣の『しんたに心療内科』からの依頼に頼っている、という事実。
そう考えるだけで、心底心底、本当に心の底から本当に、地団駄を踏んでしまうくらい悔しい思いが湧き上がってくるが、実際その紹介がなければ、俺はこの特殊な才能の使い所を得ることができないので、現状に甘んじているという。
悔しいが、認める他はない。
そして、その才能とは。
「人を眠らせること」
そう、俺は他人をいとも簡単に眠りにつかせることができる。
どうやら俺は、俺の近くにいる人々に対して眠気を誘うようなオーラとかフェロモンとかを垂れ流しているようだ。
幼い頃から、その能力があったのかどうかはよく分からない。
俺は、早くに両親を亡くしているので、確認するすべもない。
だから、おかしいなと気がついた時にはもう、それは『異変』というカテゴリでしか扱うことができずに、持て余すどころか大いに悩んで悩み抜いて、受け入れた結果の、このちんまりとした職業なのだ。
人を眠らせるというこの能力は、俺の成長によって、どんどんと強いものになっていった。
大学の時にはすでに、講義の真っ最中、俺の両隣に座ったヤツなんかはもう、完全に夢の中へと落としていたし、どれだけ教授に怒鳴られてもはたかれても起きることなく、ぐっすりと眠り込んでしまう。
だから、その原因が俺だと気づいてからは、誰も座らないような一番後ろのすみの席に、息をひそめてなるべく誰かに声をかけられないようにと、無の境地で座るようにしていた。
そうなるともう、元々少なかった友達は離れていって、俺の人生は散々で。
そんな特殊体質を容認してくれた最後の友達が、新谷だった、という。
そして、この才能には厄介な一つの弱点(?)がある。
それは周りのみんなを眠らせつつ、自分も寝てしまう、という何とも間抜けなものなのだ。
「やっぱり、合コンは避けた方が賢明ですね」
ある日、カラオケ店の駐車場で、新谷が腰に手を当てて仁王立ちで言った。
「俺も……寝てた?」
「一緒になって寝てましたね」
「はああ、そうか……」
一次会の食事では、何だか今日は眠いわ〜俺も〜くらいで、やり過ごせたが、二次会のカラオケに来た途端に、席は全滅。
一つのテーブルに、六人が一斉に頭を突っ伏して、爆睡していたという。
そこに、今回の合コンの噂を聞いた新谷が駆けつけてくれて、俺を部屋から引きずり出してくれた。
「女の子を眠らせてしまうのは、ちょっと犯罪くさいですからねえ。気をつけてもらわないと」
「おい、俺はそんなことっ。っていうか、俺も寝ちゃうんだから、何もできんだろ。実際」
「けれど、はたから見れば、完全にこれ犯罪ですよね。でも、良かったです、私が来て。心配だったんです、どうせこんなことにでもなっているんじゃないかなって」
その仁王立ち、鼻につくから、もうヤメロ。
「なんのお咎めもなく済んだのは、私のお陰ですよ」
愛車のフィアット500の運転席に乗り込んで、バタンと閉めると、エンジンをかけ、プッと軽くクラクションを鳴らして、帰っていった。
しかも。
俺を置いて、だ。
毎回、毎回、そうやって、恩を着せて帰っていく。
そう、新谷は俺と一緒にいても、俺と寝ない唯一の女なのだ。
「ちょっと。誤解されるような言い方、やめてもらえませんか。私にあなたの力が効かないからって、そういう表現の仕方は、セクハラですよ」
「だって、本当のことだろう」
「だとしても、それは私のコーヒー好きが功を奏しているってだけですよ。カフェインのおかげだって、いつも言ってるでしょ。何度も、定番のツッコミさせないでくださいよ」
そんなわけないだろう、ツッコミ返しをしてから、新谷の診療所を後にする。
「くっそ」
俺はこいつにいつまで経っても勝てる気がしない。
認めたくはないが、いろんな面で俺は負けていて、こいつは俺のことを屁とも思っていないのだ。
俺がイライラと右足を貧乏ゆすりし続ける理由は、そこ。
「何が貧乏ゆすりのサダ、だ。お前がその一番の原因なんだろうがよ」
俺は、冷蔵庫から新しいビールを取り、プルタブをガチガチと指で鳴らしながら開けると、一気に喉へと流し込んだ。
✳︎✳︎✳︎
「ねええ、本当にこの人、大丈夫なの? あやしくない? おじさん、変なことしないでよ」
生意気な小娘にそう言われて、俺はムカついて反論するようにして言った。
「おい、俺はおじさんじゃねえし、変なことにならんように、こいつを連れてきたんだろうがよ」
新谷が、手を挙げる。
「大丈夫です、私が付き添いますので。それにお嬢さん、サダさんはこう見えても、二十八歳です」
「うっそー、見えん」
「この無精髭と、ダサいTシャツを何とかしてくれれば、歳相応なんですけど」
「そうかなあ、それでも二十代ってのは笑えるう。まいっか、三十ってことで。それよりさあ、二人は付き合ってんの?」
俺は出されたコーラの炭酸を、泡を二倍に増量して、吹きそうになった。
「お、おま、」
「恋人っぽいも〜ん」
口を手の甲で押さえながら、反論しようとすると、新谷が先手を打ってくる。
「あのですねえ、」
一呼吸置いて、次々にまくし立てた。
「まず、こんなサダさんにねえ、彼女がいるように見えますか? 見えないでしょう、それが正解です。私はただの、同級生の、顔見知りの、」
そして、息を吸ったかと思うと、
「隣人です」
ここまでキッパリと言われると、新谷ってお前に気があるんじゃねえの、と大学の同期に言われていた噂も木っ端微塵になって砕け散る。
「…………」
俺は、ぼりぼりと頭を掻いて、やだあ、髪の毛落とさないでよっと、女子高生にも木っ端微塵にされながら、深く深くうなだれた。
仕事の依頼じゃなければ、ゴジラのように大暴れしてから、ドアをバシッと閉めて帰ってやるのに。
「もう、やだ」
俺は、もうほとんど飲んでしまって、氷水だけになったコップにささっているストローを勢いよく吸い上げた。
✳︎✳︎✳︎
「では、不眠症になった原因というのは分からないんですね?」
「うん、特になんも悩んでることもないし、気になって眠れないっていうようなものも思いつかない」
「そうですか」
新谷が、手帳にメモを取りながら、思案顔をする。
手帳を何枚か、前へとめくっては、ふんふんと相づちを打っている。
「なんか、分かったか?」
俺が横やりを入れると、新谷が顔をこちらへ寄越すのだが、それがもうひやりと冷たく、理由もなくその顔はキツい。
肩をすくめて、俺は尻ポケットから携帯を取り出した。
着信音で眠りを妨げないようにと、マナーモードにする。
「おじさん、何それー‼︎」
女子高生が、もといアキラ(っと、アキラちゃんって言ったら、キモっやめて、と言われた)が、怪訝な顔をして、側へと寄ってくる。
あぐらをかいていた俺は、それを立て膝に戻して、足でアキラの侵入を阻んだ。
「おい、見るなよ。人の携帯見んの、マナー違反だろ」
「えっ、それ携帯なの? うっそ、ガラケーってやつ? 初めて見るわあ。ちょっと見せて見せて」
「なんだよ、それ。最近は、みんなスマホなのか。なんかムカつくな」
俺は、立て膝の足を、イライラと左右に振った。
世の中ってやつは、何でこうも俺をイライラさせるんだ。
振った足が、アキラの肩に当たって、アキラが飛び退いた。
「ちょっとお、痛いじゃん。ちょっとくらい見せてくれてもいいのに。ケッチいな」
「サダさん、どうせ隠すものも何もないでしょう。見せてあげたらどうですか」
新谷に言われると、軽くダメージがくる。
それはやはり、俺の中では新谷に対する多少の親愛の情があって、それを俺がなんやかんや言いながらも認めているからであって。
「ちっ、わかったよ」
大仰に舌打ちをしてみせてから、俺は二つ折りの携帯をアキラへと放った。
「うわあ、すごい。何これ、折れるう」
はああ、とため息をつきながら、ベッドの横に敷いてある布団の上へと寝転んだ。
頭の下に両手を入れて、天井を見る。
ボタン、ボタン、このボタンの感触う、などとはしゃぐアキラの声を遠くに聞いていると、眠気が一気に押し寄せてくる。
「おい、もうまずいぞ。俺、寝ちまうから、お前らも布団に入れ」
「ふわあ、ねむう」
アキラがこちらへと携帯を放ってから、二人もすぐにベッドに入り込む。
新谷とアキラは、同じベッドへ。
俺は、その側に敷いた布団で寝ることになっている。
女同士でも、もういい大人が二人だから、ベッド一つではかなり狭いはず。
そう思いながらも、俺はやってくる眠気に抗えず、意識を手放した。
✳︎✳︎✳︎
「うそお、寝れたあ」
ボサボサの頭をゆらゆらと揺らしながら、アキラはベッドの上で座っている。
俺はそれを、ぼんやりとした眼で見ていた。
「んんん、眠れたかあ、それはよかったな」
上半身を起こそうとして、何か重みを感じる。
身体をひねると、そこに新谷の寝顔があった。
俺は慌てて、俺の腰に回されていた新谷の腕を持ち上げて引っ張ると、おい、と声を掛けた。
「おいぃ、お前、何でここで寝てんだよ」
んーという新谷の口元には、よだれが垂れている。
それがあまりにも生々しくて、俺は眼をそらせた。
「あふ、今日一回も、起きんかったあ」
アキラの独り言のような言葉をスルーし、布団にあぐらをかく。
他人と眠った時は、いつもぐっすりと眠れるからか、朝の目覚めも良い。
俺は、ドアをノックされる音と、なんとなく漂ってくる目玉焼きやウィンナーの香りを感じながら、両腕を突き上げて伸びをした。
そして、アキラも同じように伸びをしているのを視界に入れながら、一階へと降りていった。
✳︎✳︎✳︎
「アキラさん、あれからすぐに、寝てしまいましたよ。さすが、サダさんですね。どんな薬より、効き目があります」
朝食の席で、その成果を披露しながら、新谷はそれを一週間ほど、続けるとのたまった。
「朝起きたら、すぐにカーテンを開けて朝日を浴びること。送迎はやめて、徒歩で通学すること。あと、」
ここで新谷が、口ごもる。
「すみませんが、スマホは一階に置いておいてください」
「えええ、でもLINEがあ」
不服申し立てが入る。
アキラが、唇をとがらせて、ムスッ。
けれど、新谷はお構い無しに続けた。
「それが原因だと思います」
「え、マジでか。そんな理由かよお」
俺が不服そうに言うと、新谷は俺を見て、頷いた。
「昨日も、着信音がピロピロとすごかったです。あなたたち二人はぐっすりだったので起きませんでしたが、私は何度も起こされて不愉快でしたよ」
「学校の友達とか、」
背後の母親の気配を気にしてか、アキラが小声で言う。
「あと、彼氏が、さあ……」
「それは知りません。あなたのスマホ、何度、叩き壊そうかと思いましたよ。途中で、枕の下に入れましたが、それでも頭の横で、ピロピロやられちゃ、眠れやしませんから、途中で避難したほどです」
俺はウィンナーを口に放り込みながら、言った。
「そんで、こっちで寝てたんか。そんな、すごかったんだなあ。でも、それで寝れないんじゃ、やっぱそれを何とかするしかねえなあ。アキラ、お前、夜はスマホ禁止な」
アキラの父親、依頼者である大谷さんはすでに仕事に行っていて不在だ。
こんな言い方、まるで親父の言い方じゃねーかと苦笑しながら、俺は白飯のお代わりを頼んだ。
「でも、アキちゃん、眠れて良かったね」
アキラの母親は、ご満悦だ。
お代わりの白飯を、俺に渡してくる。
「そういうわけなんで、お母さん。夜はスマホを預かってもらえますか?」
「わかりました。新谷先生、お代わりは?」
「いただきます、それと味付け海苔もいいですか?」
二人で朝食をこれでもかと言うほど平らげると、お互いの家へと帰った。
✳︎✳︎✳︎
「しっかし、今の若者ってのは、当たり前のことができねえんだな。ラインっての、あんだけ頻繁にやってちゃあ、そりゃあ眠れなくもなるっつーの」
「そうですね、スマホの明るいライトを寝る前に視界に入れるのも、不眠症の原因の一つです。テレビやパソコンの明かりでも同じようなことが言えるんですよ。脳が覚醒しちゃうんです」
「そういやあ、最近の鳥とか蝉とかも、街が夜でも昼みてえな明るさだから、昼間と勘違いして夜通し鳴いてることって、あるもんな」
新谷が、残りのビールを飲み干すと、冷蔵庫から缶ビールを取り出して戻り、手酌で注ぐ。
「自然の営みに基づいて生活するのが、一番いいんですけどねえ。朝に太陽の光を浴びるというのも、自分の身体に今は朝だと、言い聞かせるようなもんですし」
「でもまあ、良かったよ。今でも、なんとか眠れてるんだろ」
「サダさんの、ヘンテコな力も役に立つことがあるんですねえ」
少し酔っ払っているのか、いつもは見せない、へらりとした顔を寄越す。
美人だと思う。
よだれを垂らしているのを見たのは、今回が初めてではないが、よだれを垂らしている腑抜け顏でも、美人だと思う。
しかも、医者になるくらいだから、頭も良いんだよ、これが。
側にいる男の俺が、こんな体たらくではいけないと何度、思ったことか。
だからこそ、俺は日々修行なのだ。
新谷と、肩を並べて歩きたいと願って。
新谷に足る男になりたいと願って。
まあ、見ての通り、そうそう人生は、思い通りには進まないのだがな。
「今回は、サダさんのおかげですよ。さあ、もっと飲んでください」
普段より、20パーセント近寄りやすい顔で、俺に缶ビールを勧めてくる。
(こいつにとって、俺はただの隣人、なんだろうけど……)
俺は、勧められた缶ビールを受け取ると、手酌でコップへと注いだ。
✳︎✳︎✳︎
「おいおい、だからと言ってこの仕打ちはねえだろ」
天井を見上げて、この状況をもう一度、確認する。何度、確認したところで、見知らぬ部屋で、見知らぬおっさんと布団を並べている事実は変わらない。
「いやあ、やっぱり新谷先生は、いらっしゃらないんですね」
「当たり前だ、ボケ。こんなむさいところに、寄越せるかよ」
俺のミューズ、を。
そう続けると、途端にぶわっと寒気が走る。
俺って、しょーもな。
「新谷先生は、付き合ってる人とかって、いるんですかねえ」
新谷の患者の一人、これまた不眠症を患っているという金木が、ため息とともに呟く。
「知らんっ」
俺は、仕事とはいえ、何でこんなおっさんに付き合わねばならんのだと、新谷を少しだけ恨む。
しかも、こいつは完全に、新谷を狙っている。
牽制するため金木の動向をよく知っておきたいというのもあって、俺はこの依頼を承諾した。
「告っちゃおうかなあ」
おっさんの独り言に付き合う気にもなれないが、もうこんな状態が5日も続いていて、心底、辟易する。
面倒臭さが勝って、言葉が乱暴になる。
「コクって、玉砕したらいいじゃねえか」
「玉砕かどうかは、わかりませんよね」
「玉砕に決まってる」
金木がこちらを見たような気がする。
枕元で頭を動かした音がした。
「いいんですか、サダさんは」
俺が顔を横にひねると、やはり金木はこちらを凝視していた。
「俺は、関係ないだろ」
「そうですかね」
「もう、寝ろよ。俺は、眠くなってきたからな。多分、お前も寝れるだろ」
「ええ、なぜか、眠気がきてますよ」
分かっている、このままじゃダメだってことはな。
そう思った気がするが、そのまま気を失うようにして、眠りに落ちた。
✳︎✳︎✳︎
だから。もう。本当に、俺は今、固まっている。
「金木さんに、プロポーズされました」
新谷が、もう一度、真面目な顔を寄越してくる。
金木が一週間、ぶっ通しで俺の耳元で同じことを言い続けていて、サブリミナルされたような気になっていて、やっぱりそうかと思う。
とうとう、この日が来たかとは思ったが、まだ現実味はやってこなかった。
けれど、俺が「ふうん」と、何ごとでもないような、そんな返事をしたら。
「……付き合ってみようかと思っています」
「えっ‼︎」
衝撃であまりに大きな声を上げてしまい、自分でもビックリする。
どかんと身体が爆発した後は、時間もその身体も、身体を流れる血液すら、全てが固まって止まった。
自分がどんな顔をして、新谷を見ているのかも、わかってはいない。
けれど、新谷の顔は。
弧を描く眉は、その眉尻を下げ、眼は細められていて、その憂の瞳を隠すように睫毛が伏せられている。
美しい、鼻梁。
そのラインには、陰が差していて、いつも俺はその陰影にはっとさせられるのだ。
引き結ばれた唇は、口角が少しだけ上がっていて、薄っすらとした笑みを浮かべていた。
固まった脳でも、それらは鮮明にして、美しい。
それだけ、新谷はもう、俺の中のものなのだ。
もう、離せない。
それに気づいて、俺は口を開けた。
「それは、よせ。やめるんだ」
ようやく絞り出した言葉に、新谷はくしゃりと顔を歪ませる。
「どうして?」
その問いに、答えは出ているはずなのに、口からは出ない。
長い沈黙に耐えられずに、新谷はほうっと細い息をついた。
「……わかりました。サダさんの、言う通りにします」
眼が伏せられ、その拍子に涙が一筋、零れ落ちた。
新谷の震える身体の振動を感じて、そのまま大泣きに泣くのかと思い、そして零した涙は俺が全部、掬い上げたいと思った。
頬を両手で覆って、この手の中に、包みたかった。
その欲望が止められなくなり、俺は知らぬ間に、両手を上げていた。
その格好で、何も言わないのも何だかなあと思い、俺はようやく口を開いた。
「……俺と一緒に、眠ってくれ」
すると、新谷は、おや、という顔をして、頬を伝う涙をその細く長い指の先で、静かに拭った。
その奥に宿る悲しげな要素は、そのままに残しながら。
「サダさんの、だらしない寝顔を、ずっと見ていてあげますよ」
けれど、新谷はそう言って、俺の両手の中に、するりと滑り込んできて、俺の頬にその涙を塗りつけてから、背中へと両腕を回した。
✳︎✳︎✳︎
何ということだ。
どういうことになっている。
俺の隣に、俺の眠り姫が眠っている。
寝ぼけ眼でその事実に驚きながらも、俺は身体を起こす途中で、動きを止めた。
そっと手を伸ばす。
その手をどこに着地させていいのか迷わせた挙句、指を折って、人差し指と中指の二本だけにすると、新谷の頬にそっと触れた。
「……おはようございます」
眼を開ける。
花が開花するように。
俺は枕へと、そっと頭を預け直して横になると、今度は新谷が手を伸ばして。
それが頬を包んできて、ほわっと温度を感じる。
新谷は、にこっと笑うと、「よだれの跡、ついてますよ」
俺は、ははっと笑って、その手を握った。
お前も、な。
そう言って、その手のひらに、口づけた。