7.誕生日会だったもの
今日はわたしの6歳の誕生日パーティーだ。
とはいえ、まるで披露宴のように人を招き盛り上がるような催しではない。
…一応貴族の娘だから、そのうちそういう方向に切り換わる可能性は十分にあり得るけど。
今は自室でいつも以上に気合いの入ったドレスに着替えさせられ、更に念入りにマルガに髪を梳かして貰っている。
ふわふわとした感触のわたしの髪は、傷みやすいからかなり丁寧に梳かす必要があるのだが…わたしの背後にはそんな繊細な仕事を丁寧な仕草で、何故か上機嫌で作業しつつ、時折交わされるお喋りにも付き合ってくれるマルガの発音が、気のせいか微妙におかしい。
具体的にはアレだ、ガムを噛みながら喋る人みたいになってる。本当に微かな差なのだけど、思い返せば前にも…。
…まぁ、彼女も育ち盛りの女の子だ。仕事中でもお腹が空くことはあるだろう。一応使用人としては有るまじき職務態度なのだけど、わたしが気付かなければ何も問題はない。
「モゴ…これで良いでしょう。さて、お時間も頃合いですからそろそろ参りましょうか、お嬢様」
振り返ると、髪の一本も絡まっていない綺麗なブラシを手に、コクリと喉を鳴らし微笑むマルガ。
…一瞬奇妙な違和感を感じた気がするのだけど、わたしはいつも通り一瞬で忘れることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
会場になっている大広間は至る所が花などで飾られていて、お屋敷中の使用人たちが並んで恭しく跪き、その向こうでは両親がニコニコとわたしを見つめている。
何故か床には大きな円で囲まれた複雑な幾何学模様が描かれ、その辺りからたまにピシピシと硬いものがひび割れるような音が響いているのだけど…これも誕生日の演出なのかな?
んー…異世界の風習はわたしには難しいようだ。
とりあえずわたしは二人にてくてくと近付くと、スカートの裾をちょんと摘み上げ腰を折り、ちゃんと気合いの入った挨拶をする。
「おとうさま、おかあさま、ほんじつはわちゃくしの……わた……ゔー……」
舌ったらず過ぎる幼女の構造が憎たらしい。
クッソ、もう誤魔化せないし恥ずかし過ぎるから、ここはアレで押し通そう。
「えっと……きょうはティーシャのおいわいをしてくれてありがとう!」
全力の幼女スマイルも上乗せして強引に〆る。
一応両親の前ではそこそこ丁寧な対応を心掛けようと頑張ってたのになぁ…いつもより頑張ろうとしたのが裏目に出たっぽい。
……うん、今後の課題だなぁ。少し前に始めた発音練習もまだ全く成果が見えないし。
クツクツと絞ったような小さな笑い声。
見ると、お父様とお母様は揃ってこちらを見て笑いを堪えていた。
思わず頰を膨らませると、二人共半笑いのまま慌てたように言い繕う。
「ぷっ…ティーシャよ、立派な挨拶であったぞ」
「そうね、淑女として十分な気品を感じられたわ…ぷっ」
「……うー…」
なんだろう、この『綿飴を洗ったアライグマ』でも見るような全方位からの視線の嵐は。いや、この比喩はこっちの世界では多分通用しないから言わないけど。
なんだか以前から小動物扱いされているような気がしてはいたのだけど、そういう扱いは不本意だ。
……もっとちゃんと愛して欲しい……。
そんな気持ちが胸いっぱいに溢れる。
「あっ」
お母様の口から小さく焦ったような声が漏れる。
その次の瞬間、シャンデリアでも落としたような音が響いて、床の紋様が『砕けた』。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
あれから2日、あの時何があったのは詳しく教えて貰えなかった。
ただ、前と同じような事故だと。
わたしはあの音の直後にはなんか宇宙服みたいな装備に身を包んだ誰かの手によって担ぎ上げられ、そのまま物凄い速度で部屋まで戻されていたのだから、わたし自身が見たものなど何もない。
…いや、宇宙服と言うには余りに洗練されていない無骨な印象…敢えて例えるなら、生前読み耽った古い冒険小説の挿絵にあった潜水服のように見えた。
光すら届かない海の底を巡る未知の冒険に胸を躍らせつつも、同時に終始付きまとう重苦しい不安と恐怖に感化され眠れない夜を過ごしたことをふと思い出す。
まぁ、そんなことはともかく…宇宙服にしろ潜水服にしろ、それらに共通する設計思想はただ一つ……「徹底的な気密性」しか考えられない。
つまり、そこまでして「何か」から身を守る必要があったということで…なにそれこわい。
え、この世界の貴族のパーティーって事故るとそんな災害になっちゃうの?
そもそもあんなゴツいのを事故発生を見てから身に付けたはずもなく、ある程度の危険予測がされていたことは間違いない。
……多分わたしは真っ先に救助されたのだろうけど、お父様とお母様…それから他の皆は大丈夫なの? お陀仏とかしてないよね!?
しかし確認しようにも部屋にはマルガしかおらず、使用人としての意識が高い彼女がうっかり何かを漏らす訳もなく、頑張って問いただしてもはぐらかされ…いや、そもそもあれから一歩たりとも部屋を出ていない。
次々と思い浮かぶ最悪の想像に食事すら喉を通らなくなり、空っぽの胃が痙攣する不快感に懐かしさを覚える頃になってようやく、部屋に両親が訪ねて来た。
……否、押し入って来た。
「大丈夫かぁぁぁぁああああティーシャ!!」
「待たせたわね! でも私が来たからにはもう大丈夫よティーシャ!!」
ドアの蝶番を歪ませる程の勢いで飛び込んで来た二人の姿を目にしたわたしは…気が付けばボロボロと涙を流していた。
…嗚呼、わたしはこんなにも愛に飢えていたらしい…。
「お゛か゛ぁ゛し゛ゃ゛ま゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ!!!!」
「ティーシャあぁあぁぁ!!!!」
「えっ、父は!?」
呆然と立ち尽くす約一名をスルーして、わたしとお母様はひしと抱き合う。
異常な程沈み込む肉のせいで、すぐ呼吸とかが大変なことになるけど気にしない。
…気にはしなかったんだけど、さすがに全身の色が変わる頃にはマルガに引き剥がされた。
うん、栄養不足による貧血も加わってちょっと危ない領域に片足を突っ込んでたかも。
そのままベッドに運ばれてしばらく、一応息は整って上半身を起こしたりしてた辺りで、お母様が取っ手の付いた金属製の容器を差し出して来た。
…なんというか、某名作アニメ映画の肉団子ふたつ入れるような感じのアレ。
手に取ってみると、ずっしりとした中身が熱を帯びていることが伝わって来る。
「私特製の栄養食よ。弱った体に治療魔術は逆効果だったりもするから、とにかく食べて精を付けるのが一番なのよ?」
「ありがとうおかあさま! じゃあ…うっ」
お母様の手料理なんて初めてだと喜びながら蓋を開けた瞬間、わたしはフリーズした。
…えーと、とりあえず中身が奇妙な色の粘性の半固体状なのは別に良い。食べ物の色に罪はないし、ドロドロは病人食の定番だしネバネバはスタミナっぽい。
強烈な漢方薬っぽい臭気も前世の経験で慣れているし、むしろ体に良さそうだから上出来……なのだけど、明らかなアルコール臭は駄目だと思う。わたしこの前6歳になったばっかりだよ?
しかし極め付けはその二つの臭気に混じった異臭…血生臭さだ。この表現の難しい色の原因の半分くらいはコレじゃないかな…とにかくこれは駄目だ。動物用の飼料ですらない。
わたしは硬直する首を強引にお母様に向け口を開き…かけて、再びフリーズする。
お母様の真摯さと期待が嫌でも分かるくらい表情に出ている。
うん、これは詰んだかも。
せめて足掻こうとお父様に目を向けると…頭を抱えてしゃがみ込もうとしていた。
その口からはブツブツと「よりによって『煉獄の晩餐』を出すなんて…アレは騎士達ですらトラウマなのだぞ…」などと漏れている。
わたしは静かに覚悟を決めた。
一時間半後。
ようやく「収納」が終わったわたしは、グッタリと倒れ…ることすら出来ずに、食道だったモノの角度をキープしていた。
…うん、3口目で早々に「わたしはビニール袋わたしはビニール袋わたしはビニール袋わたしはビニール袋」って念じなきゃとっくに召されてた間違いない。
異常を訴え続けるビニール袋とグルグルする頭と熱を帯びる身体を意識から切り離して、わたしはお母様に精一杯の感謝を述べる。
ぶっちゃけ口の動きすら把握出来てないけど。
それを受けてようやく安心してくれたらしいお母様は、そのときになってようやく思い出したかのように振り返り手を打ち鳴らした。
その合図を待っていたらしい使用人たちが、布の掛けられた大きな何かを部屋に運び込む。
「ふっふっふ、遅れたが誕生日おめでとうティーシャよ。祝いの品を贈ろう」
「ティーシャの可愛らしさに似合うよう特注したのよ?」
「ありがとうおかあさま!」
「え…父は…?」
「さぁ、布を外して見て頂戴。きっとティーシャも気に入るわよ?」
「わくわく」
わたしは早鐘のように打つ心臓を心の中で宥めながら、覆っていた大きな布を取り払う。
現れたのは…………え?
そこにあったのは、大きな大きな…鍵付きの観音扉だった。
だんだんGWのしわ寄せが積まれて来たので、以降の安定更新は無いと思ってください。