3.魔術は本当にあったんだ
なんとか使用人たち全員が復活して、それからグスタフお父様が筆頭執事レミーの斜めチョップで再起動する。お父様は昭和家電だった。
ああ、サラお母様もロボットのような動きでやっと席に辿り着いたようだ。首がまだコクコクしてるけど、きっとこの世界では赤べこが人気なのだろう。
…うん、わたしも正直こんな光景は見慣れているし問題ない。
そうしてようやく楽しい食事の時間だ。
厨房から温められたパンや良い香りのスープなどが運ばれて来る。ここのお屋敷はちゃんと厨房と食堂が隣接した合理的設計みたいだ。
温かいスープを、まず口に含む…美味しい。正直野菜の種類はさっぱり分からないけど、春先特有の柔らかさと甘さを感じる優しい味付けだ。
メインの肉は上質の豚肉だと思う。きっと良い餌で大切に育てられたに違いない。
やっぱり種類の分からない幾つかのハーブがどの料理にも使われている。控えめに使われている胡椒のような刺激のあるハーブが良い感じ。
わたしが大満足の食事を楽しんでいる間に、お父様は片手間に使用人たちから報告を受けているようだ。マルガもそれに混ざっている。
ふんふんと話を聞いていたお父様が、唐突にこちらに顔を向け私に尋ねた。
「ティーシャよ、『すてーたすおーぷん』とは何かな? マルガが心配しているぞ」
「ブフォーッ!!」
わたしの口から色んなものが噴出しテーブルを汚す。
慌てて控えていたマルガがわたしの口元を拭き、それからテーブルの処理をしてくれた。
…ん? 今マルガが素早く使った布を自分の口に持って行ったように見えたけど…気のせいだろう。
それにしてもお父様とマルガ、なんと非道なことを…っ! 2人には血も涙もないのか。
わたしは涙目で2人を睨む。ついでに頰が膨れてしまうのは以前からの癖のようだ。
わたしに睨まれてオロオロする2人を見かねたのか、お父様の後ろで控えていたレミーが微笑みながら声を掛けた。
「旦那様、知識もなくオリジナルの呪文などを考えてしまうのは誰にでも経験のあることです。 普通は成人少し前の若者がやらかすのですが、お嬢様は早熟なのでしょう。良いことではありませんか」
そう言ってハハハと笑うレミー。年齢不詳の柔和な顔立ちに糸目が実に腹黒そう。
って言うか、わたし今厨二病認定されたっ!? やめて! 生温かい視線やめて!
やらかした内容が内容だけに否定出来ないのがくやしい。この世界にステータスオープンって言葉がなかったのがせめてもの救いだ。
お父様も釣られたように微笑んで
「そうかそうか、ティーシャは魔術に興味があるのか。ならばサラに話を聞きなさい。実は結構な凄腕なのだぞ?」
でも父と剣を学び姫騎士を目指しても…と続けられる言葉は耳を素通りしていた。
魔術!? 今魔術って言いました!?
わたしはキラキラと瞳を輝かせお母様を見つめた。
なんだか自分の眼の中に渦が動くような感覚があるが、それどころではない。
だって魔術って! 魔術って!!
健全な男子じゃなくても魔術という単語にときめいてしまうのはこの世の真理だ。
だからこうして気分が高揚し、はしたなく椅子から身を乗り出しテーブルに両手を付くのも仕方ないことだろう。
わたしの期待の眼差しに、何故かお母様はトマトのような顔をしながら言葉を紡いだ。
「え、ええ…私もそれなりに魔術を学んだのよ。ティーシャももう少し大きくなったら、色々と手ほどきしてあげるわね」
「ありがとうおかあさま! だいすき!」
満面の笑みと共に発せられたわたしの言葉に、お母様はハンマーで額を殴られたかのように椅子ごと後ろにひっくり返った。
………30分ほど経って、食事も終えたわたしはようやく復活したお母様からニコニコと話を聞いていた。
お母様の後ろにはあのお医者さんが控えているが気にしない。
お母様曰く、魔術にはまず才能と知識が必要らしい。
えーと、体内の魔力をちゃんと意識出来ない人間に魔術を扱うのはまず不可能だそうで。
体内の魔力が何なのかはよく分からなかったが、お母様は「私の子供なんだから大丈夫!」と太鼓判を押してくれた。
魔術を習い始めるには適正年齢があり、才能ある子供ならそれまでの成長で自然に目覚めるのだそうだ。
それから魔術とは計算であり学問であり、言わば世界を紐解くための式なので、その法則を十分に学ぶ必要があるらしい。
なるほどなるほど、実に興味深いですお母様!
それからお母様は色々と難しい話をしてくれたが(それでも基礎知識らしい)、唐突に言葉を途切れさせて何事か考え始めた。
しばらく悩んだ末にお母様は
「ティーシャに魔術理論はまだ難しいでしょうから、先に軽く見学させてあげましょう。現象を見て初めて学べることだってあるわ」
えっ…それってつまり…
「庭の一角に練習場に使ってる場所があるのよ。明日はそこで簡単な魔術を実演してあげるわね。ついでにピクニックもしましょう」
わたしは嬉しさのあまりお母様に飛び付いた。お母様はそれをしっかり受け止め、その胸にひしとかき抱いてくれる。
頭が完全に埋まってしまうけど、これも子供としての誠意だからと呼吸を止めて頑張った。わたし頑張った。
その夜はわくわくのせいで眠れないかとも思ったが、マルガにお風呂に入れて貰い髪を丁寧に拭いて貰っているうちに、自然と瞼が落ちていた。
………………
…………
……
そして翌朝。
気分良く目が覚めたわたしは、マルガに髪を梳って貰いながら絶好調で鼻歌を歌っていた。
「ふふふんふん♪ ふふふーんふふふふん♪ 」
「…あの、幼子の鼻歌にしては雰囲気が重いように思えるのですけど、どこの音楽ですか?」
聴いたことがありません、とマルガは首を傾げる。
…うん、夢見る幼女が間違っても歌っちゃ駄目なアニメEDですから。今のテンションだと魔法少女モノになるのは生理現象だから仕方ない。
そんなこんなで、諸々の準備を終えたわたしたちは広い庭をずんずんと歩く。
わたしを先導するマルガの手には布が掛けられた大きな籠が下げられていて、微かに良い匂いを漂わせていた。
それにしても我が家の庭は広過ぎる。聞いた話ではあの霞んで見える森の辺りまで庭らしい。
ちなみにその森は個人資産ではないものの、うちの庭を突っ切らないとまともに辿り着けない立地からほとんど私有地扱いなのだとか。
…おかげで我が家の食卓には新鮮な森の恵みも並んでいるという。感謝。
さて、そんな森のすぐそばに目的の練習場はあった。
と言っても、何か特別な施設がある訳ではない。 様々な魔術を扱うなら、とりあえず広ければ問題ないらしい。
まぁ今回はデモンストレーションが目的なので、使用人たちが『的』を用意してくれていた。
使い込まれて傷みが目立つ全身鎧に土塊をみっしりと詰めて、木の杭で突き刺し直立させている。ちなみに鎧は騎士団提供とのこと。
そんな的を眺めて、先に待機していたお母様は野性味を帯びた笑顔を浮かべた。
これから実践するのは魔術の華、攻撃魔術だそうで。
話の分かるお母様大好き!
……にしても、ちょっと的が遠いような。明らかに200メートル以上は離れている。
「ふふ、私が一番得意とするのは狙撃術式なの。 実際にはこの何倍も離れるのよ?」
でもそんなに離れちゃ見えないでしょう? と、お母様は妖艶にウインクした。
……肩幅に足を開き半身に構えたお母様は、スッと右腕を突き出して的を指差す…否、照準を合わせた。
そして唄うような抑揚で、力ある言葉を紡ぎ出す。
「猛き炎よ疾き雷よ、我が元に集い寄り捻れ貫く矢と化し暫し留まれ! 満ちし大気は我が前に道を開き、赤き雷霆の標となれ! ここに示すは破滅の力、今解き放つ!『第一射・全てを穿て』ッ!!」
わざとらしくゆっくり唱えられる『呪文』と共に、真っ赤な矢…いや槍のような形状の塊が練り上げられ、そして音もなく放たれた。
圧倒的な速度で飛翔したそれは、そのままの勢いで寸分の狂いもなく着弾……そして轟音と共に爆散した。
「…おぉー…」
ぺちぺちぺち…と思わず口を開けたまま拍手するわたし。
いや、予想以上だもん。だってあの丈夫そうな鎧が跡形も無いのだから。
「さすが『魔弾の射手』サラ奥様でございます。通常でも高難易度とされる火と雷の二重属性で威力と速度を極限まで高め、更に補助として大気に穴を開け抵抗を減らす芸術的なまでに完璧な魔術……世が世なら英雄か、はたまた稀代の殺戮者として名を馳せていたことでしょう」
わたしの斜め後ろで解説者と化すマルガ。
その後も続けられた説明によると、うちのお母様は純粋な威力と射程だけなら人類最強の一角を担えるレベルらしい。
…いやマルガさんや、威力と射程の両方で最強を名乗れるってことは、布陣さえ整えば向かう所敵なしじゃないですかやだぁ。
びっくりし過ぎて思わず顔が引きつってしまったわたし向かって、お母様はドヤ顔で駆け寄って来た。
その目は高揚で爛々と輝き、獰猛な笑みが抜けていない。…ちょっとこわい…。
「今の見てたわよね!? どう? お母様すごくない? 尊敬した? 尊敬した?」
「……すごーい…」
フフンと鼻を鳴らすお母様。
そして、そのまま嬉々として今の魔術の特性と問題点について語り始める。
なんでも今のは「射線上の全てを一掃するための術式」で、本来は貫通力だけ上げても戦略魔術としてはあまり意味はないらしい。
だからバリエーションとして着弾後の連鎖爆発を設定したり、威力は下がるが軌道を曲げたりと色々使い分けているのだそうだ。
それと呪文詠唱はやはりわざと分かりやすくしているとのこと。いつもならこの半分の長さの詠唱で事足りるし、早口言葉は詠唱の基本。ついでに同じ魔術の連続射撃なら、二発目以降は「詠唱省略」が適用され連射も余裕…いやいやいやいや。
解説用の詠唱と共に感じられた術式は恐ろしく精緻で、正直わたしに似たようなことが出来るとは思えない。
「…ティーシャにはむりぃ…」
「はわっ!? だ、大丈夫よティーシャ! 人によって得意分野は変わるものだし、ティーシャはまだ勉強もしてないのだもの。これから! これからだから!」
慌てた声と共に差し出された飴玉を、わたしは眉毛を八の字にしたままはむはむと口に含む。
「それにティーシャは『魔眼持ち』だから、才能だけなら私より上よ?」
……何……だと……!?
思わずあんぐりと口を開けてしまい零れ落ちた飴玉は、地面に触れる前に何故か音もなく消失していた。
書けば書くほど登場人物の性格がダメになっていく不思議