18.社会科見学 その2
馬車は街中をゆっくりと進み、次なる目的地へと向かう。
次は治療院と呼ばれる施設、要するに病院だ。魔術の横行するこの世界での医療はやはりそういうものらしい。
魔術治療だけでなく投薬治療なども並行して行われるのだけど、その薬の原料も魔物素材…特に植物種と呼ばれる魔物から採れる素材が主な原料なのだとか。
魔物領域に程近いこの街では魔物狩りも盛んで、つまり素材は潤沢。必然的に質の高い治療が受けられると薬師であるゼンタが言っていた。
まぁゼンタに言わせてみれば、この街の治療院のレベルですら児戯に等しいらしいけど。素材の無駄遣いとまで言っていた。
まぁそんな彼女がお勧めしない治療院への見学が今回の外出に含まれているのは、わたし自身の希望もあってのことだ。
前世ではずっと医者の世話になっていたから、わたしは医療の大切さというものが身に染みている。
それこそ将来的に医療に携わる仕事をしてみたいと思うくらいには、わたしにとって医療とは大切で身近なものだった。
だからこそ……と言って良いのか分からないけど、やっぱりこの目でこの世界の医療というものを確認したい。
街にも納得出来るレベルの技術が存在するなら、いざって時にも安心が持てる訳だしね。
あともう一つ見学を決めた理由を挙げると、魔術による医療がどんなものかわたしの知識には無いためだ。
なんでも幼い子供へ治癒魔術を使うのは負担がありあまり良くないらしい。だから今まで受ける機会がなかったし、そもそも大した怪我も病気もしていない。
そんなわたしが実際に目にするためには、こういう機会を利用するのが最も手っ取り早いって訳。
お母様の魔術があれだけ凄かったのだから、他の魔術も期待が出来るってもんだよね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
先程の官署とは打って変わって、治療院の前には出迎えは一切なかった。マルガも「連絡はしたはずですが…」と困った様子。
とりあえず建物に入ってみたところ、広い待合室のような空間は戦場と化していた。
長椅子や床には何人もの冒険者風の格好をした人が寝かされている。応急処置なのか手足に木の棒が添えられていることから見て、主な怪我は骨折だろうか。更に着ている服や革鎧もボロボロで顔には打撲もあり、まるで車に引き摺られたような有様だ。
傷が酷く痛むのだろうか、皆呻きとも叫びともつかない苦痛の声を上げている。土と血と消毒液の匂いが鼻をついた。
その怪我人の間を白いローブを羽織った人たちが駆け回り、怪我の状態を確認しては大声で指示を出したり運ぼうとしたりという状況……つまり、誰もわたしたちに構う余裕はないようだ。
しかし、それでも退かないのが我らがマルガさんな訳で。
一歩前に踏み出した彼女は、臆することなく走り回る白ローブの人(癒術師と言うらしい)に声を掛ける。
……返事はない。というか絶対気付いてすらいない。
更に二度ばかり声を掛けても反応はなく……しびれを切らしたのか彼女は、音もなく近くの癒術師に歩み寄るとその膝裏にローキックをかました。えっちょっ!?
繰り出した脚が一瞬見えなくなる程の威力で蹴られた相手は、勢いよく後ろにひっくり返り倒れ……ることはなく、頭が床に当たる前にマルガによって胸ぐらを掴まれ片手で引き起こされた。
そして顔を近付け、低い声が響く。
「エイグロフ卿が娘、ティーシャ様が到着したと上の者に伝えなさい……大至急」
こっちからは顔が見えないけど、マルガ絶対怒ってるよね……癒術師の人が小さく悲鳴を上げたんだけど。
その可哀想な人は産まれたての子鹿のような足取りで、しかし限界まで急いで奥へと消えていった。
それを見送ったマルガは何事もなかったかのように振り返り深々と一礼する。
「申し訳ありませんわお嬢様、もう少しだけお待ちください」
「……う、うん」
いや、急がなくたっていいんだよ? だってすごく忙しそうなんだもん。こういうのって邪魔しちゃマズいよね?
そして数分後。
「やぁやぁ、お待たせ致しましたお嬢様! 今ちょーっとばかり忙しくてですな、誠に申し訳ない!」
奥から急ぎ足で歩きながら大声で挨拶をする壮年の男性……は、元は白かったであろう血に染まったローブを羽織っていた。
ついでにブンブンと振り回すその他にはメスが握られたままだ。つまり、控えめに言って猟奇的な人だった。
刃物に反応したのか、両側に控える騎士たちより先にマルガがわたしの前に出る。
警戒する周りの様子も気にも留めず、寝かされている怪我人をヒョイと跨いでわたしの目の前まで一直線にやって来たその人は、何が楽しいのか笑いながら一礼する。
というか辛うじて口元が見えるから笑っていると判断出来たけど、この人の背が高過ぎて顔がよく見えない。お父様もかなりの長身なのだけど、それを軽く越えている。なのにヒョロい。
まさか身長差で完全に目が合わない人がいるとは思わなかった。というかこの人、わたしを見ようとしてない。むしろ怪我人の様子が気になるのか一礼しながら器用に後ろを見たりしているし。
「お初にお目にかかります、ここの院長をやっとりますシャイロックと……あー待て待て! その患者は後回し! 隣の青いのが先! えーと、んで今日は見学とのことでしたな!? いやいや、その歳で治癒魔術に興味を持つとは感心感心! ではどうぞこちらへ!」
そう言うだけ言ってクルリと踵を返し、どんどん歩いて行ってしまう院長……なんとも濃ゆい人だ。挨拶しながら指示も出してたし。
わたしたちはそれを追って(怪我人を避けて大回りしてだけど)通路の先にある奥の扉を抜け……る瞬間、薄い膜が体を覆うような感覚があった。
一瞬のことでよく分からず、とりあえず首を傾げながら進む。
そこは白い部屋。天井から下がるアームの先に付いた魔道具の照明で強く照らされ、中央にはテーブル程の高さの台が据えられた部屋……紛うことなき手術室だった。
当然のように手術台の上には人が横たわっていて、幾人もの癒術師がそれを囲っている。その中の一人、先程の院長が振り向かずに声を上げた。
「さぁこちらへ! ちょうど飛び出した骨の固定が終わって、今から仕上げの治癒魔術を行うところでして! まぁ最後の山場ですな! はははははっ!!」
いや、そこ笑うところなの!?
って言うか子供にいきなり手術は見せないよね? えっ、この世界ではこういうのが普通なの?
……悩んでも仕方がない気がして、とりあえずわたしは近付いて覗き込む。癒術師の一人が踏み台になる箱を持って来てくれたからとても見やすい。
患者はどうやら脚の手術をしているようだ。さっき飛び出した骨がって言ってたから、いわゆる複雑骨折だろう。
よく勘違いする人がいるけど、複雑骨折は「骨が複雑に折れた状態」を示す言葉ではない。
骨が内部で幾重にも折れているのなら、それは複合骨折だ。特に酷い場合は粉砕骨折と呼ばれる場合もある。
複雑骨折は骨が何箇所折れているかは関係なく、骨が皮膚を突き破るなどして損傷させた状態を示す。普通に折れてるだけなら反対の単純骨折だ。
もう一つの呼び名である開放骨折って言い方なら、なんとなくイメージもしやすいと思う。
複雑骨折は単純骨折に比べ、治療が難しく命に関わるケースだ。その主な理由は多量の出血と感染症の可能性にある。
当然のことながら折れて尖った骨は鋭くても刃物ではないから、皮膚も血管もズタズタに傷付ける。だから出血も多くなり止血も難しく、治療もややこしくなる。
そして皮膚が裂ければそこから感染症が発生するのも当然なのだけど、厄介なのは骨もまた感染症に罹るという点。人間の骨は鉄骨じゃないのだから、傷が付けばそこから腐ったりもするのだ。
だから良い子のみんなは折れた骨が飛び出てたりしても、下手に傷を覆ったり骨を力技で押し戻そうとしちゃ駄目だゾ?
閑話休題。その患者の元は骨が飛び出ていたであろう傷口は……あーなんだ、あんまり描写すると生々しくてアレだから適当に言うと、なんか意外と綺麗だった。手術中だから開いてるけど。
「治癒魔術の基本は傷を治すことではなく、如何に傷から入る病気を防ぐかでして! ほれ、入り口に結界があったのもそれ! 体を結界で覆って雑菌を防ぐんですな!」
説明によると、治癒魔術による止血や殺菌は十分に可能なものの、物理的手法を交えたほうがずっと効率が良いらしい。
傷の治癒力を高める魔術も同様で、また魔術治療でも術後は不安定な状態が続き、治癒により体力も削られるのでそれらを抑えるための工夫が必要なのだとか。
こちらでも子供の物語に出て来るような一発でどんな怪我も完治するような魔術など院長曰く「治癒魔術専門の大魔導師が100人集まっての儀式魔術でも難しいでしょうな! 万が一個人で成せたなら、最早魔法の領域ですな! ははははは!!」とのこと。
ん? 魔術と魔法って使い分けるの? 文脈からして魔術の上位互換が魔法?
まぁそれでも、軽い骨折程度なら1週間もせずに完治させてしまうのだから驚きだ。
色々と説明を受けてから、先程も言っていた最後の山場という魔術を見させて貰う。
院長が傷に手をかざし、何やら聞き取りづらい呪文(お母様の言っていた呪文の短縮暗号化だろう)を唱えると、そこに淡い光が生まれる。
それは損傷した血管と神経が再生する礎を魔力で生成し与える術式。院長は便宜的に骨組みと呼んでいた。
その輝きをじっと見つめていると……ふと、目の奥で何かがカチリと嵌ったような感覚があった。
…………見える。魔術が魔力を規則的に並べ定着させる様が。患者の体内を流れる魔力がそれに同調するように接続する様が。患者の命そのものが。
更に意識すれば、もっと深く……細胞の奥底の二重螺旋を魔力で転写し利用することさえ可能なような……あれ?
「えっ……いまの、なに?」
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