15.街へ行こう
陽射しは強く眩しさを増し、いよいよ夏の盛りが訪れた。
思ったより来るのが早いと感じたけれど、よく思い出してみればここの夏は結構短いらしい。
その分冬の期間が長く、つまりは日本の平均的な気候よりもずっと寒冷地に分類されるのだろう。
そう思って窓から吹き込む微風に意識を向けてみると、夏真っ盛りにも関わらず日本のアレとは異なる湿気の少ない爽やかな風を感じる。気温もそれほどではない。
前世では温度管理の徹底された環境にしか居られなかったけれど、健康な身体を持った今なら暑さ寒さはむしろ大歓迎だ。
夏は過ごしやすいけれど、冬はどれだけ骨身に堪えるかちょっと楽しみかも知れない。
さて、色々とトラブルはあったものの森へ行くという初の外出イベントを成し遂げてからまた少し経ち、わたしは次なる外出計画を練り上げていた。
街へ行ってみたい…そんな思いが高まって来たのだ。
確かに色々躊躇したい理由はあるのだけど、それよりも街への興味が上回ってしまった。
…前にも言ったけど、わたしは未だ同年代の子供を見たことがない。
こちらで今の人格になってからそれなりの時間が経過して、自分が幼女であるという自覚が前より強くなっている。であれば、同じ年頃の子供に興味を持つのはごく自然なことだ。
このお屋敷で見かける使用人は全員成人しており、つい最近まで未成年だったマルガは特別枠?だったらしい。
もしかしなら見えないところには見習いの子もいるのかもだけど、そういうのは見せないのが使用人というものだろう。
まぁそれを加味しても、ここに幼女と肩を並べられる年齢の人物などいるはずもなかった。
…あー、そういえばお父様の親戚の子が同い年だって前に聞いたような?
とにかく、手っ取り早く子供を探すなら近隣の街へ行くしかない。
街ならば…まぁ貴族の娘であるわたしが街の子供と会話するのは無理だろうけど、遠目に雰囲気を楽しむくらいは出来るんじゃないかな?
理想はお友達を作ることだけど、それはこれから先きっと叶う気がする。
あと、やっぱりこの世界の人々の暮らしは気になるよね。ファンタジーな暮らししてるのかな?
実のところうちのお屋敷の暮らしも割とファンタジーだったという驚愕の事実に気付いたばかりなのだけど。
具体的には、お屋敷の広間などで使われている灯りの幾つかが魔道具によるものだったと最近知ったんだよね…明るいなぁとは思ってたけど、まさかね。
まぁ魔道具って結構高価らしいからあまり一般に用いられるものじゃないのだけど、そうでなくても条件が違えば暮らしは変わるものだ。
文明レベルだって違うのだし、風習も日本のそれとは異なる。家の造りや服装だって違うのは明白で、それを見るだけでも楽しめるだろう。
そう、求めるは異世界満喫だ。護衛は付くのだし、街ならばきっと危険もないよね。
…いつしか、わたしは自分の瞳のことをすっかり忘れていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
エイグロフ領の西外れの街、カルコサ。
元は魔物たちの領域だったが、かつての騎士や冒険者たちの活躍により解放された土地に根差す街だ。ちなみに、そのときうちのご先祖様が最前線で頑張ったらしい。
魔物が好む土地だけあり肥沃で魔力がよく染み渡っていて、農作物が豊富に収穫されるのだとか。
魔物の領域との境界が近いため街を根城とする冒険者ら魔物狩りを生業とする者も多く、当然魔物が狩られれば素材が流通する。
その素材を求めて職人が集い、作られた質の良い製品と農作物は商人も呼び込む。
そういう流れでカルコサは街の規模こそ標準的なものの、下手な都市より金回りは良い…とは、わたしが教育係らに聞いた話だ。
つまりはそれなりに色々期待出来るってことで。
そんなことをつらつらと脳内で復習しつつ、わたしは馬車に揺られる。
貴族の馬車は装飾ばかりでなく乗り心地にも気を遣っていて、車軸に何か細工があるのか振動は不快な程でなく、革張りの座席はとても柔らかい。
更に同席したマルガが甲斐甲斐しくお世話してくれるのだから、乗り心地は十分に快適と言えた。風景も良いし。
もちろん今この馬車は街…カルコサへ向かっているのだけど、お屋敷の敷地を抜けると真っ直ぐな道の両側にはずっと畑が続いていた。
面白いのは麦と思われる立派な穂を実らせた畑ばかりでなく区間ごとにそれぞれ違う作物が植えられていて休耕地と思われる空き地もあり、それらが1つのパターンとして繰り返し窓の外を流れていることだ。
つまり輪作が行われているということで、まぁこの規模の農地をやるならある意味必然なのだけど、ちゃんとやってるのだなぁと感心する。
そんな景色はまるでモザイクのタイルかパズルのようであり、わたしの目を大いに楽しませてくれた。
ちなみに一応人は見かけるのだけど、皆馬車がゆっくりと近付く前にこちらに気付いて距離を取り頭を下げてしまうため、顔や服装がよく分からない。
よく見ようと身を乗り出して目を凝らそうとしたら、その前に
「いけませんわお嬢様。領民は領主一族に敬意を払っているのですから、お嬢様はそれに相応しい対応をしなくてはなりません。興味本位で覗き込むなど以ての外ですわよ?」
とマルガに止められてしまった。
まぁ偉い人が来たと思ったらその小娘に珍しいものを見る目でまれたら、微妙な気分にもなるよね。…そう考え、わたしは座り直した。
そうだった、今日は一応「領主一族の視察」という名目での行動だったことを思い出す。
まぁ特に目的もなく、街をざっと見て回るだけなのだけど。
しかし近くにお屋敷があるとはいえ、領主の娘が街に訪れることはそれなりに刺激になるのだろう。
ならばわたしも貴族らしく、自覚を持ってしっかりと行動しなくてはならない。
とりあえず、練習を兼ねてマルガに話し掛ける。
「ねぇマルガ、りょーしゅのむす…りょー…領しゅの娘としてティーシャ、うまくふるまえている、かしら?」
よし言えた気がする!
そう、わたしは相変わらず発音練習を頑張り続けているのだ。その成果が出て来たと最近感じている。
しかしなんでこんな舌足らずなんだろうね? この幼女。
もしかして舌足らずなだけに本当に舌が短かったりするの? 医学的根拠とかあるの?
とはいえ、訓練次第でどうにかなりそうな気がするし、もっと頑張ろう。
わたしのそんな努力を示す言葉に、マルガは何か微笑ましいものを見たような…慈しむような顔で回答する。
「ええ、素晴らしいですわお嬢様。お嬢様は意識すれば立ち居振る舞いや言葉遣いは申し分ありませんし、何より可愛らし…風格が感じられますから十分でしょう」
うんうん、マルガも分かってくれている。
わたしだって発音練習の他に、日々受けている貴族教育の復習は欠かしていない。更にそこに応用として前世の記憶にある和洋折衷お嬢様的所作を加えているので、教育係らにはすこぶる好評を得ている。
まぁ、頭のてっぺんから足の先、指先に至るまで全力で神経を張り巡らせる必要があるからあんまり長続きはしないのだけど。
いやーお嬢様ってすごいね。お茶を一口飲むだけで何十行程も課題があるとは思わなかった。ティーカップとソーサーの扱いだけでなく、それに手を伸ばす際の指の揃え方にも気を遣うのだから。
まぁ教育係もマルガもお母様も口を揃えて「困ったら微笑んでおけば大丈夫」とか言ってたから何とかなるだろう、多分。
「お嬢様、間もなく街に着きますわ」
その声にわたしは今度こそ身を乗り出し、その景色を目に焼き付けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カルコサの街は広々とした畑との間にはちょっとした城壁があって、それにより区切られ囲われていた。
大体二階くらいの高さで、物見櫓のような構造物も突き出している。
その根元近くに門が設えてあって、そこには見張りなのだろう数人の兵士が……何故か一列に並んで敬礼をしていた。
……あぁ! お偉いさんが来たから挨拶って訳ね。うんうん、つい自分の立場を忘れてた訳じゃないよ?
馬車は門の前、兵士たちの列の正面で止まった。
まぁここでわたしがすることは何もない。そういうのは御者が全て済ませてくれるから、中で堂々としていれば良いと事前に言われている。
あ、今更だけど馬車の前後には馬に乗った騎士が護衛に付いていて、その2人はちょうどその馬を預けていた。街中では徒歩の方が護衛しやすいよね多分。
なんか挨拶をしたいらしい一番良い鎧を着た兵士の人と御者が会話するのをそれとなく窺っていたら、並んでいる兵士の一人と目が合った。
わたしは咄嗟に愛想笑いして、ついでに軽く手を振っておく。好印象好印象っと。
すると相手の兵士は次の瞬間…まるで雷に撃たれたかのような表情を浮かべ膝から崩れ落ち、そのままの姿勢で手を組んでブツブツと何事か唱え始めた。
よく聞き取れないけど…祈り? 女神がどうとか…あー分かった、これなんか危ない系の信仰してるヤツだ。こっちにも当然宗教とかあるもんね。
いや、別に宗教は本人の好きで良いと思うけどさ、職務中のこんな重要な場面でいきなり祈り始めるのはどうかと思うよ? あ、涙まで流し始めた。
ほら、周りの兵士もびっくりしてるし…あ、引き摺られて詰所に運ばれてっちゃった。
って、マルガが窓に薄いカーテン掛けちゃった。あーあんなのは見ちゃダメなんだね、オーケーオーケー。
そしてしばらくして、ようやくわたしたちは門の中へ進むことが出来るようになった。
兵士の偉い人?が全力で謝り倒してたみたいだから、ちょっと時間が掛かっちゃったけどね。
まぁそこら辺のやり取りは御者が全部やってくれたから、わたしはもちろんマルガも何もせず座ってるだけで済んで楽ちんだったけど。
これで兵士の人たちの立場が悪くなったりしたらわたしも困るのだけど…顔色と雰囲気的に大丈夫っぽいかな。お勤めご苦労様です。
門の先、街の中央を貫く通りは馬車が二台すれ違ってもまだ余裕があるくらい広く、その通りに沿って並ぶ石と木で組まれた家々は整然としていて、なんというか思ったより綺麗な街並みだった。
多分ここに街を作ろうとしたご先祖様は、区画や道幅を予めきっちり決めておいたんだと思う。
道を歩く人々の服装は様々だ。いかにも作業着といった格好の人、皮鎧を身に付け腰に剣を下げた人と、その後ろを歩く杖を持ちローブを羽織った人、きっちりとした丈の短い上着を着ているのは…いかにも商人風って感じ?
その光景はまさしく異世界の街そのもので、ワクワクが止まらない。
そんなわたしの気持ちを察してくれたのか、マルガはこの先の中央広場で少しだけ馬車を降りても良いと許可をくれた。マルガ大好き!
やがてたどり着いた中央広場の真ん中には白くて細長い長方形な石のモニュメント?がそびえていて、夏の陽射しを楽しむかのように人々がのんびりと往き交っている。
わたしを乗せた馬車がそのモニュメントの近くへ向かって進もうとすると、こちらに気付いた人々は軽く驚いたような顔で道を空け空白地帯が出来る。
そして馬車は停められ扉は開き、わたしは手を引かれてゆっくりと一歩を踏み出した。
今更ですけど、◇◇が普通の場面切り替えで、◇◆の方は人物視点も変わります。