11.初めてのお出掛け その1
天気は今日も良好で遠足日和。初夏の爽やかな風が心地良く、日本の夏より湿度が低くてずっと快適だ。
ちょっと陽射しが気になるけれと、さりげなくマルガがスッと日傘を差してくれた。…いや、そこは普通に帽子で良いと思うのだけど。今は馬上なんだし。
そう、わたしは現在馬に跨ってトコトコと森に向かって移動中…もちろんマルガとの2人乗りだ。わたしを抱えるように(というか革のベルトで彼女に括り付けられてるけど)後ろに乗っているマルガは、残りの片手で器用に手綱を操っている。
危なくないのかと尋ねると、何かあれば日傘を捨てるから大丈夫とのこと。
わたしたちが騎乗する馬の前方と左右は立派な鎧を身に付けた女性騎士3人によって囲まれ、背後にも女性の使用人が付いてきている。もちろんそれぞれ馬に乗っての移動だ。
目的地は6歳児の身長でギリギリ見える距離なのだから、別に大人なら馬で移動する必要のある距離ではないと思うのだけど、わたしを馬に乗せて移動する以上は全員合わせたほうが良いのだろう。
馬上から見る世界はとても新鮮で楽しい。前世でも発育不良で低身長だったし、自転車を含めあまり乗り物で移動する機会もなかったから、これほど高い視点で移動するのは正真正銘の初めてだ。
常歩でののんびりとした速度のせいか揺れも全く不快ではなくむしろ心地良い。強いて言うなら視界の半分を塞ぐ灰色のたてがみ…は、どうにもならないよね。
…うん、もう少し大きくなったら乗馬の練習もしてみたい。あとでお父様に頼もう。
まぁ、街に行くならちゃんと馬車を使うって言ってたから、貴族令嬢が自ら騎乗する機会は少なそうだけども。
森の入り口に到着すると、すぐさま騎士のうちの2人と後ろにいた使用人は馬を降りて森の中へと散ってしまった。
残りは全員、戻って来るまでしばらく馬上での待機らしい。
「お待たせして申し訳ありませんお嬢様。視界の悪い森の中にはどのような危険があるか分かりませんもの、こうして周囲を一掃…もとい偵察するのは安全上必要なのですわ」
ふぅん、とわたしは頷きつつ、森の奥をじっと見つめる。そこからはひんやりとした湿った空気を感じた。
背の高い黒々とした幹の木々が目立つ森は思ったより薄暗く、確かに全然遠くまで見通せない。不思議な圧力すら感じさせるそれは、前世TVで見た森林浴の爽やかななイメージとは全くかけ離れていた。
というか、昼近くにも関わらずその雰囲気はホラー映画のそれに近い。打ち捨てられた小屋や謎の木組みのオブジェとかあったら嫌だなぁ…。
とか思ってたらガサガサと音がして、奥から2人の騎士が戻って来た。それから間もなく使用人も…何故かやや不満そうな顔で…姿を現わす。
というか、今更だけどこの使用人はなんだろう? 着ているメイド服が迷彩色なんだが。あとやたらポケットが多くて腰にはゴツい剣鉈のようなものを下げている。
いや、そんな変なメイド服を仕立てる必要はないよね? 普通に動きやすい服装はなかったの?
と、その妙な格好の彼女はこちらまで近づいて来ると、わたしに向かって軽く一礼をしてからマルガ(今日も普通のメイド服だ)の方に向き直り、おもむろに口を開いた。
「マルガ隊長ぉ〜、ホントに毒リス1匹すら見当たらないッスよ〜!? 駄目じゃないスか生態系を壊しちゃ!!」
「お嬢様の安全のためなのですから仕方ありません。それと今は隊長はやめなさい、ゼンタ」
「は〜いッス。でも知らないッスよ〜? 安定してた縄張りにいきなり空白地帯を作ったりすると、すぐに面白…変なのが棲み着いたりするんスから〜」
「…今後の管理は一任しますわ」
ウッス、とゼンタと言うらしい彼女は元気にニッと笑顔を浮かべ、短く切られた深緑の髪を揺らした。
ゼンタって…確かうちの薬師じゃなかったっけ? 見たところまだ20歳手前くらいに見えるし、長身で活発そうで…なんか思いっきり体育会系だ。
そんなわたしの疑問を察したのだろう、マルガが解説してくれる。
「お嬢様、ゼンタが当家の専属薬師を務めているのはご存知かと思いますが、彼女は『自ら素材の採取をする』ために狩人として高い技能を所持しているのですわ。もちろん薬師としてもとても優秀なのでご安心くださいませ」
「よろしくッスよ〜愛しのお嬢さ…ヒィッ!」
何故かわたしの背後を見て小さく悲鳴を上げるゼンタ。振り返ってみてもいつもの笑顔のマルガしかいない。…まぁいいや。
見る限り、なんだか歳下のマルガの方が立場が上っぽい…のかな?
ちなみに後に聞いた話によると、使用人たちの関係は年功序列など一切存在せず、純粋な実力主義らしい。より重要度の高い役職を与えられた者が正義なのだとか。
…でもわたしの感覚だと、令嬢側仕えよりも薬師の方が立派な気が…あと隊長ってなんだろう? あだ名?
そういえばこっちでもあだ名で呼ばれたりしてないなぁ。まぁ、両親と使用人以外の知り合いがほぼ居ないせいなんだけど。前世でもそういう気安い付き合いはなかったし、ちょっと憧れている。
そのうち、同年代の友達とかも出来るかな?
まぁそんなこんなで、わたしたちは森の中へと足を踏み出した。なんでも、入ってすぐにちょうど良い感じの広い場所があるらしい。
最初マルガは先程待機していた場所だけで済まそうとしていたらしいけど、そんなのわたしが許す訳がない。
マルガはお願いすれば何でも聞き入れてくれる、とっても素敵な使用人だね!
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一歩踏み込んだ森の中は暗く湿っていて、夏とは思えない気温の低さだった。思わず身を震わせたわたしの肩に、すかさずマルガの手によって布が掛けられる。
一瞬ケープかなとも思ったけど、よく見たら丈が短めのマントのようなものだった。フードも付いているようだ。
防水効果もありそうなしっかりとした作りで、裾辺りにはケルトの組紐紋様に似た複雑な……って、コレもハートマークがたくさん混じってるし。
準備を終えたわたしは意気揚々とそのまま踏み出そうとして…「失礼致します」ふわりと持ち上げられ、マルガの腕の中にしっかりと横抱きに抱えられていた。念のため言うけどお姫様抱っこではない、幼児によく使う横抱きだ。
なんかわたしも慣れてるなぁーなどと思いつつ、軽く身を起こしてマルガの首に腕を回す。瞬間、何故かマルガがほとんど見えない空を見上げた。
わたしを抱えたマルガを中心に先程と同じようなフォーメーションを組み、一行は進んで行く。
辺りをキョロキョロと見渡すと、そこは不気味ながらも幻想的な森だった。
背の高い木々が日を遮り薄暗く、地面の緑はそんなに多い訳ではない。その代わり目立つのは、所々に生えたキノコだ。
色は生成色のような黄色、傘の直径はわたしの手と同じくらいあって、一旦握り潰して戻したような円錐形をしている。それが微かに淡い燐光を放っていた。
そんな不思議キノコがぽつぽつと地面に…あっ、菌環もある!!
妖精の輪、あるいは魔女の輪とも呼ばれるそれは、キノコの列によって自然に描かれた神秘の輪っかだ。芝生の上にも出来るらしいけど、前世でも外出出来なかったから実物を見るのは本当に初めてだ。
と、わたしがそれを見つけると同時に後ろにいたゼンタが駆け出し、そのキノコ群まで寄ってしゃがみ込んだ。そして「ウヒ、こんなに群生してたらもったいないッスよね〜♪」と呟きながら摘み取り始める。
分厚い革手袋に包まれた指で摘み、そっと土を払うと皮袋にどんどん入れていく……ああ、せっかくの菌環が無くなってしまった…。
足を止めてゼンタを一瞥したマルガは、呆れたように小さくため息を吐く。
「ゼンタ、今は任務中です。それにそれは先日たくさん収穫したと言っていたではありませんか」
「もう使い切ったッス。それにゴブリンコロリはいくらあっても良いッスからね〜」
「小遣い稼ぎより任務を優先しなさい」
「あ、もう終わったッス」
スキップを踏むような足取りでゼンタが戻って来る。膨れた皮袋は…明らかにそれより小さく見える背中の鞄の中に消えていた。
…なんと言うか、ゼンタって色々と自由な人なんだなぁ。マルガも苦労してるんだね。
今度機会があれば労ってあげようかな?
一行は再び森を進む。よく見ると獣道のような緩く蛇行した道を歩んでいることに今更気付く。
確かこの森で食材の採集もしてるんだっけ。なら道があるのも当然か。今の季節は何が採れるんだろう?
そんなことを考えながら辺りを見渡していると、前方の木々が途切れていることに気付いた。
そこはちょっとした広場になっていた。ほんの5分ほどとはいえ暗い森を抜けたせいか、陽射しの降り注ぐそこはとても安心感がある。
よく見ると枯れ枝や切り株のようなものが隅の方に積まれ、草もある程度刈られている。元々多少の広さがあったものを、少し手入れして整えてあるのだろう。
すぐにマルガの指示により広場中央の少しばかり生えていた草が、3人の女性騎士によりさっさと踏み倒された。そしてそこに敷物が広げられる。そんなの持ってたっけ?
作業を終えた騎士たちと、なんか草をかき分けて何かを探していたゼンタは広場の四方に別れて見張りを始める。…今更だけど、それって過保護なの? それとも警戒の理由があるの?
まぁとにかくわたしは敷物に上がり、更に用意されたクッションに腰を下ろした。元日本人的にはこういうとき靴を脱ぎたくなるけど、マルガ的にはなんか駄目っぽい。
そして早速とばかりに、料理が籠から取り出され並べられた。だからそんなの持ってたっけ?
本日のお昼は、ちょっと硬めだけど歯応えが楽しいパンを主食に、食べやすいよう小さな型で焼かれ更に切り分けられたキッシュっぽいのと、小麦の風味がする小さな粒が和えられた彩良いサラダ、そして飲み物は少し酸味のある果汁水だ。
お昼にしてはちょっとボリュームがあるけれど、あいにくとわたしは育ち盛りだ。上品に、だけど少し急くようにもりもりと食べる。
薬の影響で食欲がなかったり、たまにあっても胃が受け付けなかったり、そもそも場合によっては点滴のせいで省略されてた経験がある反動なのか、こっちのわたしは大いに食欲旺盛だったりする。
うん、とても美味しい。だけど…お世話されているとはいえ、ひとりでの食事はちょっと寂しい。
「んぅー…」
「お嬢様、お口に合いませんでしたか?」
「ううん…あっ! ねぇ、マルガもたべる?」
「いえ、使用人の私がお嬢様のお食事に手を付ける訳には参りません」
「むぅ。はい、あーん」
「お嬢様!? いいいいえ困りますわ」
「あーん」
「………………あ、あーん」
「おいしい?」
「ゴクッ…すごく、美味しいです…」
「あーっ!! 隊長何してんスか!?」
「ふぐっ!? ち、ちゃんと哨戒をしなさいゼンタ!」
うん、やっぱり食事は賑やかなのがいいよね。
くっ…閑話書きたい…