電氣醫殺人事件
事件が起きたのは昭和52年冬。日本で名の知れる電気工事士達が次々と殺害されていった事件である。それにどの事件も緻密な計画を練られたかのような複雑な事件だった。この事件は誰も解決の糸口を見つけられないまま迷宮入りとなってしまった。遺体に指紋も残っていなければ、周囲の目撃情報が残っていないことから重要参考人を除いて、容疑者たる者を見つける事が出来なかったのである。
しかし、その惨劇は皆が忘れた頃に再び訪れた。事件から20年余が過ぎてから…。
「ト‐8」と書かれた電柱にCVT(架橋ポリエチレン絶縁ビニルシースケーブルトリプレックス)に首を巻かれ、虎落笛の思うが儘に揺られている男が発見された。
抑も、CVTとはキュービクルから電灯分電盤・動力制御盤などの幹線としての使用や、盤から大型電気機器への電源供給用配線として使用するCVケーブルの3本撚りケーブルである。幹線設計を行う場合、ケーブルサイズは200㎟を上限として設計すると、経済的且つ、幹線の事故による停電に対するリスクが軽減された設計になる。英語では「cross-linked polyethylene insulated vinyl sheath cable triplex」と称される。
この事件を担当するという警部が本庁から到着した。県警の原澤 龍一警部である。原澤警部は遺体を見るなり「またか…。」とボソボソ呟いていた。「発見場所は?」警部が尋ねると、後の方から細々とした男が歩いて来て、「あの電柱でーす。」と甲高い声で答えた。原澤警部の部下で県警の石畑刑事だ。彼らを食べ物に例えると、原澤警部は蒸しパン。石畑刑事はスティックパン。身長は同等位なのだが、体系がかなり違う。警部は石畑の甲高い声に気が障ったのか、「電柱に何と書いてあるんだ」と激しい口調で言った。一瞬ビクッとした刑事は「…。ト-8です。」と先程より大人しめに答えた。「一体誰が何のためにやったんだ。また暗号か?」周囲にいた警察や事件関係者は警部の言葉に疑問を抱いた。『また暗号か?』とは前にもこの類の事件を担当していたのか?若しやこの類の事件と言えば昭和52年の『電氣醫虐殺事件』か?…
県警は事件現場の近くにある『電氣院大學』という理工学の名門校へ捜査本部を置いた。大学の総長と警部は旧友であり、本部設置を快諾してくれた。
事件当日の様な虎落笛の吹く中、白衣を靡かせた老人が捜査本部へ訪れた。警部は「先生ですか?ここは教室じゃあありませんよ。関係者以外立入禁止ですよ。さあお引き取り下さい。」しかし、男は「大作さんの友人でね、ここに来たのですよ。」と部屋から出ようとしなかった。「なんで被害者の名前を知ってるんです。」警部は不機嫌そうに怒鳴った。「私、探偵をやっております天宮と申します。」警部は益々不機嫌な顔になり、ちょっとでも触れば爆発しそうになっていた。
「探偵なんか頼んだ覚えはない。誰だ?探偵を寄こしたのは。」警部は苛立ちながら問うたが、誰も答えない。外に出された天宮には聞こえていないようだ。続けて、「誰も呼ばんのに、あんな自称探偵のじじいがいきなり来るわけなかろう。」どうやら警部は戸惑いと怒りを隠しきれないようである。すると「暗号でしょ?私、暗号得意ですよ。」いきなり扉を開けて入ってきた天宮に堪忍袋の緒が切れそうな警部が「黙ってろ!!」と学内に響き渡るような声で怒鳴り蹴散らした。
「何事です。学内で暴れているとは。」顔が赤くなった総長が捜査本部へ飛び込んで来た。「あ、総長。このじじいがですね…。」必死に弁解しようとする警部に、総長は警部に負けない程の怒りをぶつけた。「じじいとは何です。この方は幾つもの難事件を解決してきた名探偵ですぞ。」警部の顔色が元に戻った。「総長は何故知ってらっしゃるんです?その探偵さんを。」周りにいた警察は警部がいきなり敬語になったので驚いたが、総長の一言で皆驚きの表情を隠せなかった。「私が呼んだのだ。」警部は顔が青白くなった。「え…。」暫くの間、部屋は沈黙に包まれた。
天宮は『ト―8』という数字に着目した。すると、部屋にあった黒板に何やら数字の羅列を書いていった。「0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144, 233, 377, 610, 987, 1597, 2584, 4181, 6765, 10946」。次に、数字の横に括弧書きで片仮名を書いていった。「0(イ), 1(ロ), 1(ハ), 2(ニ), 3(ホ), 5(ヘ), 8(ト), 13(チ), 21(リ), 34(ヌ), 55(ル), 89(ヲ), 144(ワ), 233(カ), 377(ヨ), 610(タ), 987(レ), 1597(ソ), 2584(ツ), 4181(ネ), 6765(ナ), 10946(ラ)」。警部は黒板に書かれた数字と片仮名の関連性は元より、意味すら分らない様だ。
総長は「どこかで見たような…。何でしたっけ?」天宮は嬉しそうに「『フィボナッチ数列』ですよ。」と言った。しかし、総長以外頭の中がこんがらがった様で目が泳いでいた。「では、私が説明しましょう。」総長はまるで教壇に立ったように話し始めた。「n 番目のフィボナッチ数を Fn で表すと、Fn は再帰的に
F0 = 0,
F1 = 1,
Fn + 2 = Fn + Fn + 1 (n ≧ 0)
で定義される。これは、2つの初期条件を持つ漸化式である。この数列 (Fn)はフィボナッチ数列(Fibonacci sequence)と呼ばれ、0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144, 233, 377, 610, 987, 1597, 2584, 4181, 6765, 10946, …と続く。最初の二項は 0, 1 であり、以後どの項もその直前の2つの項の和となっている。1202年にフィボナッチが発行した『算盤の書』(Liber Abaci) に記載されたことで「フィボナッチ数」と呼ばれているが、それ以前にもインドの音楽家であるヘマチャンドラ (Hemachandra) が和音の研究により発見し、書物に記したことが判明している。皆さんの身近の事柄でフィボナッチ数列を当てはめると、『フィボナッチ数は自然界の現象に数多く出現する。』『 花びらの数はフィボナッチ数であることが多い。』『植物の花や実に現れる螺旋の数もフィボナッチ数であることが多い。』『パイナップルの螺旋の数は時計回りは13、反時計回りは8になっている。』『葉序(植物の葉の付き方)はフィボナッチ数と関連している。』『蜂や蟻等、雄に父親がない家系を辿っていくとフィボナッチ数列が現れる(父母2匹、祖父母3匹、曽祖父母5匹、高祖父母8匹…)。』『n 段の階段を1段または2段ずつ登るときに、登る場合の数は Fn + 1 通りある。』『●と○を合わせて n 個並べる。●が2個以上続かないように一列に並べる方法は Fn + 2 通りある。』『為替などのテクニカル分析で、フィボナッチ・リトレースメントという手法がよく使われている。』これはつまり、『神の方程式』とも言われる『黄金比(1:1.6180339887 4989484820 4586834365 6381177203 0917980576 2862135448 6227052604 6281890244 9707207204 1893911374 8475408807 5386891752 1266338622 2353693179 3180060766 7263544333 8908659593 9582905638 3226613199 2829026788 0675208766 8925017116 9620703222 1043216269 5486262963 1361443814 9758701220 3408058879 5445474924 6185695364 8644492410 4432077134 4947049565 8467885098 7433944221 2544877066 4780915884 6074998871 2400765217 0575179788 3416625624 9407589069 7040002812 1042762177 1117778053 1531714101 1704666599 1466979873 1761356006 7087480710 1317952368 9427521948 4353056783 0022878569 9782977834 7845878228 9110976250 0302696156 1700250464 3382437764 8610283831 2683303724 2926752631 1653392473 1671112115 8818638513 3162038400 5222165791 2866752946 5490681131 7159934323 5973494985 0904094762 1322298101 7261070596 1164562990 9816290555 2085247903 5240602017 2799747175 3427775927 7862561943 2082750513 1218156285 5122248093 9471234145 1702237358 0577278616 0086883829 5230459264 7878017889 9219902707 7690389532 1968198615 1437803149 9741106926 0886742962 2675756052 3172777520 3536139362 1076738937 6455606060 5921658946 6759551900 4005559089…)』を…求め…る…事…も…可能な…数列…なのです……。」よくまあここまでの数字を覚えていられるものだと皆は感心していたが、総長は呼吸が荒く、疲れ切っていた。
「しかし、この数列をどう今回の事件と結びつけるのです。」警部は疑問だった。「私が黒板に書いた通りですよ。だってこの数列によると、『ト』は『8』じゃないですか。確か前回の事件の時も…」
警部は前回の事件の担当であった。彼にとっては警部となって初めての事件であり、この事件を解決できなかったが故に警部から昇格できなくなったも同然であるという自分の解釈によって一種のトラウマ( psychological trauma)となってしまったのである。天宮が言った「前回の事件の時も…」という言葉が胸に刺さる。確か、前回の事件の時分にも『数列』に拘っていた人物がいたと思い出したのである。それは確か重要参考人の…天宮…
「警部、警部。どうされたんですか?」総長に起こされた。どうやら警部は眠りについていた様である。「いやね、前回の事件で重要参考人になっていた『天宮』という人物を思い出してね。確かその男は探偵の天宮さんと同じで数列に拘っていた様な気がするなあと考えていたんですよ。」しかし、その場に天宮の姿はなかった。警部が寝ている間に帰宅したそうだ。「総長。天宮さんのお宅を教えては頂けませんでしょうかね?」警部は頼んだが、総長は断った。警部は怪しいと思った。名字が同じで、同じ事を言う男。実に怪しい。あの男、何かを隠しているのではないだろうか。
警部は血が騒ぐのを感じた。あの男、怪しい。
夜遅くに捜査本部に電話が掛かって来た。相手は総長だと言う。警部は眠い目を擦り乍ら電話に答えた。総長の声は焦っていた。息切れもしている。「警部。『電氣醫』を知っているか?」そう聞こえたかと思えば、電話は切れた。警部は不安になった。しかし警部の不安も恐怖と化し、次の朝襲いかかってきた。
IV電線に手足を縛られ、高圧カットアウトが首に刺さった状態で発見された、総長の変死体。検死をするまでもないと、何者かによる犯行であると断定した。警部が恐れていたのは電柱番号。しかし、総長の遺体の近くにあった電柱には『タ』とだけ書かれており、数字は書かれていなかった。
警部の不安は的中しなかったと、安堵の表情になったが、警察の調べにより驚愕の事実を知ることとなる。なんと電柱がある番地が『610番地』であったのだ。つまり、昨日天宮が黒板に書いた『610(タ)』というのが的中してしまったのである。警部は早急に天宮を重要参考人として署への連行を強行した。まだ前回の事件の重要参考人である天宮かどうかもわからないのに…。