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色彩  作者: ぴーちくぱーちく
2/3

あかいろ2

――――――――――

―――――


 

 夕日が落ち、周りの景色が夜の帳に包まれた頃。

 季節が冬へと近づいているからか、数か月前より日が落ちるのが早く感じる。

 

 志衣は、一人黙々と作業を続けていた。展示用の作品を今日中に完成させたかったので、居残りでやることにした。

 他の子はみんな、明日やるとか言って帰ってしまったから、教室には志衣の筆がすべる音しかしない。

 ふと作業を止めて顔を上げると、壁にかかった時計はもうすぐ夜の8時になるところだった。


 だいぶ時間がかかってしまった。でもあとは、細かいところを修正いれるだけだし…、今日はもういいか。時間かかるかと思ったけど、思ったより捗ってよかった。

 

 志衣は、江戸時代や明治時代といった昔の女性を普段からよく描いてるからか、だいぶ描き慣れていた。いろいろと資料を参考にしながら描いてみたが、なかなか上手く描けたような気がする。


 ある程度描けた作品をもう一度眺めた。

 そこには、ひと前昔の古風な雰囲気を出した、着物を着た女性が描かれていた。一本の簪で髪を結い上げ、着物はシンプルな縦縞模様の柄で、帯には胡蝶蘭が小さく咲いている。

 少し俯き加減で髪に手をやっているその女性は、どこか扇情的だ。もちろん、色は黒である。

 最初に考えていたポーズよりいい感じだ。線だけか、少し黒く塗るか迷ったが、結局髪と帯のところのみ黒く塗ることにした。


(あ、ここはみ出てる。)

 髪の部分に一か所、はみ出てるところを見つけた。志衣は細筆に持ち替えて、髪の箇所を丁寧に直した。直し終わった後も、なんとなく髪の部分に筆を動かしていると、ふと簪のところに目をやった。


 志衣は唐突に、今回の作品に参考で、着物の写真集に載っていた女性の簪を思い出した。

 あの色鮮やかな着物を纏う女性たち。

 それに自分がトリだと言わんばかりの、赤の色をした簪。

 あれを見たとき、思わずほう、と溜め息をついてしまった。なんて綺麗な色をしているのだろう、と。 そして心からあの簪の影響力に感嘆したのだ。

 

 ―――それに比べて、

 志衣は、もう一度自分の作品を眺めた。

 私の作品は、白と黒で出来た、なんとも味気のない絵。いつも見慣れた同じもの。

 

 ――――もしも、これに色がついていたなら。

 例えば、この簪にあの、綺麗な赤を加えて、着物には黒と青を混ぜた深い青を、それで帯には――…、

 きっと黒だけでなく、いろんな色を使ったら、もっと鮮やかに女性が輝いていたことだろう。それこそ他の人の作品のように、写真のように。さまざまな色が入り乱れる絵が出来るだろう。

 そこまで考えて、志衣は目を閉じた。そして、自分では届かない世界に思いを馳せる。


 とうの昔に諦めた。

 けれど、心の裏側では色鮮やかなものを欲している。それでも他の色を使うことに、私がどんなに焦がれてやまなくとも、現実では自分の手は動いてくれない。頭では想像できても、私の身体は動かない。


「―――どうしてなんだろう…。」

 何度となく自分の中で繰り返された言葉が、ぽつりと零れ落ちた。

 もちろん、その言葉に誰も返してはくれない。


 志衣が一人、思考の海に沈んでいると、突如後ろからドアが開く音がした。

 驚いて、ばっと後ろを振り返ると、そこには先ほどの野球ボールの人がいた。


「あ、よかった!まだいた!」

 いきなりの登場に、志衣は心臓が口から飛び出るのかと思った。

 ただでさえ今は夜の8時で、誰もいなかった教室にいきなり入ってくるものだから、驚きはピークに達した。

 しかし、そのお蔭でさっきまで鬱々としていた思考はどこかへ飛んで行ってしまった。

 志衣は、バクバクといまだ鳴りやまない心臓を押さえて、こちらへ近づいてきた彼を驚いた表情で見つめた。

 彼は志衣のところまで来ると、「はい、これ」と黄色の紙パックを差し出してきた。

「…?」

 いきなり差し出されて、志衣は怪訝な顔で彼と紙パックを見比べた。

「昼間のお詫び。こんなんで申し訳ないけど」

 ん、と彼が紙パックを突きだした。

 差し出された紙パックを見ると、バナナジュースと書いてある。

 ―――なぜにバナナジュース?

と内心で思ったが、ちょうど喉が渇いていたので「…ありがとう」と言って有難くもらった。

 いそいそと、裏のストローをとって穴に差し込んで一口ジュースを飲んだ。口の中にいっぱいの甘いバナナの味がして、志衣は思わずほっとした。

「おいしい?」

 彼の問いかけに、志衣はストローを口から離さずに、無言でこくこくと頭を縦に振った。彼は、それはよかった、と言って笑い、その後黙った。そして、暫く二人の間に沈黙が出来た。


き、気まずい…。


 志衣はジュースを飲みながら、何か話そうと頭の中で必死に考えた。しかし、普段仲良い友達以外は全く誰とも話さないので、何を話していいかわからない。ましてや、野球部の男子なんて、完全にお手上げ状態だ。


 ――――というか、

 この人はわざわざジュースのために来てくれたんだろうか。

 だとしたら、ものすごく律儀な人だ。昼間のアレは、別にこの人のせいじゃないだろうに。

 ただボールを取り損ねただけなのに、私にジュースをくれるなんて、良い人だなあ、とぼんやり思った。

 そして何気なく、ちら、と瞼を上げて彼のほうを盗み見た。

 

 すると、彼はさっきまで描いていた絵をじーっと見ていた。

「そ、それは、」

 驚いた志衣は、慌ててジュースを横に置いて立ち上がり、彼の目線を逸らすために目の前で腕をブンブンと振った。

 ――――やばい、見られた。恥ずかしすぎる…!

 普段は自分の作品を見られることにあまり抵抗がないはずなのに、なぜかこの時は見られるのがとてつもなく恥ずかしかった。早く絵から視線をはずさせようとその一心で腕を振る。

 一人で必死に攻防している志衣に構わず、彼は「これ、なんかに出すやつなの?」と尋ねてきた。


「あ…今度の文化祭で部活の展示に出し、ます」

「へー、上手いね。俺、絵とかよくわかんないけど、すごい綺麗な人だね」

 絵を見ながらにこにこと笑う彼に、志衣は照れて顔をそむけた。耳あたりが熱をおびてきたのを感じる。腕は自然と下がっていた。

 まさか褒めてくれるとは思わなかった。綺麗という彼の言葉が素直に嬉しかった。

 だが次の言葉で、志衣の上昇していた気分は一気に下降した。


「あ、でも、これはまだ途中?」


 その何気ない問いかけに、顔からさあっと血の気が引いた。そんな志衣の様子に気付かず、彼は些か楽しそうに「これ、色つけたらもっと綺麗になりそうだなー。あ、文化祭のとき見に行くよ。美術部でしょ?俺、部活の店番あるけど、頑張って抜けて来るから!」と続けて言った。

 志衣は愕然とした。

 それは、一番言われたくない言葉だった。


「……んで、」

「ん?」

 志衣がぼそっと呟いたのが聞こえなかったのか、彼が聞き返してくる。そんな彼をキッと半ば睨みつけ、言葉を搾り出した。

 数年前から溜まっていた自分の葛藤が今、吐き出されようとしていた。


「なんで、なんで色をつけなきゃいけないんですかっ…!」

「え?」

彼の顔が固まった。


「別に、色をつけなくてもいいじゃないですか、世の中には白黒だけで出来た作品だってたくさんあるのに!なんで白黒じゃだめなんですか」


 単調な作品。自分でも嫌気がさしてきたあの絵を、さっき綺麗だと褒めてくれたのに。すこぐ嬉しかったのに、この人もその言葉を吐くのか。

搾り出された声は、掠れていた。でも言葉は止まらない。


「これでは作品になりませんか。つまらないですか。…でもこれがっ、わ、わたしの精一杯のモノなんです…!」


 私だって出来ることなら色をつけたい。みんなみたいに、もっと色んなものを描きたい。でもそれが出来ない。

 黒ばっかりは、もう嫌。

 

 最後は声が震えて、まともに言えなかった。

 数年前から溜まっていた気持ちが、胸の内から次々と溢れ出てきてしまった。もう止められなかった。

 我慢していた自分の葛藤が、今日会ったばかりの人に吐き出してしまった。

 唇がわなわなと震える。でももっと震えているのは自分の声だった。

 眼なんてもっとやばい。今にも何かが零れてしまいそうだ。

 志衣はみっともない顔を見せたくなくて急いで俯いた。ちらっと見えた目の前の彼は、彼女の突然の変わりように唖然としていた。

 目を痛いほど見開いて、床をじっと見た。

 そうでもしないと涙が落ちてくるから、それは嫌だった。唇を噛み締め、自分の身体から流れる何かを必死に止めようとした。だけど止めきれなくって、グスッと鼻をすすりあげた。


 目の前の彼の唖然とした顔。

 それはそうだろう。なんてことのない、ただ普通のことを言っただけなのに、いきなりキレられたんだから。八つ当たりもいいところだ。

 彼は悪気があったわけではない。そんなのはわかっている。

 だが、その言葉で私は崩れてしまった。


 暫く沈黙が二人の間を流れたが、彼はハッと我に返って慌てた。


「―――ご、ごめん!俺何か言っちゃいけないこと言った?まじすんません!!謝るから泣かないでください!おれ、ハンカチなんてもってたかな、…タオル、はダメだ。ティッシュハさっき使っちゃったし、…ちょっとここで待っててっ!」


 今度は彼がすごい剣幕で、謝り倒してきた。ごそごそとエナメルバックを掻き回した挙句、そう言ってボールの時みたいにダッシュで教室を出て行った。

 そして数十秒かからずに帰ってくると、彼はトイレットペーパーを二、三個腕に抱えて持ってきた。

「ごめんっ、タオルとかあるんだけど汚いから無理で…これで我慢してください!」そう言って、ペーパーぐるぐるとひきちぎって渡してきた。

 そんな彼の態度に、目を瞬いた。その拍子にぽろっと涙が一滴落ちた。それが合図だったかのように、抑えていた涙が一気に溢れ出てきた。

「え、ええっ!?」

 さっきより勢いよく泣き出した志衣を見て、彼は目に見えて狼狽えた。始終おろおろと動揺しながら、彼女の周りにトイレットペーパーのハンカチを大量生産し始めた。



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