あかいろ1
去年からちょくちょく書いてたものです。わかづらいと思いますが、読んでくださると嬉しいです。
キャンパスにのせる色はいつも決まっている。
私が描く絵は、なんの味気もない、全部が白黒でできた絵だ。
なぜ、と聞かれると困る。それは、自分でも答えようがないことだから。
別に白黒にこだわっているわけじゃない。書きやすいわけでも、かっこつけてるわけでも、これが私のポリシーや芸風だとか、そんなわけでもない。
ただ、他の色を使おうとすると途端に手が震えて、胸が苦しくなり息ができなくなるのだ。頭が真っ白になって、もう何も考えられなくなる。
まるでソレがとてつもなく嫌なものであるかのように、逃げ出したい衝動に駆られる。
いつからこうなったのかはわからない。気づいたら、使う色は黒以外受けつけなくなっていた。それを自覚した時は、驚きや泣くことよりも、先に諦めが浮かんだ。
前に友達に、なんで他の色を使わないのと聞かれたことがある。その時の私は、何も答えなかった。答えることができなかった。赤色とか使おうとすると身体が変になるんだよ、なんて口が裂けても言いたくなかった。絶対に馬鹿にされるし、何よりいつも変に反応する自分が恥ずかしかった。
始めは、まさかと思い何度も他の色を使って描こうとしたが、いつも失敗した。むしろ試す度に反応は酷くなる一方で、嫌悪感に耐え切れなくて台所で吐いたときもあった。
悩んでいた私を見かねてか、おばあちゃんは何度か病院へ連れて行こうとしてくれた。その度に拒否した。心配をかけてるおばあちゃんには悪いが、どうせ理解されないし、行っても治らないような気がした。
結局何度試しても何も変わらなかった。むしろ絵の具を見るのが嫌になった。
ある時、黒だけで描こう思った。いや、諦めたというほうが正しいのかもしれない。
ただ描くことだけはやめるよりは数倍ましだと思ったから、そう決めた。
それ以来、私は黒色だけで画を描いている。
――――――――――
―――――
学校全体に放課後のチャイムが鳴る。
クラスがざわめく中、戸崎 志衣は鞄を手に取って、ひとり一階の美術室へと向かった。美術室につくと、部の何人かはもうすでに自分の作業に取り組んでいた。志衣は軽く声をかけてから、いつもの自分の定位置である窓際の作業場へ向かった。
志衣にとっての定位置となるその場所は、今日も明るい陽射しが差し込んでいた。
椅子に腰掛けると、ほっと一息ついた。
この場所は自分にとって、すごく居心地がいい。今日はすごく天気がいいから、陽射しが部屋の中に入ってきて淡く足にあたるのが気持ちいい。
足をめいっぱい伸ばして、光合成をするように光にあたりにいった。ほのかに感じる温かさが心地いい。
やっぱり窓際だと外の様子がすぐに視界に入る。天気が良くても悪くても、外の風景を眺めながら作業するのはなぜか心が安らぐ。
ここは作業にぴったりの場所だと改めて思った。
暫くしてから、志衣はいつもどおりアクリル絵の具の中から黒を取り出し、板に絞った。
平筆に色をとって馴染ませると、キャンパスと向かい合う。
一面、白で覆われる壁。
すでに、薄く鉛筆で下書きをしてある。下書きは昨日の時点でもう済んでいた。
志衣は基本的になんでも描くが、今回は文化祭が近いのもあって展示作品として人物画を描こうとしていた。
今年の美術部の展示テーマは日本だ。日本に関わるものならなんでもいいらしい。いつもながら、このテーマを決める部長は大雑把だ。今度もきっと目に付いたもので適当に決めたんだろう。ちなみに去年は地球がテーマだった。
この部活に入ってから二年目になる志衣は、大雑把で適当な部長にもうそろそろ慣れてきた。その問題の部長は、ここ一週間見ていない。風の噂によると、どうやら探検にでているらしい。自由な人だ。
次の展示では、着物の女性を描こうと思っていた。
やっぱり日本といったら着物が民族衣装だし、志衣は着物がなによりも好きだ。部屋にはたくさんの着物の写真集で溢れかえるくらいで、今度本物の着物を買おうとひそかにお金を貯めているが、なかなか貯まっていない。
イメージとしては、江戸時代の熟れた女性を想って昨日下書きを描いたが、果たしてその雰囲気を出せるかどうかはわからない。
それで今日は線入れと簡単な色づけをするつもりだ。
―――色は黒だけなんだけど。
いつもどおりの大して面白くない色づけ作業に、自嘲気味に笑う。
黒しか使えないのは、今に限ったことではない。でも他の子が色鮮やかな作品を描いているのを見ると、たまに羨ましく思っている自分がいる。
不意に、少し胸のあたりが重くなった。そんな自分の胸の内の様子に、気付かないふりをして気を取り直し、キャンパスに筆をおいた。
すると突然図ったように、志衣が居るすぐ横の窓のガラスが、バリーンとけたたましい音が鳴って割れ、外からボールがガラスを突き破って飛び込んできた。
志衣は驚いて筆を落とし、反射的に腕で頭をかばった。
ガラスはけたたましい音を出してひび割れ、ちょうどボール分の穴をあけて、振動は収まった。
わずか数秒間の騒ぎが収まるのを感じて、そろそろと腕をおろし、割れた窓と飛び込んできたボールを恐る恐る見た。
―――野球ボール…?
飛び込んできたボールは特徴のある縫い目があり、見た事があるものだった。
いきなりのことにぽかんとボールを見つめていると、周りの子たちに、大丈夫!?怪我ない?とさまざまな声を掛けられた。
ガラスは辺り一面に散らばったが、幸い、近くにいた志衣は特に怪我はしなかった。
うん大丈夫だよ、と返していると、窓の外からダダダダッ!とこちらへ駆けてくる大きな足音が聞こえた。
今度はなんだ、と訝しげに他の子たちと窓の外の方を見やると、物凄い顔でこっちへ走ってくる人の姿が見えた。
「すんません―――っ!!大丈夫っすかー!?…っあああー!やっぱり窓が割れてるー!!まじ大丈夫すか!?」
大きな声がしたと思ったら、ユニフォームを着た男が勢いよくこっちに向かって走ってきた。そして、割れた窓の前で急ブレーキすると、ガラスが飛び散っている状況に叫び声を上げ、窓越しに鬼気迫ったような顔で私に迫ってきた。
私はその勢いに思わず、うわっ、と引いてしまった。しかし、目の前で顔を歪ませながら肩で大きく息をする人の様子にハッとし、無事な方の横の窓を開け、「大丈夫です、」と慌ててその人に伝えた。
「ほんっとにすんません!俺が球を取り損ねたせいで、ガラス割っちゃって…!本当に怪我とかないすか?」
すごく申し訳なさそうに肩を落とすその人に、再度「大丈夫ですから、」と宥めるように言った。
ラッキーなことに窓の近くには私しかいなかったし、怪我はしなかったし、被害は小さなほうで運がよかった。とりあえず、ガラスを踏まないように気を付けながらボールを拾い、破片をハンカチで軽く払ってからその人に渡した。
彼は「すんません…」と言いながら、ボールを受け取った。
「あの、そのガラス俺が片すんで、そっちにお邪魔してもいいすか?」
先ほどまでの勢いは鳴りを潜め、彼はそう申し出てきた。
「…あ、ああ大丈夫です。私がやっとくんでそのままでいいです、」
知らない人とあんまり関わりたくない志衣は、反射的にそう言った。
すると、彼は「いやいや!やります!」とすごい勢いで首を振った。
「いや大丈夫ですから…」
「いや、だめです!俺がボールを取れなかったからこうなったんで、やらせてください!」
「…や、大丈夫ですって」
(こっちがやると言ってんのに、押しが強いなあこの人。)
どちらも引かない言葉の応酬に、志衣はだんだんとげんなりしてきて、思わずそう思った。
大抵ここはこの人に手伝ってもらうのがいいのかもしれないが、彼女は早いとこ絵の続きに取り掛かりたかった。
絶対片付けも自分がやったほうが早いと思うし、ここは任せてくれないだろうか。
「いやいやいや!やらせてください!」
「…でも部活中ですよね?だから、やっときます」
志衣がそう言うと、彼は眉を下げて困った表情をした。
「多分野球部の人、ですよね?早く練習に戻ったほうがいいんじゃないですか?」
立て続けにそう言うと、彼はますます情けない顔になった。
その表情に、野球部って大変そうだなと思った。
運動部だから厳しいだろうし、まして野球部とか、監督が怖そうなイメージがある。しかもうちの学校は他と比べて力の入れようがハンパないことが容易に想像できた。
志衣の高校は、県の中でも部活動にすごく力を入れてる高校で、各地からいろんな競技や技術で推薦に来る生徒がほとんどで、一般試験で入る人は少ないという少し変わった学校だ。中でも運動部が盛んで、メジャーな野球、サッカー、バレー、バスケなどのスポーツはとても厳しいらしい、と誰かに聞いたことがある。なんでも、関東大会に行くのは当たり前らしく、それ以外は認めないといった方針らしい。
痛い所を突かれたのか、彼は顔を歪ませて「うーん………いや、でも片付けないと監督に怒られるし…」と悩み、煮え切らない返事をした。きっと彼の中で、片づけか部活か監督で葛藤しているのだろう。
もう一押しか、と思って志衣は「私も早く作業に戻りたいので、ここは私に任せてください。そんなに飛び散ってないし、一人で充分ですって監督さんに断られたって言っておいてください。」と無理やり丸めこんだ。
「…じゃあ、すんません。よろしくお願いします」
彼は少し考えて、ここは引いたほうがいいと思ったのか、帽子をとって一礼し、走ってグラウンドに戻って行った。
志衣は暫くその姿を見送った後、はああーっと大きく息を吐いた。
片付けなければいけないその惨状に、げんなりとした。
めんどくさいことこの上ない。
だったらさっきの人を手伝わせればいいじゃないか、という声がどこからか聞こえてきそうだが、志衣は昔から人見知りの気があるため、極力知らない人と関わりたくないのだ。
今流行りの、一人で内に籠っていたい派というやつである。
志衣はのろのろと、掃除道具を取りに行こうとしたが、既に他の子が持ってきてくれていた。有難いことに片付けの手伝いを申し出てくれて、結局みんなで後片付けをした。