異世界派遣の労働者
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妖しいほどに艶やかな黒い鱗を持つ東京タワーと同じくらいとても大きな龍が大きく息を吸い込み、渾身の力を込めるかのように青い炎を辺り一面へと吐き出す。辺りには草木も生えない土が剥き出しの大地が広がっており、被害はないように見られた。だが巨大な黒龍の足元には三人の人間と思しき影があるように見え、影が次々と盛大な叫び声を上げる。
「うっし、【ファランクス】」
「ひぃっ、ま、間に合った!り、りりりリリィ様!早く早く早く早く早くっ」
人のような影の一人は艶の消された全身鎧に身の丈に合わぬ自身より二倍程度大きな盾を構え、なにかを叫ぶと淡く優しい色をした光りが他の二人諸共包み出す。光りが三人を包んだ瞬間、巨大な黒龍が吐き出した青い炎が三人に襲いかかるも炎が晴れると無事であることが確認出来た。その姿に黒龍は怒りにも似た悍ましい雄叫びを上げ、三人の内の一人である一番身なりの貧相な若者が心底怯えたような引き攣った声を出す。
「ぬぅっ、そんなことは分かっておるわ!黙っておれジロー!【我魔導ノ姫ニシテ王、リリィムーン・ユリシィ・ルーヴェンフガ告ゲル。永久ナル眠リカラ目覚メヨ、輪廻ノ理ヨ今暫シ外レ仮ノ主タル吉田次郎吉ヘト宿リ力ヲ貸シ与エヨ!英霊憑依ッ!紅ト蒼を頂キシ眠リノ歌姫ニシテ龍殺ノ姫、コルテニア・サラステーア】」
情けない青年の叫び声を聞いた純白で穢れのないドレスを着込んだ女性とは言えない妙齢の少女は、不機嫌な表情を浮かべ苛立ちを隠さない口調で吐き捨てる。次の瞬間、三人組の最後の一人である少女は常人には聞き取れない不思議な旋律を持った美しい言葉を発しながら、貧相で情けない青年へと手を翳した。
途端、青年の足元には複雑怪奇な淡く光りを携えた魔法陣と思しき円が幾重にも出現し、強い光りが青年を覆う。光が晴れた頃には仲間の背中に情けなく隠れていた青年はいなくなり、透き通る硝子で出来たふた振りの短剣を握りゆるりと大盾を構えている仲間の前へ足を進めている。
「『……ふぁぁ。あなた、また暴れちゃったのね。わたしがあなたを退治して、わたしはあなたの呪いで永遠の眠り姫として死んだのに……。わたしの歌を気に入ってくれたのは嬉しいのだけれど、あなたのせいでわたしは幸せになれなかったのよ?だから……、また死んでくださる?』」
俯いて表情の分からなかった青年は、ゆるゆると何歩か歩くと不意に欠伸をする。欠伸に混じったその声は先程の青年とは言い難い甘く柔らかな女性の声音を含んでおり、俯き加減で良く見えなかった顔を上げれば黒い目をしていた青年の目は紅と蒼に変わっていた。だが青年の変わりように仲間の二人は驚いた様子はなく、二人は息を潜めるように黙ってしまっている。
誰かに聞かせるような、遠い遠い昔の出来事を語るような、だけど自分本位な喋りをしていた青年と思しき者は壮絶なまでの美しい微笑みを浮かべ短剣を構えた。それに呼応するかのように黒龍は大地を震わす雄叫びを上げ、その声を聞いた青年と思しき者は口が裂けてしまうんじゃないか?といささか心配してしまうほどにニンマリと口角を上げ素早く地面を蹴った。
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時は過ぎ、ここは異世界派遣労働局。通称は異局。異世界と異世界を繋ぐように建ってるらしいけど、俺には良く分からない。ついさっき異世界で暴れていた黒龍とやらを倒し、報告をするために立ち寄った。異局はとても大きな建物だけど、その外観には似合わない質素な中身をしている。壁の至る場所に扉があるという造りはしているものの、中央には良く会議で使うテーブル一つとパイプ椅子が四つ。
「はい、世界は第二十八の世界シュルート。依頼主は第二十八の世界主神であるシュツルゥト様。依頼は暴れていた黒龍の討伐で、無事に成功しましたね。依頼料は比較的出来たばかりの世界なので一人頭一千万と安価ですが、世界を作れる程の力を持ったシュツルゥト様とのコネを作れたのが一番の利益です。報酬は手数料諸々を引いた八百万で、ルーヴェンフ様とカリンツァ様にはもう振り込んであります」
俺が三つあるパイプ椅子の真ん中に座り、右隣にカリンツァさんが座り、左隣にリリィ様が座る。会議用テーブルを挟んで俺と対面するのは綺麗な長い白髪をゆったりと紐で括り、顔を覆い隠している紙には大きく秘密と書かれ、だぼだぼな真っ黒いローブを着た声で判別するなら女性。彼女はこの異世界派遣労働局に事務員として雇われていて、俺達の仕事の斡旋や報酬の振り込みなどその他諸々のサポートをやってくれている。
素性を明かさないのは俺達のような派遣と親しくなり過ぎないのと、どうしても様々な力を持つ異世界の人がいるからか、顔を見ただけで操られたり名前を教えただけで隷属させられたり……。まぁ、それ対策をするのは当たり前だな。なので俺達は勝手にあだ名を付けて呼ぶ、と言うことが主流になっており、俺はなんのひねりもない受付さんって呼んでる。
「うむ、選定者殿の素早い対応にはいつも驚かされるばかりじゃ」
「あんがとな、嬢ちゃん」
「では我は民が待っておるゆえ、少しばかりは名残惜しいが早々に帰らせてもらおうとするかの」
「じゃあ俺も。またな、ジロ」
「あ、は、はいっ!」
受付さんの言葉にリリィ様が満足そうに何度も頷き、カリンツァさんも着込んだ全身鎧で表情は分からないものの、声音から推測するにリリィ様と同じく満足そうだ。そして一言、二言短く言葉を交わすと膨大な壁にある扉から迷いもせず一つを選び、ドアノブを捻り扉を開いて行ってしまう。
リリィ様、本名はリリィムーン・ユリシィ・ルーヴェンフ。第十三の世界ティウルア出身で、魔導でティウルア一繁栄しているルーヴェンフ帝国のお姫様。まだ齢15でありながら帝国では誰の追随も許さないほど、魔導に通じていることから魔導王と言う異名を持つ。英霊憑依と言うのはリリィ様にしか出来ないことで、憑依させるのは魔力が微塵もない地球人の俺にしか出来ない。まぁ詳しくは省くけど、異局の派遣として働くのはスカウトされたのと英霊憑依の実験のため、らしい。
カリンツァさん、本名はカリンツァ・アーチェスト。第十八の世界エピデンドラム出身の貴族様で、剣と魔法という典型的なファンタジー世界から来ている。カリンツァさんはエピデンドラムを創った神様から神託と言うやつをもらった、と積極的に異局を訪れては仕事をしているらしい。ちなみに神託は人に話してはいけないみたいで、気になって一度聞いてみたら申し訳なさそうな表情で断られてしまった。頼れるお兄さん的存在でもある。
「吉田様は手取りとして五万円です。依頼料換算はしないでおきますが、あと29314回の依頼をこなして頂くと晴れて吉田様は自由の身となります」
「……は、はい。そ、その節は大変ご迷惑をお掛け致しました」
腰が低くいつまでも吃り癖が治らない俺が、吉田次郎吉。大学を卒業してもこの性格のせいで就職出来ずに早一年、親から無言のプレッシャーが重く感じ格安アパートに逃げたフリーターで彼女なし……む、虚しい。俺の不注意で多額の負債を背負ったので、頭を下げてここで働かせてもらってる。しかも金額じゃなく回数だし、手取りでお金ももらえるから色々助かった。本当に。
「いいえ、我々異世界派遣労働局にとって良い拾い物をしたと思っております。第三の世界である地球の方は異世界に派遣しても遊びだと勘違いし、すぐ使えなくなっておりましたからね。吉田様は色々と戒めがございますので、死に物狂いで依頼を達成して頂けて助かっております。この調子でどんどん頑張ってください」
「は、はい……」
毎日ここで働いても返済は無理そうだけど、金額換算したら天文学的数字だから回数の方がまだ現実味がある……と思いたい。声音から推測するにニッコリ笑みを浮かべていそうな受付さんがテーブルの上に置いた茶封筒を手に取り、俺は精一杯がんばって引きつった笑いを浮かべた。逃げようと思っても地球と異局の偉い人たちが結託してるし、きっと死ぬことでしか逃れることは出来ないだろう。
だったら意外とやっていけてるここで馬車馬のように働き、ファンタジー世界を堪能した方がお得だ。デカくて恐ろしい魔物に出会ったら泣き叫ぶし腰は抜けるしリリィ様に縋り付くしカリンツァさんには盾になってもらうし、全くもって自分でも情けないって思うけどね。パイプ椅子から立ち上がり、受付さんにお辞儀をすると自分の世界に帰る扉の前に立ち、ドアノブに手をかけた。
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