過去
ハイジが自信満々に立っているその後ろにシルトとエトナが戸惑った表情を隠しもせずに立っていた。三人の前には、秋色のドレスを纏った女性が立っている。女性は風を纏い、ドレスの裾はたなびく。彼女は秋の妖精、ニンフであった。
「あ、あのそれで……。」
シルトが後ろから恐る恐るニンフに話しかけた。ニンフは秋の嵐吹くその輝く瞳を閉じると、少し思案しているようだった。
「わかりました。道を指し示しましょう。私が垣間見るのはほんの先のこと。結局はあなた方が選ぶのです。」
ニンフは瞳を開くとハイジを見、そして後ろの二人を見た。風がびゅうと吹いて一行の周囲を渦巻く。
「北に打ち捨てられた兵舎があります。あなた方はそこで秘宝を見出すでしょう。南に入口のない塔があります。そこには強大なる邪悪と望みを叶える混沌があるでしょう。」
「入口のない塔?」
シルトが聞くとニンフは頷いた。
「そうです。塔の内部へは同じ混沌が導くでしょう。」
エトナとハイジは少し思案していたが、シルトは胸元を探るとそこにあるカードに手を触れた。シルトには予感があった。
シルトは他の二人を見ると頭を振る。
「塔に押しいるには人手が足りませんね。」
エトナ将軍も大義そうに頷くと同意した。
「じゃあどこ行くの。」
ハイジが尋ねる。
「兵舎しかないでしょうね、この場合。」
シルトが答える。顔は苦虫を噛み潰したようだ。
まだオークがウロウロ歩く村を抜けると、かくしてその兵舎はあった。打ち捨てられた建物らしくない美しさだが、よく見ると蔦植物はその建物を避けるように手を伸ばしている。白い壁はピカピカ光ってかえって薄気味悪さに拍車をかけているように見るものすべてが感じた。
「これは…。」
外観を見てシルトとエトナは気まずそうな顔をした。
「想像以上でした。」
廃墟どころではない危うさを二人は感じていた。
「ねーお菓子食べる?」
ハイジは感じていないのか、あるいは感じていて無視してるのか。
一行が建物を前に尻込みしていると、扉の前に影のような人影がうっすらと浮かび上がってきた。いや、それは全身鎧に身を包んだ人だ、ただ存在感は揺らめいている。
「レイス(死霊)です。」
誰に尋ねられた訳でもなくシルトが言う。
レイスはゆっくりと頭を上げた。
「ガードモアを訪れし者よ。扉はヴァンドマーが開くであろう……。」
レイスはシルトたちが見えていないかのように言葉を紡ぐ。
「貴方は、ガードモアのパラディンですか。」
シルトがレイスの様子を伺いながら訊く。
「いかにも、私はバハムートの騎士に列ぶものであった。」
コトリと木のテーブルの天板をカップが叩く。中の緑色の茶からぷかぷかと白い湯気が吐き出され、茶色のドラゴンボーンの鼻先をくすぐった。
「ガードモア修道院の過去を?」
「そうだ。」
預言者ヴァルスランが二人の訪問者を睨むように眇めた。さてどうだったかなと本棚に向った。
「ガードモア……ガードモア。」
と呟きながら背表紙を老賢者の節くれ立った指先が撫でて行く。
指が止まり「ネンティア谷年代史」と牛革の装丁に焼印の文字が入った本を抜き出した。
「これなら書いてるかのぅ。」
ヴァルスランが本を開く。
ゴウトとニナランが神妙に椅子に座り直す。ヴァルスランがメガネを持ち上げ、本を読み上げた。
初期のネンティア谷について。
ガードベリ丘陵に最初の入植地が作られたのはネラス帝国初期の開拓事業の折である。
バハムートを信仰する一団が中心となったのは彼らが困難に立ち向かうことをよしとしたからであった。
開拓事業は順調であった。開拓によってガードモア修道院は栄える。バハムート教団は妥当すべき敵としてデヴィルの本拠地である九層地獄へと騎士団を遠征派遣した。聖騎士たちは九層地獄での苛烈な戦いに勝利し、宝物としてデック・オヴ・メニーシングスを持ち帰る。
レイスが話を続ける。
「その後、デック・オヴ・メニーシングスを手にした修道院はさらなる隆盛を見た。しかし、既にその時にはおかしかったのかも知れぬ、誰もおかしいとは一言も言わなかった、誰もが繁栄が虚構だとは気づかなかったのだ。」
彼は剣にもたれるように跪き、俯いた。
「その予兆はあった、北の山脈からオークの一団がネンティア谷を目指しているという噂が。」
レイスの虚ろな青い光が瞳のようにシルトたちを見やる。
「しかしオークごとき我らの敵ではないと思った。私だけではない。」
「しかしそのオークに端を発する一団がガードモア修道院に破滅をもたらしたのじゃ。」
ヴァルスランが続ける。
「オークの他にゼヒーアの信者、屈強な将軍に率いられたホブゴブリンの軍団、修道院に煮え湯を飲まされてきた軍勢が結託したのじゃよ。」
「その日のことはよく覚えている。ヨモギ茶を妻が淹れ、窓から朝日を浴びて輝く神殿を眺めた時だ、ドスンとテーブルが揺れるほどの音がした。剣を掴み、外に出ると防壁の割れ目から丘巨人がこちらを見ていた。」
レイスが剣で防壁を指し示す。
永い時間がそうさせたのかと思われた巨石の防壁の割れ目が、外からの急激な力で打ち破られたということがまざまざと思い起こされた。
「兵力の再結成をするため、私は兵舎へ走った、兵舎に着くと外から金切り声が聞こえたかと思うと、扉は閉まり、中には猿じみたデーモンが現れた。しかし、次の瞬間にはそいつも私たちも兵舎に縛り付けられた。地獄から来た秘宝の力が私たちを死せる奴隷へと仕立てたのだ。」
「それから先は、おぬしらが見てきた通りだ。」
ヴァルスランがテーブルの上に置いてあった茶をすする。
「デック・オヴ・メニーシングスとは……?」
ゴウトがさらに尋ねた。ヴァルスランは頭を振ると口を開く。
「わからん。しかし強力な魔法を持つことは確かだ。」
兵士のレイスが続ける。
「さあ、勇者よ。話は終わりだ。先へ進め。ただ一つの剣を掲げるものだけが先へ進めるだろう。」
そう言い残すとレイスはすえた臭いだけを残して掻き消えた。土の上にも彼の立っていた形跡は見当たらない。まさに幽鬼のごとしである。
シルトとエトナが腰を落とし足を擦りながらゆっくりと兵舎へ近寄る。
兵舎の壁に手を滑らせ、何もないかと思ったその瞬間に、シルトの麻袋から光が漏れ出しシルトの手を照らす、光は熱くも冷たくもないが、咄嗟に手をのけると兵舎跡の扉を指し示した。光源はゴーレムから抜き出された巻物だった。
シルトの手の中で巻物は跳ねるように解かれ、さらに輝いたかと思うと、炎を上げ燃え落ちてしまった。はっと三人が兵舎を見ると、光を照り返すばかりの壁も扉も姿を隠して、あったのは廃墟であった。
時間が壁に染み付き、忘れられていた日と月の灯りが扉を今、切り裂いた。
エトナが頷くとシルトはロングソードを抜き、剣を後ろに半身になると扉へと近付いた。出会い頭の防御を固めるソードメイジ秘伝の構えである。目に見えぬ秘術の盾がシルトの左腕にまとわりつく。エトナとハイジがシルトの後ろでそれぞれ武器を構えた。
玄関ホールには天井から光が指していた。天井に大穴が開いていたのである。日の光はホールに置いてある剣を掲げた騎士たちの像を照らし出す。さらにホールの奥を見ると猿じみた顔をした腕の太い生き物が二足で立っていた。
「デーモンですね、バルルグラと呼ばれています。」
「またバルルグラなの?最近多くない?」
ハイジがごねた。
「確か初めて会ったはずですが。」
シルトが悩み顔になりながら応える。エトナはバルルグラから目を離さなかった。バルルグラは自分に起きた事態をしばらく把握できていなかったが、三人を見ると口の端を吊り上げた。
埃の積もる石畳の床をガサリガサリと踏み鳴らすと、バルルグラは口を開いた。
「ここに閉じ込められてからこっち、何も出来なくてムシャクシャしてたんだ、復活の祝いに貴様らを殺すとしよう。」
腕を振り回すと、三人を囲むように黒い幽鬼が三体現れた。先程の騎士もいる。
「いやあ、出てってもいいよー。」
ハイジが軽い口調でバルルグラに言い放った。そう言いながらも杖はピタリとバルルグラの眉間に向けられていた。
「小娘め、俺に指図するな!」
と激昂し、バルルグラがググラガアと叫び床を蹴る。シルトが素早く詠唱し、衝撃に備える。
「突然押しかけてすまなかった。」
ゴウトが鎧を軋ませながら立ち上がった。ヴァルスランはゴウトを見上げながら、
「何、茶飲みにはちょうど良い話題じゃよ。」
と応えた。
ゴウトがふと顔を巡らす。
老賢者は
「何事かあったかの?」
と訊いたが、ドラゴンボーンは頭を振った
レイスとバルルグラの悲痛な断末魔が響き、その後には廃墟に静寂が戻った。異界の者たちの死体は消え失せた。
「バルルグラ何にもしてなかったねー。」
ハイジが無邪気に言った。シルトは心底呆れた顔をすると、バルルグラに同情した。(と言っても死んでしまっていたが)
怪物達が退くと、ホールの一番奥にある祭壇の上で炎が燃え上がった。廃墟の中にあって、色褪せず神秘の輝きを放つその火鉢には銀色の炎が揺らめいている。
「こいつは何だ?シルト。」
エトナが火鉢に歩み寄りながら訊く。
「わかりません……。」
シルトも炎を眺めながら答えた。
ガードモア修道院に潜む狂気 第九章 過去 了