秘術師の塔
塔の異様さもさながら、更に気になったのは壊れてしまった扉とその左右に控えている異形の像であった。双頭の竜が長い爪を構え、吠えるような仕草をしている。
「なんだか、きになるねこれ」
とハイジが珍しく気に留めた。シルトも訝しげな表情をしてはいた。しかし、内心確証が持てず何も言えなかった。ヨルゴだけは、目ざとくその像の爪についた黒いシミについて気づいた。
「これ、なんかシミがついてるよ」
「詳しく調べた方がいいな。」
シルトが言う。しかし、自分で調べるとは言わなかった。
「へいへい……。」
ヨルゴは不承不承と様子で像へと近づいていく。竜のおぞましい牙と鱗、そして黒いシミのついた爪などを気にしながら調べてはみたが、どう考えてもただの石像だった。
「どう見てもただの石像なんだけど。」
ヨルゴは隣に立っていたシルトへ言う。シルトは黙っていた。
「ただのせきぞうかー。」
緊張感のない声で言ったのはハイジだった。
「だいじょぶだいじょぶー。」
追い打ちで言う。
ヨルゴとハイジ以外は表情を強ばらせたが、おそるおそる塔の取れかけているドアへ向かって歩き始めた。陰鬱な雰囲気だけが辺りを支配している。
かなり高くなっている戸口をくぐり抜けるとそこは広間になっていた。部屋の中心には根元から崩れ落ちたオベリスク状の石が落ちている。オベリスクは血のしみで覆われていた。
「うっ。」
先頭を歩いていたヨルゴが口元を覆う。部屋はすえた臭いがしていた。
部屋には、壁にかけられた松明とは別に揺らめく魔法の輝きが辺りを不気味に照らし出していた。部屋にぐるりと目を凝らすと、オベリスクにもたれかかるようにして人影が倒れているのが見える。エトナ将軍とゴウトが目配せすると、一行はじりじりとゆっくり前へと進む。
次の瞬間、高笑いが聞こえたかと思うと、戸口から部屋に飛び込んできたものがあった。信じがたいことに入り口に立っていた石像が翼を羽ばたかせ、襲いかかってきたのだ。
「やっぱり罠だったじゃないか!」
ゴウトが不満の声をあげる。石像たちは口を大きく開け、怪鳥音を出す。
ばきばきと石が割れる音が聞こえる。石像たちが羽を動かす度、表面の石が割れているのだ、中から黒い液体が染み出し固まり、再び翼を動かすと割れる、それの繰り返しだ。
「あれはガーゴイルだ。」
シルトが冷静に言う。
「それで?!アイツラを倒すのには?」
ゴウトが叫ぶ。
シルトが剣を鞘から抜くと笑い。
「とにかくぶっ叩け!」
と言うと、ガーゴイルに一太刀浴びせた。ゴウトが大剣を抜き、エトナが戦斧を構える。すると、オベリスクの辺りからガラガラと砂礫が崩落ちる音がした。さっきまでうつ伏せに倒れている人影が立ち上がっていた。
シルトは立ち上がって初めてそのクリーチャーの異様さに気がついた。大きいのだ、ただのヒューマンじゃない、背丈も腕の太さも足も、身体もとにかく大きい。それはヒューマンなどではなく、ゴーレム、人の肉から創り出されたフレッシュ・ゴーレムだった。
「なにあれ?なにあれ?」
ハイジがはしゃぐ。
「ゴーレムだ、魔法の自動人形、ヤバいぞ。」
シルトが剣を後ろに振り、左手を前にした。
「アスティニア イム エリシア イージス」
剣と左手の間に光の筋が走ったかと思うと、輝く輪がゴーレムの前にフワフワとちらついた。
ヨルゴが走ってもう一体現れたガーゴイルに躍りかかった。ガーゴイルの肩口に斧が刺さり、ヨルゴはガーゴイルを蹴り飛ばし斧を引き抜く。ガーゴイルはバランスを失い、床に強かに叩きつけられ表面の石が割れ散った。
ゴウトも大剣を大上段に構えると、次の瞬間にはガーゴイルを打ち据えていた。ガーゴイルの胸が裂け、ガーゴイルが悲鳴を上げる。しかし割れた石は立ちどころに塞がって行く。
「キリが無いぞ。」
さらにゴウトは息を吸い込むと電撃のブレスを吐いた。しかし、ブレスは敵に触れず宙を切り裂くに留まった。
「ああ見えてダメージは入ってるはずです。」
シルトが答えた。
「多分。」
「どーん!どーん!。」
大丈夫、ハイジは楽しそうだ。
シルトはハイジの様子に苦笑いした次の瞬間ゴーレムの腕に襲われ、床に叩きつけられた。肺の息が全て絞り出され口からはヒューヒューという音しか出ない。それでも立ち上がると今度は剣を前に突き出した。
「アイシニア エトラ ウム。」
剣が僅かに震える。
「ディープ・フリーズ!」
と叫びながら、剣を横薙に振るいゴーレムの腹部に斬りかかる。ゴーレムは剣を受けると僅かによろけ声にならない叫びを上げる。それを見たシルトが指を鳴らすと、ゴーレムの周囲の空気が霜となり、床に降り落ちた。ゴーレムにも霜が着いている。
ゴーレムの動きが緩慢になった。さらに周囲の空気が凍りつき、ガーゴイル達にも襲い掛かる。ガーゴイルの足が床に凍り付き、ピシピシと音を立てる。
「凍らせました。」
シルトが言った。
「ただ、長く持ちません。」
ゴーレムが無理矢理腕を振り、ゴウトは跳ね飛ばされた。
ゴウトはさらに2回目の腕を受け、昏倒してしまった。
「ゴウト!」
とヨルゴが叫ぶ。しかしエトナもガーゴイルを相手にしており、手が出せなくなっていた。ヨルゴは目の前のガーゴイルに更に戦斧を叩き入れ、首を跳ね飛ばした。ガーゴイルの首から黒い液体がほとばしった。
「イージスが僅かに防いだ。」
シルトが叫ぶ。
「しかし、まだマズイかも。」
ゴーレムはシルトに目を付けると身体を跳躍させ、拳をシルトに叩き入れた。肋骨が折れ、肉に刺さる感覚がある。シルトは石床に片膝を着いた。
「あっ、ゴーレムの巻き物!」
ヨルゴが気付いたように声を上げた。
「身体に埋まってる!」
ゴーレムの胸部には確かに封をされた巻物が埋め込まれていた。
「よーし、アタシがんばるー!」
ハイジは走ってゴーレムの懐に飛び込んだ。素早い動きにゴーレムの腕は宙を切る。
ゴーレムに取り付いたハイジはスクロールを取ろうとした。しかし、ハイジはゴーレムの胸部をがりがりと掻くことしかできなかった。
「これ、意外と難しいんだけど…。」
「ハイジ!危ない!引け!」
エトナの叫びがハイジの耳に入り、胸を蹴って後ろに飛ぶ。
ゴーレムは消えたハイジの姿を求めて左右に首を振った。ヨルゴがその隙を見逃すはずが無く、胸元に飛び込むと慣れた手付きでスクロールをゴーレムから抜き出してしまった。
「ヨルゴ!」
エトナが叫ぶ。ゴーレムは膝から崩れ落ちた。
「よくやった!」
エトナの声にヨルゴの顔がほころぶ。ハイジは頬を膨らませた。
「わたしにもできたもん!」
エトナは残ったガーゴイルに戦斧を振ると
「じゃあ、コイツもやれるだろ?」
と言った。
「もちろん!」
ハイジは笑うと腕を振りかざし、
「砕けちゃいな!ケイオス・ボルト!」
腕からほとばしった極彩色の魔力の稲妻がガーゴイルを打つと、次の瞬間には焼けた砂利の集まりを作り上げていた。
部屋には静寂が戻ったが、一行は凄惨な有様であった。昏倒したゴウトにエトナが手を当て
「まだ立てるぞゴウト、力の流れを感じよ。」
と声をかけると、ゴウトはゆっくりと目を開けた。
「ヤッツと違ってお主の言葉は厳しすぎるのう。」
と細い声で言う。
ヨルゴはシルトに瓶に入った水薬を飲ませた。微かな光の粒が見えると、ゴキ、ポキポキという音がしてシルトが歯を食いしばった。折れた骨が再生をしている。傷の回復をするのにも体力勝負だ。意識を集中しなければ、回復の力は霧散してしまうのだ。
ゴウトも身体に力を入れ、血を止めると肩を回し全身のチェックを始める。エトナは立ち上がると部屋を見回した。
部屋は書棚と壁の松明、部屋の中心にオベリスク、そして奥には昇り階段があった。書棚を指差す。ヨルゴが頷くと書棚に歩み寄り、本を調べ始めた。
「そういや文字読めないかも。」
ヨルゴが言った。
シルトがゆっくりと立ち上がると口を開いた。
「申し訳ないが、私とゴウトはしばらく動けなさそうだ。書棚は私が調べておこう。」
ゴウトも首だけを動かし同意する。
「調べ終えたら修道院の中を調べに行く。」
「大丈夫か。」
エトナが尋ねた。
「オークくらいには遅れを取るまい。」
ゴウトが応えた。エトナが頷く。
「しばらく二手に別れてそれぞれ遊撃しましょう。」
シルトが提案した。
「わかれわかれになんのー?だいじょぶー?」
ハイジは口ではそう言うものの心配してはいなさそうだった。
信頼があるからか。
「合流は、特に決めなくても施設内ならぶつかるでしょう。」
シルトは続けた。エトナ将軍は目を閉じて考え込んだが、この二人なら大丈夫と思い、承諾した。むしろ、頭が痛いのはヨルゴとハイジの方だった。
「ヨルゴ、ハイジ、私と行動だ。」
エトナが二人を呼ぶ。
「将軍、どうします?上に行きますか?」
「まだまだうえがあるのー。」
ヨルゴとハイジはそれでも素直にエトナに従った。冒険と財宝こそが彼らの喜びでそれが得られるならどこにでも行くのだ。
三人が階段を昇っていくのを見届けるとゴウトはシルトを見た。シルトは書棚を熱心に調べていたが、得るものが無かったのか、首をすくめ、ゴウトの所へ歩み寄る。
「得るものは無しか。」
ゴウトが訊ねる。
「まぁ、そんなところです。」
ゴウトが立ち上がるのにシルトは手を貸した。
「この塔は秘術師ヴァンドマーの研究室で、ヴァンドマーはガードモア修道院に重宝されていたウィザードだったようです。」
本の内容を思い出しながらシルトは話す。
「しかしガードモア修道院の滅びの記録にヴァンドマーの結末は書かれていません。」
シルトは少し考えたが、考えるだけ無駄と思ったのかすぐに辞めた。
「私達は少し村の方を捜索しましょう。」
「オークの先輩は勘弁してくれよ、次会ったらどうなるか。」
ゴウトは渋い顔だ。
シルトは苦笑しただけで塔の戸口から外に出た。ゴウトも後に続く。
「二人だけなら何とかなりますよ。ゴウトは黙ってくれていて大丈夫です。」
二人は殆どが廃墟の村を見て歩き始めた。
オークの守備隊が歩いているのに遭遇はしたが、二人がオークたちと同じ鎧を着ている事と、ゴウトの強面を見てオークたちは近づくのを避けていった。
「貴方の疵顔も役に立ちますね。」
シルトが軽口を叩く。
「ふん。」
ゴウトは黙っていた。
とある建物の前へ来た時、二人の耳にはすすり泣く声が聴こえた。二人は顔を見合わせたが、声の聞こえる場所を探す。階段で半地下になっている貯蔵庫として使われていたらしい建物から聞こえてくるようだった。シルトとゴウトは扉に耳をつけて音を聞いた。
「おーいおいおいおーい。」
それは男の声のようだった。十分に怪しかったが、シルトが扉をそっと開く。しかし、扉は立て付けが悪く、けたたましく音を響き渡らせた!
「ヒッ。」
怯えるような声が奥から聞こえた。見るとやせ細って髭と髪がぼさぼさにのびた男が足を繋がれて暗がりに身を横たえていた。シルトが扉を閉め、二人は男の方へ近づいていく。
「あなたは何者ですか?」
シルトが尋ねた。男は二人を見て口をぱくぱくさせていた。
「私達はオークどもではありません。」
シルトが男に言う。すると男は涙を両目から流し髭を濡らした。それでも涙を飲み込むと話しはじめた。
「ワシは冬越村の農夫でジョージつうもんです。」
「ワシは農作業してるところをゴブリンに捕まったんですわ。」
「ワシの他にも何十人も捕まったみたいですわ。ワシは冬越村から連れ去られる途中でゴブリンからオークに売られたんですわ。」
シルトとゴウトは顔を見合わせた。
「他の村人はもっと東に連れてかれたみたいでしたわ。」
すすり泣きながらジョージは続ける。
「最初はオークの奴隷として働いてましたが、足が悪くなるとヤツらワシをここに閉じ込めて時々きてはワシを虐めて楽しむんですわ、石をぶつけたりしてワシが苦しむのを見て笑いおるんです。」
ジョージは頭に出来た古傷を見せた。
「こっちの目はもうすっかり見えんようになってしまいました。」
確かに目は膿んでしまっていた。
「なぁ、冒険者さん、ワシを助けてくれんだろうか、ワシはもうここにはおられん。」
シルトとゴウトは、すっかりジョージに同情していたが、しかしその申し出にはかなり悩んだ。
「とりあえず傷を治しましょう。」
シルトが言うと、ゴウトが頷き、大剣を抜くと男の足の鎖を断ち切った。シルトが悩みながらも傷の手当てをする。
「しかし、コイツは勝手に逃げて貰った方が良くないか。」
ゴウトがシルトに言う。
「この傷では途中で見つかってしまうでしょう。」
シルトが答える。
「我らは只働きはせん。」
「これは我々にも良い状況です。奴隷を移送すると言って村を抜けられます。」
ゴウトは難しい顔をしたが、シルトは気にせずに男に手を貸し立たせた。
「我々も休憩が必要です。」
「我々も村に戻る必要がありそうです。」
シルトが続ける。
「そうか、これ以上は言うまい。」
ゴウトも男に手を貸した。偉丈夫二人に抱えられ男の足は宙に浮いてしまった。三人は外に出、正門を目指して歩き始めた。
「ワシが捕まったゴブリンの連中、あいつらはブラッドリーヴァーズちゅう人さらい集団ですわ。」
持ち上げられながら男は小声で話した。
「なんでも東の方から来たって噂が流れたそばからこれですわ、働き手も沢山捕まってたきに、村はどうなっておるやら。」
ゴウトが村の様子を思い出すに、確かに酒場には人が少なかったような気がする。よく働き、よく飲む、農夫が酒場を嫌いな訳がない。
村を抜ける直前になって三人は呼び止められてしまった。
「おい、お前ら!」
シルトはゆっくり振り向く。
「なんだぁ?お前ら、何処へ行く?」
呼び止めたのはオーク先輩だった。シルトはまじまじとそのオークの顔を見た。「なんでえ、どっかで会ったか?」
オーク先輩は聞いた。
「おっ?なんだそのみすぼらしいのは、奴隷じゃねえのか?」
オーク先輩は二人に抱えられている男に気付くと言った。
「ええ、その、もう役に立たないんで、捨ててこいと言われて。」
シルトは冷や汗を隠しながら言う。
「なにい?捨てんのか?やっちゃう?俺も行こうか?」
オーク先輩はしつこく聞いてきた。シルトはどうしたもんかと考えていたが、ずっと黙っていたゴウトが、牙を見せて低い声で言った。
「失せろ、自分の持ち場へ行け。」
オーク先輩はその場で回れ右をすると行ってしまった。
正門は未だに血なまぐさい光景が広がっていた。ジョージは顔をしかめたが、二人に抱えられ、門を抜けて外に出ると、嬉しさにまた涙を流した。シルトとゴウトは、ジョージを背負いながら、冬越村への道を急ぐ。夜通し歩いてたどり着いたのは翌日の朝だった。
冬越村に到着すると、やはりジョージは涙を流した。しかしすぐに涙を拭うと、歩いてる人に大声で話しかけた始めた。
「やあ!奥さん!ジョージですよ!向こうの山裾のジョージが帰ってまいりました!」
手当たり次第に話しかけ始めたのでシルトとゴウトは面食らった。
すると、どんどんと人が集まり始め、辺りは大騒ぎになってきた。ヨボヨボのジョージを取り囲んで、村の人たちは再開を喜び合っていた。
「あの立派な方が助けてくださったんですわ!」
ジョージが言うと、シルトとゴウトに注目が集まる。
「嫌な予感がする。」
ゴウトが言った。
次の瞬間、わっと村人が押し寄せ、シルトとゴウトは、もみくちゃにされ始めた。
「あいたたた!」
ジョージの声が聞こえる。
「何だこの騒ぎは!」音を聞きつけて、番兵がやって来た。
「おい、首謀者を捕まえるんだ。」
と聞こえてきた。
「嫌な予感がする。」
ゴウトが再び言った。
気が付くと三人は領主の館にいた。
「さらわれた村人を助けてもらった事は感謝している。」
パドレイグ卿が三人の前を歩きながら言う。
「しかしなんであんな騒ぎを起こす必要がある?」
立ち止ってパドレイグ卿はシルトに尋ねた。
「私にも分かりませんわ……。」
シルトはこたえた。
「あの、領主様!お二人は私に免じて許しておくんなさい!」
そもそもお前のせいだろと二人は静かな怒りを感じた。
パドレイグ卿はシルトとゴウトを見る。
「まあ良い。ところで状況を教えてくれないか、あの修道院のことだ。」
二人に尋ねた。
オークが徘徊していること、怪物の巣窟と化していることをシルトが話すとパドレイグ卿は頷き、
「分かった。」
とだけ言った。
「仲間もさらに調査をしています、全員揃って再度報告いたしましょう。」
シルトが言うと、ゴウトも頷く。
「分かった。下がっていい。」
パドレイグ卿が言うのを聞くと、シルトとゴウトは部屋を出た。
「また明日、修道院へ立ちます。」
「そうだな。」
修道院に残してきた仲間の事が頭の中にはあった。
シルトとゴウトが門を抜けてガードモア修道院を抜け出したとき、エトナ将軍はヨルゴに支えられて秘術師の塔から逃げ出していた。
「あれはしかたないよー。」
ハイジが慰めの言葉をエトナにかけていた。ヨルゴの身体もボロボロだった。
エトナは名残惜しそうに塔を一瞥すると、
「どこか休めるところを探してくれ。」
とヨルゴに言った。
「分かりました。」
ヨルゴは村へと走り去り、エトナとハイジは村外れの広場に座って待った。