フォールクレスト
鎧戸の嵌った窓からうっすらと明かりがさす室内には、アルコールとパン、そしてベーコンの焦げる匂いが充満していた。薄っぺらい天板のテーブルの前では鱗鎧を着込んだ大男が一言も発しないままに腕を組み、身じろぎ一つせずに座っていた。
いや、大男は人間ではなかった、その顔は鱗で覆われ、口は大きく耳の横まで裂けているのがわかる。口からは牙が覗く。彼は太古から続く竜の眷属、ドラゴンボーンであった。鱗は土気色に窓の光を跳ね返す。椅子の背もたれに立てかけられた人の身の丈以上の剣から戦士であると見えた。
ドラゴンボーンは傍らにある己の大剣の鞘をひと撫ですると、テーブルへ向き直った。テーブルの上へおいてある手のひらほどの大きさの紙片へ目を向ける。それには目隠しをされた女性とその手に持たれた天秤が描かれていた。
「それで、これはなんなんだ。」
低い声が発せられた。
さほど広くないテーブルにはドラゴンボーンの他にも数人座っていた。ローブで顔を隠した影が天秤の描かれたカードを手に取りながら口を開く。
「これは、デック・オヴ・メニーシングスだ。いや、正確にはその一部、一枚だろう。」
ローブの男はカードを裏返しながら続けた。
「デック・オヴ・メニーシングス?」
横へ座っていた革鎧の男が口を挟む。男の瞳孔は縦に鋭い筋となっていた。彼は人間と人狼のハーフ、シフターであった。土を焦がしたような茶色の髪の毛が逆立ち、なびいている。
「なにそれ?シルトは知ってるわけ?」
シルトと呼ばれたローブの男は言葉を引き受けて更に続ける。
「混沌のアーティファクトだ。これを手にしたものは一国を手にし、そして一夜にして失ったという」
シルトはカードをテーブルへと戻す。ドラゴンボーンは再び口を開いた。
「こんな混乱の時代だ、国など幾らでも興そうとおもえば興せ、潰そうと思えばいくらでも潰れるだろう。」
「何も今だけの話じゃない。」
シルトが応える。
「アルコシアとバイル・トゥラスが相打ったのだって裏ではこのアーティファクトが関わったという噂だ。」
「所詮、噂よ。」
横の甲冑に見を包む人影が応える。
「噂に過ぎない。」
重装鎧を着込んだ別のドラゴンボーンだった。
重装備のドラゴンボーンはシルトに目を向け、
「今はアルコシアもバイル・トゥラスも無いのよ、シルト」
と言い加えた。
「私も、ゴウトもハイジと…〈ティーフリング〉と居られるのはそのおかげなのだから」
ゴウトと呼ばれた戦士は目を閉じ、照れくさいその話題から外れようとした。
「何?なんの話?」
額から突き出した捻くれた角と、瞳がなく青く深遠たる眼をもつ女性が口を挟んだ。ティーフリングだ。
ティーフリングはかつての大帝国、バイル・トゥラスがその力を延ばすために王族がデヴィルと混血しこの世界に産まれ落ちたと言われている。
「そんなことよりこれどうするのよ。」
「我々にできることなど、ない。」
ローブの男、シルトが答える。
「アーティファクトの考えるまま、思うままだ」
「当面はな。」
〈ティーフリング〉は興味無さそうに顔を背けると
「ふーん。」
とだけ言い、自分のジョッキを傾け始めた。昼過ぎの店内に人はまだまばらだった。
シルトがテーブルに置かれたカードを再び手に取り、懐にしまうと、窓からの光が遮られた。シルトだけでなく、一行が取り囲むテーブルに誰か訪ねてきたことに気付く。年代もののプレートアーマーをがちゃつかせてそこに立っていたのは、白髪に白い髭を蓄えた老人であった。
シフターの男が椅子を老人に勧めると、老人は会釈して腰掛けた。腰に下げたロングソードがガチャリと音を立てて床を打つ。
「貴殿らが噂に名高い冒険者『歯と爪』のご一行とお見受けする。」
老人は口を開いた。
「私は、バハムート神に使える騎士、オークレーと申す。」
「ここへ来れば貴殿らに会えると聞いての、頼み事があって来たのだ。」
頼み事をするのは滅法苦手そうな様子でバハムートの老パラディンは短く刈り込まれた自分の白髪頭を撫でた。
「斥候のヨルゴとその仲間たちはその、凄腕だと聞いての。」
シフターの男はその言葉を聞くと身を乗り出す。
「そんな噂が?」
老パラディンはシフターをまじまじと眺めると居住まいを正した。
「ああ、彼らに頼めば間違いはないと。」
「ヨルゴ、依頼人にがっつくのはよせ。」
シルトはシフターをたしなめる。このシフターがオークレーが聞いた噂のヨルゴだった。
「それで、いくらもらえるのー。」
角のある厳しい外見からは想像できない抜けた声でハイジと呼ばれたティーフリングが尋ねる。
「我が望みが達せられた暁には金貨2000枚を申し出たい。」
老パラディンは精悍な瞳で一行を見回すように答える。
「金の話もそうだが、仕事についても聞いてない。」
シルトが老パラディンをローブの下から射すくめるように見た。
「貴殿は……。」
オークレー卿はシルトの様子に誰何の声を上げた。
「失礼した。」
シルトは自らのローブを脱ぐとその顔を顕にした。ゴウトよりも大地に近い色の顔。
シルトはジェナシであった。
紫水晶の様に薄く色づく透明な鉱物が頭髪のように頭にまとわりつく。
ジェナシは元素の混沌の影響を強く受けた人類の種族である。自然の源、元素の力が身体を駆け巡り力を与える。世界の始まりの力を体現する種族であった。
「私はシルト、こちらのドラゴンボーンはエトナ将軍、そして戦士ゴウト。」
ゴウトが口を開く
「俺はエトナの軍門に下った覚えはないぞ。」
シルトが口を開きかけるとエトナと呼ばれたドラゴンボーンがシルトを制し、
「それではゴウトは一人でこれからやるのね?」
と釘を刺した。
「いや、よい。」
ゴウトは大剣をさすりながら口をつぐんだ。
「して、仕事についてお聞きしたい。」
ドラゴンボーンたちの口喧嘩が終わるのを待ち、シルトが再びオークレー卿へ尋ねる。
「わざわざ我らをあてにする仕事とは?」
「ガードモア修道院だ」
老パラディンが答える。
「ガードモア修道院へ行きたいのだ。」
ガードモア修道院へ?シルトが訝しむ。あそこは既に滅び去り廃墟と怪物ばかりが残る遺跡だったはず。ガードベリ丘陵の名前の由来たる修道院は大昔に滅び、何もないと思った。かつては繁栄に溢れたとは言うが……。
シルトがどう尋ねたものか考えあぐねているとエトナ将軍がオークレー卿に尋ねた。
「その……ガードモア修道院で何をするつもりなんですか?」
ドラゴンボーンは老パラディンを傷つけないようになるべく丁寧に聞いたつもりだった。言葉は直球だったが。
オークレー卿は穏やかな様子で笑うとエトナの目を見ながら口を開いた。
「ガードモア修道院を復興させたいのだ。あのバハムートの聖地を。」
視線をテーブルの上に落とすとさらに続ける。
「私は生涯の功績として魔物の巣食うかの地を取り戻したいのだ。」
手を所在なげに、テーブルの上で組み合わせると、冒険者たちの顔を見回しながらこう続けた。
「それが務めだ。」
ヨルゴとハイジは興味無さそうにしていた。シルトとエトナは黙って老パラディンを眺めている。口を開いたのはゴウトだった。
「修道院で見つかったものは。」
「無論、君たちが見つけた物については君達のものだ。」
オークレー卿は答える。
ゴウトは頷くと立ち大剣を背中へ背負う。
つまり、報酬のほかに、魔物巣食う修道院で見つかった財宝についても、冒険者の一行「歯と爪」の追加報酬として渡す、ということだ。
他の面々についてもさほど異論は無かったようで、それぞれの荷物を持ち上げた。
ハイジだけは麻の袋も持たず、立ち上がるとスタスタと歩き始める。ハイジはオークレー卿と並ぶと話しかけた。
「ねー、おじーちゃーん。」
「お、おじ……ッ!」
オークレー卿は絶句した。
「あたしねー、冒険者装備が全然ないの。」
オークレー卿は目を白黒させながら聞いていた。
「だから前払いが欲しいなーって。」
オークレー卿は困った顔になると
「冬越村までの旅費は持とう。」
「冬越村?」
「そこを補給拠点にする」
ヨルゴが二人の話を聞きつけて言い加えた。
「良い宿ね。」
オークレー卿は苦笑しながら手を振った。やがてフォールクレストの街の城壁までやって来た。門番に立つドワーフがオークレー卿へ話しかけてきた。
「どちらへおいでですかな?」
「いよいよガードベリ丘陵へ行きますよ。」
ドワーフはぐるりと《歯と爪》を見ると頷いた。
「あそこへ行くなら覚えておきなされ、『血まみれ槍戦争』のおり、ワシは当時のマーケルヘイ卿が魔剣ムーンベインを携えガードモアの寺院へ入り、そして戻らなかったのを見た。ムーンベインはマーケルヘイ家の家宝。取り戻せば必ず褒章がいただけるだろうな。」
ドワーフに別れを告げて、一行は王の道を冬越村へと向かい始めた。北へ北へと歩みを進める度に徐々に自然は深まった。ヨルゴはあれだけ主張したが、街は無く実質野宿の繰り返しであった。街道沿いは比較的治安がよく、すれ違った交易商人にオークの噂を聞いただけだった。
ガードモア修道院に潜む狂気 第1章 フォールクレスト 了