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刹場

作者: 輪廓
掲載日:2015/02/25

秋風がひっそりと漂う暮れに私は細く窮屈な道を歩く。人気のない路地を重々しい足取りでくぐり

抜け、点々としている街燈の淡い微光をさりげなく見ては何事もなかったかのように通り過ぎ

ていく。辺りはすでに夕闇と化している。いかにも寂しげな細い一本道はそこを通る者にしか

分からぬ暗鬱とした感情を抱かせる。帰らねばならない、家に。

そう考えてしまうと私の心は荒み、息をするのも歩くのも重苦しくなり、そのやるせない精神

が反映してかこの道は険しい修練のようにも感じられた。

いつもと変わらぬ窮屈な家にたどり着いたら、また会わねばならない、母と父に。

両親は私の考えを理解してくれない、あるのは強制的に理解させようとする彼らの自己使命と

いうエゴのみである。それがあるからこそあの二人は私という生きる指針を失わずに一応は平

静でいられるのであろう。

だが、こちらとしてはそんな押し付けがましい生という欲の針にさせられても困るのだ。子供

は親を期待させる、満足させる為の欲情の生き物ではない。学校に行かないという理由で子を女々しく説教する。裁判官に裁かれるなら本望であろう、国で唯一の裁く人なのであるから。もし学校に行かないと罪になるという刑法が存在したら、それによって裁く人に有罪の判定を下されたら私は有無を言わずに従うだろう。それでは親に裁かれるというのは?彼らはなにも裁く資格を持っていない。持っている資格は親のみ。人に精神を喰わせるのも、ましては彼ら親自身が子の精神を喰うなど、どちらの行動に

しても腐心が影を潜める。その愚かしい行為は人格の異常さを疑う。偽善という擬態を装うの

もまたしかり。


昨日、私は母に痣に塗れた体を見せた。すると母はかすかな悲鳴を上げ、両手で口を押さえた。


「和哉、体のその痣……どうしたの、何があったか話してちょうだい」私は

母にいじめられた経緯と同級生に殴られた事情を話す。


「まあ、酷いこと!すぐに学校にこのことを知らせなくちゃ」憤然とした母は横暴に受話器を

取り、学校に電話をかける。十分程、私の担当の先生と話している。そのときの母は先ほどの

憤りはどこに行ったのかと思うほど冷静だ。しばらくして電話が切られた。母は安堵の表情を

浮かべて

「先生があなたを殴った子を呼び出してじっくりと話し合ってくださるって。これで学校に行

けるわね」と柔らかい口調で半ば嬉々として言う。安心するのは母親自身。私自身の安心は?

と相手に悟られぬように眉をしかめた。

父は夜遅くに帰宅した。母は機械的におかえりなさいと迎える。


「あなた、今日ね、和哉が……」

母はどことなく悲しげな調子で父に私のいじめを打ち明ける。父はスーツを脱ぎながら時々う

なずいて聞き、また藤椅子に座り鞄の中の書類と母に交互に視線を向けている。話を聞き終え

ると父はそっと溜息をもらした。


「最近、いじめの度合いも重くなってきたからな。ニュースでも報道されているじゃないか。

中学生の子が遺書を書いて飛び降り自殺、学校で首を吊って自殺、あるいはいじめられた子が

いじめた子を復讐するなど。和哉もいじめられているなら俺と明子が支えてやらないとならな

いな」

父がそう言い終えると目前に飛んでいる蠅を両手で打ち鳴らすように叩いた。蠅はあとかたも

なく無残にはかなく散った。


「でもな、学業の本質というのは結局のところ就職の率を高める目的にあるんだから、成績は

上位をキープしなければならない。和哉もそれは分かるだろう?この不景気に就職することが

どんなに大事かニュースで報道されてるのを見ただろう」

父は散った蠅の存在を消し去ったかのように話を続ける。父はニュースに執着している。景気、

対人関係、医学、政治、全ては報道が真実の柄を握っているのであり、これほどたやすく情

報を得られるものはないといきまいているのである。


「分かってるよ、父さん。でもこの先いじめが続いたらぼくは気が滅入って……」


「だから母さんが今日、学校に電話してくれたんだろう。お前を学校に行きやすいように助力

してくれてる。俺も何かできることがあれば協力する気持ちだ」

憂鬱とする私の気持ちからでた不安な言葉を父は強かな言葉で包む。大丈夫、父さんと母さんがついている、だから何でも相談してくるんだ、と。相談しようと思った、何度も何度も……けれども、それ

ができない自分がいた。

いじめは十五歳の頃に起きた。その原因は肌の色が人よりも白いということだった。同級生の何人かは私の肌を見てせせら笑いながら病人、あるいは死人とも例えた。しばらくして彼らの言動や行動は過激になっていき、肌を焦がせば人間になれると夏の真っ只中の学校の校庭で三時間も水分を取らずにいさせられたこともある。死人が教室にきたと騒ぎ立てれば、周囲の人々は嘲笑の的をそっと優しく手渡すように私に投げかける。そうした言動を彼らが教室にいる無害の者たちにはやし立てることで有害反応を引き起こし、私にとっての救いの無害は善なき有害へと変わり果てていった。私を殴るという行為も肌の色を濃く見せる為の自分たちの思いやりと称した残忍な気まぐれに相違ない。その理由も両親は知る由もない。ただ殴られた、という現実を見据えているだけであり、殴られた原因についてを考察することはないに等しかった。


「何でうちの子を殴ってこんなにしたんでしょう。私たちが育てた和哉にこんな酷いことをするなんて許せないわ」

母は相手が殴ったことへの疑問を口に出す。が、悲しいかな、頭の中ではその実、考えすらしていない。真剣に考えることすらないのだ。私はそう読み取っている。言葉だけで頭は空洞になっているのだ。明日にはきっと曇った表情のない晴れ晴れしい青空を見渡すような顔になっているだろう。万事いつもどおりの生活に戻っている。


「いまどきの子は本当にわけが分からんな。もちろん父さんの頃だっていじめはあったがもっとさっぱりしていたよ。いらついたときにはすぐに喧嘩をおっぱじめる。そうすると不思議とお互い気が晴れて数日もすれば仲直りする。今の世の中は陰湿で肉体的も精神的にも追い込むというじゃないか。ただの喧嘩では収まらないってわけだ。全く馬鹿げている」

父は報道から得た情報と自身の経験を踏まえて話す。その情報と経験は確固たる現実を見据えているのだろうが、私自身の情報でも経験でもない。悲痛は父のものではない。痛みを知るのは、悲しみを知るのは私の記憶と体験のみだ。両親の言動は偽善の羽で覆われている。けれども、その偽善があるからこそ、私は学校へ羽ばたける。これで全ては安泰で、すこやかな日々を送れるかもしれないという無作為の希望。一筋の光明は生ける屍をしばしの間、生き返らせてくれた。その翌日、両親に励ましの言葉を得て家を後にした。学校に着くとそこには普段と変わらぬ太陽が窓から降り注いでいた。その光の心地よさは私の精神を高ぶらせ、再出発の意気込みに拍車をかけているようだ。今日から私は新しい私になる、素晴らしいことじゃないか、実現してみせよう、鳥のように華麗に羽ばたくことができるのなら。

しばらくして、同級生たちが教室に入ってくる。私は彼らに挨拶をしたが、彼らの私を見る表情はまさに……鬼の形相である。


「彰と正治と誠のことを先生に言ったんだってな」

恰幅の良い同級生が憎憎しげに言う。


「なんで先生に言ったのよ?あの三人が可哀相よ」

いかにも醜い面長でほっそりした背の同級生が言う。


「お前、あの三人がきたらどうなるか分かってるだろう。先生に説教されたって反省のしようがない奴らだ。どうなっても知らないぞ」

半ば感心とほんの少しの憂いを携えた同級生は言う。

私はそれから多くの有害な同級生になじられた。私をいじめた三人は悲劇の主人公なのか、ハムレットやマクベスなのか?否、この教室に存在する者たちが悲劇だ。そして私が唯一、絶望に溶け込んでいる。あっけない幕引き、終幕を迎える後味の悪さ、まさにそのままではないか。歴史を残した劇作家は体験や神的な考えに基づいて劇を創作していたに相違ない。私自身もこのまま生きられるのであれば劇をこの手で創作したいものだ。生きられることが叶うなら……。幕はとうとうフィナーレを迎える。例の三人が教室に入ってきたのだ。彰は颯爽と教室に入ると、私のもとにすぐさま駆け寄り憎悪の眼差しを向ける。まるで今から殺人を犯すかのような目だ。誠は扉に背をもたれて腕組みをしている。これから彰のすることに注目しているようだ。正治は発狂したかのように声を荒げ、私の首元を手で掴んだ。息も絶え絶えになり、このまま死を迎えるのではないかと思うほどである。生を全うすることの意志はすでに事切れている。三人がきた時点でフィナーレは死で償わなければならないのだと確信していた。しかしその考えとはうらはらに奇妙な感情が私を取り込んでいく。両親に推されて学校への活路を見出したと錯覚した自分に憤怒が沸き起こり、人格さえも破壊されかねないほどの何かを精神に宿してしまったかのようだ。その証拠に私は怒りで捻じ曲がっているいびつな脳の信号に基づいて正治の首を絞めた。これには彼自身もひどく驚き、とっさに私の首から手を放してしまった。とどめなく流れる激情はもはや一縷の平和も持ち得ない。暴力という反抗心で身を防護し、その代償が生きるか死ぬかの大事さを微塵も意味を感じさせずただひたすら相手を苦心させることに夢中になっている私は人間ではない他の種の生物に成り代わったかのようである。憎悪の生き物、憤怒の生き物、軽蔑の生き物、この教室には様々な動物がいたものだ。もはや全員は人間ではない。私が目を見開いて口元を歪みきった笑いで覆いながら正治の首を絞めていると担任の先生がすぐさま止めに入った。


「和哉!どうしたんだ?きみはこんなことをする子じゃないのに。事情を聞かせてくれ」

先生は恐る恐る私に尋ねた。彼の胸は動悸で溢れてるかのように体をこわばらせている。それを見た私は私に対しての恐怖心があるのだろうと悟った。もう先生も人間ですらない、偽善の生き物。両親と一緒だ。この教室の空気はすでに窒息しそうなほどに思えた。そして家の空気さえも。


「こんなこと?こんなことだって?あなたもぼくを軽蔑するんですか!被害者が反抗して何が悪いというんです!事情を説明してくれ?この教室の担当になってるあなたがいじめという実態を見てみぬふりをしていたこともぼくは知っていますよ。怯えた目で見ないでくださいよ、恐怖で怒鳴らないでくださいよ、いったいどちらが悪いんです?それはこの教室の人たち全員に決まってるじゃないですか!事情はこうですよ、正治が先にぼくの首を絞めた、そして反射的にぼくも正治の首を絞めた、これでいいでしょう」


「落ち着きなさい!きみは興奮しているからそんな言葉が出ただけだ。今は冷静に話せる状況じゃないんだろう。さあ、保健室に行こう、俺が連れて行くから。それから今日、きみの家に行ってご両親にこの件を話すから。それに正治、お前もだ」


「ぼくの家に来るだって?」

私は耳を疑うかのように凝然として立ち尽くす。


「そうだ、先に手を出したのは正治だが和哉も後で手を出した、二人で苦しめあったんだからどちらも悪いということになるだろう。この問題はしっかりと解決するべきだ。お互いの両親のもとに俺が行って話し合う。もうこうゆうことがないようにだ」

先生はこの言葉と同時に毅然とした態度を見せ、それから私を保健室に連れて行った。人生で一度たりとも動物を汚したことのない自分が正治という取るに足らない人間を汚してしまった、自身を守る為とはいえ、たった一度の行為が私の人格を彼と共に堕落させてしまったという事実を受け入れきれない苦悶に我を忘れたい一心であったが、修行僧でもないのにそれはほぼ不可能と諦観するに至った。


秋風が漂う暮れに私はなおも細く窮屈な道を歩いている。今宵は暗闇に寂寥を舞い込ませる日である。もみじは何枚もの葉が可憐に顔を覗かせ、瑞々しい生への実感を垣間見せている。それに視線を向けると現実を数秒でも忘れられたほどだ。私の家は目前に迫っている。これから両親と先生を相手に口論を繰り広げなければならない。ようやくして私は家路に着く。手に握る刃と共に……。

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