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  作者: 木下秋
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眩しい部屋

 菅原家に常駐している医師、白倉誠しらくらまことは、今日もいつも通り午前八時きっかりに目を覚ました 。


 そこは誠が菅原家にいる間、自分の部屋として使っても良いとされている部屋だった。縦に長い和室で、八畳分程の広さ。誠が今寝そべっている布団の枕側には、高級そうな和紙をふんだんに使った障子が張られている。彼がもし今寝返りを打って左を向いたとすれば、正面には謎の壺。また、あまりに達筆すぎてなんと書かれているのかはわからない、掛け軸が見えただろう。その右手には細長い――これまた高級な――大木一本から丸々削り出したのであろう座卓ざたくがあった。平たいディスプレイがその上に二つならんで立っており、その他にもマウス、キーボード、幾つかの書類が、乱雑に置かれている。鶯色うぐいすいろの土壁がなんとも落ち着いた、おもむきある雰囲気をかもし出していた。


 部屋は、誠と共に眠っていたかのように森閑しんかんとしていた。障子から差す格子状の光が、今日の天候の予感を告げる。外から微かに聞こえてくる鳥の、歌うようになめらかな鳴き声からもわかるように。その障子を開くまでもなく、初夏の晴天だった。


 枕元の眼鏡を手探りで掴み、畳に敷かれた布団からむっくりと起き上がると、大きく伸びをした。爽やかな藺草いぐさかおりが、誠の胸をいっぱいにする。


 立ち上がり、障子に近づいてそれを開けると、思っていたよりも強い光が誠の両目をいた。思わず左手で影を作って、目を細める。


(……外はこんなにも自然の光で溢れているというのに――)


 その身をひるがえして室内へ戻ると、夜の間中消していたモニターの電源を点ける。


 目は、細めたまま。


 モニターには、画面の光量を落としても尚明るい、眩しい部屋が映っている。


 その壁際の寝台には、一人の少女が寝そべっていた。


 その大きな瞳は、天井あたりをぼんやりと、うつろに眺めていた。



     *



 白衣に身を通した誠は長い菅原家の縁側を歩いていた。菅原家は昔ながらの日本家屋で、その敷地の大きさは庭を含めると、“東京ドームの個数”で例えることができるくらいに大きい。やたらと長い縁側の廊下を、カルテと薬、文庫本を持った誠は何度も角を曲がりながら、延々と歩く。


 遠くの方で、ぼちゃんと池の水が跳ねる音がした。左腕に巻いた腕時計を見る。――九時五十分。


(……おそらくお嬢様はもう起きて、私を待っているのだろう)


 部屋への入り口に差し掛かり、誠は無意識の内に深呼吸をした。角を曲がると突然、日本家屋にはまるで似つかわしくない、近未来的なデザインをした通路が姿を表す。それは床から壁、天井までもがつるつるとした、陶器のような材質でできていた。


 足を一歩踏み入れると、その陶器然とした床、壁、天井が、真白に発光した。蛍のようにゆっくりと、静かに。まるでSF映画に出てくる宇宙船の廊下みたいだと、それを初めて目にした当時、誠は思った。


 徐々に明るく、眩しくなってゆく四方の壁に囲まれながら、そのなめらかな床を誠は真っ直ぐ歩いた。行き止まりに到達すると、その壁に取り付けられた十のボタン――それは0から9までの、数字が刻印されたボタン――を、慣れた手つきで押す。それは八桁の、この扉を開く為のパスワードだった。


 シュッ


 と小さな音を立てて、扉は右方向に素早くスライドした。瞬間、誠は目を細める。今日の朝、障子を開いた時と、同じように。


 室内は先ほどの通路と同じ材質の、陶器的な壁に覆われていた。床、壁、そして天井が、やはり眩しい程に発光している。


 八畳分程の大きさの部屋には、物がほとんど置かれていない。ある物といえば、寝台に置かれた薬ケース、水の入った透明のコップ、誠が貸した文庫本くらいだ。


 彼女は――菅原音々《すがわらねね》は、壁から突き出したかのような寝台(この寝台も床などと同じ材質でできている)の隅に座り、文庫本を読んでいた。部屋に入ってきた誠を察し、その大きな瞳で捉えると、右手をこめかみ辺りに当ててから腹部まで下ろすという仕草をした。


 それは手話で、「おはよう」という意味だった。


 誠も笑顔で同じ仕草を返す。部屋の中へと進むと、後ろで扉が衣擦れのような小さな音を立てながら閉まった。音々が空けてくれた、寝台の余ったスペースに彼は腰を下ろす。


『体調、どう?』


 誠が手話で聞いた。すると音々は、


『とても、いいわ』


 と返す。


『そうだろうね。顔色が、いいよ』


 誠が言った。もちろん、手話でだ。二人の会話は、静寂の中で流れた。


 音々は、にっこり微笑む。


『やっぱり、この部屋を、作ってくれた、お父様の、おかげだわ』


 音々は両手を動かし、言った。誠は笑顔で返事をする。


 確かに、顔色、肌つやは今までにない程までに良い。


 しかし――。


 音々には耳が聞こえない以外に、普通の人とは違った特徴がいくつかあった。


 彼女の髪の毛は、老婆のように真っ白だった。それを、少年のように短く切り揃えている。


 だがそれも見ようによっては、ファンタジー作品に出てくる人間でない種族、例えばエルフや妖精といったそれのようで、可愛らしくも見える。つまり問題はそこではなく、別にあるのだ。


 そのある問題のせいで、誠はこの十四才の少女を直視することが、苦痛だった。


『お父様に、会いたい』


 音々が言う。誠は(またか……)と思いながらも、(そりゃそうか……たった一人の肉親だもんな)と考え直すと、笑顔を繕ったまま言った。


『わかった。伝えておくよ』


 おそらく音々の父、菅原忠すがわらただしは、会いに来ないだろう。理由は“大企業の社長であり、ほとんど家にいない”というただそれだけではない。彼は自分の娘である音々に、誠と同じ理由で会いたくないのだ。


『今日、外は、いい天気なんだ。ちょっと、外に、出てみない?』


 誠は答えがわかっているにも関わらず、聞いた。ただ沈黙に気まずくなり(話していても“沈黙”なのだが)聞いただけだ。音々はやはり困ったような、怯えたような表情で、


『どうして?』


 と聞いた。


 誠は少し狼狽うろたえて、すぐに、


『いや、嫌なら、いいんだ』


 と返す。


『外には、いるの』


 その表情には切実とした、訴えかけるようなものがある。


 音々は両手で、踏切の遮断棒がしまってゆく様なジェスチャーをした。


『“闇”が』


 それは、そういう意味だった。


 音々は、重度の暗所恐怖症なのだ。


 だからこの部屋を覆う壁たちは光り輝き、影の一つすら生まれないようになっている。


 誠は噛みしめるように何度か頷き、『わかった』と言った。


 その後彼は簡単な診察をし、手早くカルテを書くと、音々に薬を渡した。目薬や、精神安定剤など。


 そして、文庫本を渡した。音々はこの部屋にいる間中何もすることがないので、毎回渡している。海外作家による分厚い文庫本でも、彼女は一日で読んでしまうのだ。


 腕時計に目をやる。――十時半。


 部屋を出る際、音々は誠に向かって手を振った。手話のわからない人だってわかる、「さようなら」の合図。


 音々は、大きな瞳で見送った。


 まぶたの無い、大きな瞳で。

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