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彼女がデイヴィスのアパートに引っ越したのが分かってから二週間くらい経った。
今日は朝から講義があってバイトはいれていない。バイトのある日より遅めな時間に起きて、学校に向かっていた。
「ねぇ、ちょっと待ってよ!」
僕の歩く前からちょっと怒ったような女性の声がした。視線を前に向けると、ジョニーさんの店から出てきて何か言い合ってる彼女とデイヴィスの姿が目に入った。そんなに距離も離れていなくて、二人の声がしっかりと届く。
「なんだよ。話すことあるのか? 俺に嘘ついてたって以外に」
「嘘ついてたわけじゃない! 私の物は全部アンタのアパートにあるじゃない」
「そうだな。その上君は住むところももう一つ確保してる」
人目もはばからずケンカする二人を通行人は邪魔なものでも見るように避けて歩いていく。当の二人はまったく気にしていないようだけど。
僕はといえば、二人を無視することも出来ずに道に突っ立ったまま、成り行きを見ていた。
「あれくらいで嘘つき呼ばわりしないで」
「現に嘘ついただろう。頼まれたことを承知しといて実行しないのは嘘つきだ」
ぴしゃりと言い切って、デイヴィスは彼女を置いたままコーヒー片手にさっさと歩き始めた。
彼女はデイヴィスの歩いていった方向を見て溜め息をつき、面倒くさそうに髪をかきあげ、病院へと向かっていった。
僕もしばらくは呆然としてたけど、ハッとなって歩みを進める。
不謹慎だけど、ケンカしたせいで彼女とデイヴィスの仲が悪くなればいい、だなんて思ってしまった。
夜、僕はまたジョニーさんのところでバイト。医学生だろうが何だろうが、医者になるまでは生活費を稼がなきゃ。
「そうだ、ジョーイ」
「なんです?」
人の少なくなった店のテーブルを拭きながらジョニーさんの声に返事をした。
「今日の朝ね、ブライアンたちが来てたのよ。でもね、なんだか……」
「ケンカしてたんでしょ?」
カウンターの中でレジのお金を点検しているジョニーさんを振り返って言った。ジョニーさんは僕の言葉にキョトンとしている。
「あら、知ってるの?」
「朝店から出てからもケンカしてるの見たから」
「そう。何があったのかしらねぇ」
「さあ……」
興味津々なジョニーさんの言葉に曖昧に返事をして、最後のお客が使っていたテーブルを拭き始めた。
「今日はもう閉めようかしらねぇ」
ジョニーさんがポツリと呟いた。
時計を見ると、23時を少し過ぎたくらい。いつもならもう少し人がいるんだけど、今日はいない。
「そうですね。人もいませんし」
言いながら視線を店の外に向けると、店の入口よりやや右側に人が立っていた。あの後ろ姿は、彼女だ。何で店に入らないんだ?
「ジョニーさん、ちょっと待って」
なんだか寂しそうな彼女の後ろ姿が気になって、僕はジョニーさんに声を掛けて外に出た。
「クレオ?」
僕の声にパッと彼女は振り向いた。ちょっと期待した様子が彼女の顔に見てとれた。でも、どうやら僕がその期待を裏切ったみたいだけど。
「何で外に? 入ればいいのに」
彼女のそんな変化には気が付かない振りをして、半開きのドアから身体を退かし彼女が入れるようにした。
「ううん、いいの。ちょっと外にいたいから」
「でも……」
言いながらチラッとジョニーさんを振り返った。ジョニーさんは右手でOKのサインを作り、ウィンクして僕に合図した。ジョニーさんの心遣いに感謝しつつ、僕も店に出て彼女の隣に並んだ。
「寒くない?」
今は2月も終わりかけていて、夜はまだ寒い。
「大丈夫よ。そっちの方が寒そう」
「まあね」
彼女はしっかりとコートを着てるけど、僕はロングのTシャツに店のエプロンをしてるだけ。正直寒い。
「……何かあったの? デイヴィスと」
彼女がこんなに寂しそうなのも、ここでこうして立ってるのも今朝のことが原因なんだろうな。そう思って、聞いてみる。
「なんで?」
「今朝二人がケンカしてるの見たから」
理由を言うと彼女は気まずそうに『あー』と唸った。
「あんな大声でケンカしたら丸聞こえだよ」
ちょっと笑って言ってみると彼女も少し笑った。そして溜め息をついて、両手をポケットに入れた。顔は前の道路を見たまま。
「私が自分のアパート解約してないのバレた」
「え?」
「私の物は全部アイツのアパートよ。寝起きもアイツのベッドだし。でもアパートだけまだ解約してなかったの」
軽く傷付くような事実を言われたけど、そこは無視して彼女を見下ろした。視線に気付いた彼女が僕を見上げる。
「な、なんで?」
少し色素の薄い茶色の目に見上げられて胸中動揺する。
「私にも不安な気持ちはあるのよ」
彼女はすぐに視線を逸らして、いつもよりも弱気な口調で言った。
視線が外れてちょっと安心する。けど、弱気な彼女が心配になる。
「不安?」
「そ。アパート解約したら、アイツと別れたとき私住むところないじゃない」
「その心配はないと思うけど……」
デイヴィスはベタボレだし、とは言わないでおいた。
彼女は僕の言葉に首を横に振って続ける。
「マーサもみんなそう言うけど、先のことなんて分からないでしょ。私とアイツは立場も違う」
そう言う彼女に、僕は何も言えなくなる。
彼女は心配なんだ。デイヴィスとのことで不安になっている。
「アイツはスタッフドクターだけど私はインターン。性格も違うし考え方も違う」
「でもデイヴィスは……」
「私のこと愛してる。それは知ってる。でも不安なの」
言い切るような口調なのに、どこか弱々しい感じがする。
あんまり知りたくないことが、じわじわと分かってくる。