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さてと、説明かつ回想は終わりにして時間を戻そうか。
彼女が朝デイヴィスと二人で店に来てから時は経ち、夜になった。23時になっても『Johnny's Cafe』はオープンしている。MGHの向かいにあるバーほどじゃないけど、そこそこに人がいるから。
例えば、待ち合わせする人たちとか。
「ゴメン、待った?」
店のドアを開けながら一人の女性が中でコーヒー飲んで本を読みながら待っていた男に声をかけた。女性はクレオで男はデイヴィスなんだけどね。
「いや、そんなには。ダニエルの具合は?」
読んでいた本を閉じ立ち上がってデイヴィスは言った。彼女はデイヴィスのいるテーブルまで近付いて、彼の飲み掛けのコーヒーに口をつける。
「安定した。熱も下がったし」
「そうか。なぁ、部屋来るだろ?」
コーヒーを飲んでいた彼女が顔をしかめてデイヴィスを見上げた。
「昨日も泊まった」
「今日も泊まればいい」
カウンターの中で水を出しっぱなしにして洗い物していても、会話が聞こえてくる。チラッと顔を上げて二人を見ると、デイヴィスがじっと頼むような目で彼女を見下ろしているのが見えた。その内彼女が溜め息をついて、コーヒーをテーブルに戻した。
「分かった。部屋行く」
「よかった」
椅子に掛けてあったコートを着たデイヴィスが嬉しそうにして屈んで、彼女の唇に軽くキスをした。彼女もそれを素直に受け入れる。
二人して僕の胸にメスを刺すの止めてほしい。
「お休み、ジョーイ」
「お休みなさい、ドクター」
二人が並んで出ていくのを見送りながら、深い溜め息をついた。
次の日の、日曜日の朝。今日はいつもより人が少ない。
けど、ドクターには日曜なんか関係なくて、彼女とデイヴィスの二人は昨日と同じくレジの前に立っている。そして僕も昨日みたいにコーヒーを煎れてる。
「何が問題なんだ」
「いろいろよ。別にいいじゃない。今のままで」
今日は何やら揉め事でもあるようで、店に入ってきた時から二人は言い合いをしている。
「そんなに嫌か。俺の所に越してくるのが」
「うわっ、わ……」
コーヒーを入れたばかりのカップが倒れて、中身が溢れてしまった。
「大丈夫か?」
驚いたようにデイヴィスがカウンターを覗き込んだ。
「大丈夫です。すみません、今入れ直します」
「ああ、気を付けてな」
くそう、デイヴィスがこんなに優しいなんて卑怯だ。コーヒー溢したのは、あんたのせいなんだぞ。
「別に嫌なわけじゃなくて、このままでも十分でしょ」
彼女はカウンターに左手を置いてデイヴィスに反論した。
「君はいつもそうやって俺から距離を置こうとする。俺は君に近付きたいのに、君は絶対それを許さない。離れてばかりじゃ、いつか近付くことも出来なくなる」
……お願いだから、僕の前でそんな格好良いこと言わないでほしい。
こっそりと彼女を盗み見ると、彼女は何も言わないで目を泳がせていた。
「お待たせしました」
二人の会話を最後まで聞くわけにもいかず、コーヒーを渡した。
デイヴィスはそれを受け取って彼女に一つを渡し、お金を置くと彼女の肩に空いた手を回して店を出ていった。
お金をレジに仕舞いながらガラスの向こうを見ると、彼女が腕をデイヴィスの腰に回していた。
何だかんだ言って、彼女もデイヴィスが好きなんだ。素直になれないだけで。
朝からキツいもの見せてくれるよね。あんな風に愛されたら普通の女性ならイチコロなのに、なんだって相手が彼女なんだ。彼女は猫みたいで、簡単には人になつきそうにないのに。
ああ、だからデイヴィスも彼女がいいのか。自主性があって、時々甘えてくれるような彼女が。
「ブライアンてば本気なのねぇ」
「そうですね……」
僕の横に立ったジョニーさんが、二人が歩いている方向を見てしみじみと呟いた。
彼女は結局、デイヴィスの部屋に引っ越すことにしたみたいだ。
あの日から毎日彼女とデイヴィスは朝一緒に店に来て、病院に行っている。帰りは帰りで、二人が並んで店の前を歩いて帰ってるし、どちらかが遅い場合は店で待ち合わせしている。
それを見るたびに、デイヴィスが彼女に惚れてるんだって思い知らされる。
デイヴィスだって男なわけで。今までだって付き合ってた女性はいた。MGHのドクターは噂好きだし、顔見知りのこの店ではたくさんのドクターたちの色恋話が聞ける。
内科の誰々先生と看護師が付き合ってるとか、この間デイヴィスが女といるのを見たとか。
デイヴィスはMGHのドクターなら誰でも知ってるほどの野心家だった。仕事中に付き合ってる女性から電話が掛かってきても、仕事中だと言って相手にしないらしいし。新しく来たドクターとは、外科部長の椅子を争ってるらしいし。
そんな彼が変わったと、MGHのドクターや看護師たちが口を揃えて言い出したのはいつくらいだろうか。今までは看護師にお礼の一つも言わなかったデイヴィスからお礼を言われたと、人当たりがよくなったと、みんなが言う。特に外科の人たちが。
変わったのは、きっと彼女と親しくなってからだ。
デイヴィスが彼女にコーヒーを渡したあの日から、ドクターたちはデイヴィスの様子がおかしいと言い出した。
いつからかデイヴィスの彼女を呼ぶ呼び方も、カートンからクレオに変わっていた。病院内ではファミリーネームで呼ぶらしいけど、付き合う前から店ではクレオと呼んでいた。
付き合う前からイロイロあったんだろうと、今なら察しがつく。
その時からデイヴィスは彼女に惚れてたみたいだけど。
デイヴィスが外科部長に二人が付き合ってるのをカミングアウトしたことも、ドクターたちを驚かせたらしい。
スタッフドクターのデイヴィスがインターンの彼女と付き合ってるってだけでもびっくりなのに、部長にカミングアウトするなんて、と。
今はもう外科病棟でデイヴィスが彼女にベタボレなのは周知の事実らしい。彼女だけがデイヴィスがどれだけ彼女を愛してるか計りかねてるみたい。
……本当は分かってても、それをどうしたらいいか分からないだけなのかもしれないけど。
でも、なんで、デイヴィスの惚れてる相手が、彼女なんだろう。相手が彼女じゃなければ、MGHのドクターたちと一緒になって囃し立てただろうに。
僕の方が、早く彼女に会ったのに。
好きでいた長さも僕の方が長いのに。
そりゃあ、僕は著名な外科医じゃなくてただの医学生だけど。
大きなオペを成功させたこともないけど。
格好良いセリフも言えないけど。
でも、彼女が、クレオが好きなんだ。