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土曜日の朝7時半。
ニューヨークのマンハッタンにある『Johnny's Cafe』はそこそこな人の入り。メディカル・スクールが休みの僕は、眠い目をこすってカウンターに入った。
「おはよう、ジョーイッ」
「おはようございます、ジョニーさん」
カウンターに入るなりジョニーさんの、一般男性よりやや高めな声で挨拶を受けた。ついでに頬へのキス付きで。
「聞いてよ、ジョーイ。私の彼ったらね……」
「その彼って、この間僕が会ったダテ男?」
「ダテ男? ああっ、コリンのこと? 違うわ、今度はもっとイイ男なの」
「へぇー、そう」
空に近いコーヒーメーカーに新しくコーヒーを煎れ直しながら、ジョニーさんの話に相槌を打った。
ジョニーさんの彼が変わっていても、さほど驚きはない。たとえダテ男を紹介されたのが先週で、その2週間前にはまた別の男を紹介されていたとしても。僕は驚かない。
「今度はナニ男? セクシー? モテモテ?」
「敢えて言うなら、フェロモン男」
「ワオ」
ジョニーさんの答えに大袈裟に驚いてみせる。
ジョニーさんの彼氏でフェロモン男に分類されるのはこれで3人目。
『だから、ゴメンて言ってんでしょー』
『心の込もってないゴメンだけどな』
ガラス張りの店の窓から一組の男女の声がした。声はそのまま店内へと続いて入ってくる。
彼女だ。
彼女が来た。
「やあ、ジョーイ」
「どうも。Dr.デイヴィス、Dr.カートン」
「ハイ」
僕より背の高い、アフリカン・アメリカンのDr.デイヴィスが先にカウンターに立った。少し遅れて彼女も、アジアン・アメリカンのクレオ・カートンも。
「いつものですか?」
「ああ。君は?」
Dr.デイヴィスが彼女へと顔を向けた。外を見ていた彼女はあくびしながらこっちに向き直る。
「いつもの。あ、いつもより濃い目で」
「了解」
ニコッと笑いかけると、彼女も眠そうにだけど笑ってくれた。
「もうちょっと早く起きれば、朝ゆっくりできたのに」
「仕方ないでしょ。昨日は連続勤務の上にオペの見学したんだから」
「80時間勤務はどうした?」
「それって、守ってる人いる?」
レジに背を向けて僕は黙々とコーヒーを煎れ、ベーグルを用意した。聞きたくないのに、会話は自然と耳に入ってくる。
「お待たせしました」
二人分のベーグルとコーヒーを持ってレジを振り返った。
ああ、もう。なんであんなの目に入るかな。
デイヴィスが彼女の腰に手を回してる。最悪だ。
「どうした?」
デイヴィスが不思議そうに声をかけた。
ハッとなって、彼女の腰から目を放した。
「いえ、何でも」
首を振ってコーヒーと袋を差し出したとき、彼女の口から僕を打ちのめすのに十分な言葉が出てきた。
「ていうか、早く起きてほしかったら早く寝かせてよ。自分だって、最近朝寝坊するくせに」
「おい、クレオ」
「なによ」
「…………」
一瞬止まりかけた手を無理やり動かして、コーヒーと袋を手渡した。
コーヒー溢さなかった僕って偉い。
「ありがとう、ジョーイ」
「いえ、仕事頑張って」
格好良く笑って頷き、デイヴィスは彼女にコーヒーを渡して、そのままレジに背を向けた。手はまだ彼女の腰に回ってる。
はぁ……。
分かったと思うけど、今のが僕の至福の時であり、なおかつ地獄の時間。
彼女と、クレオ・カートンと会えるのは嬉しい。でも彼女がデイヴィスと一緒にいるのは嫌だ。
彼女っておおっぴろげだから、さっきみたく麻酔無しで僕の胸にメスを入れるような言葉を言う。
『早く寝かせてよ』ってことは、セックス止めてよってこと。それくらい僕にも分かる。
彼女とデイヴィスがそういう、いわゆる恋人同士であって、それだけでも僕にはキツいのに、セックスだって?
勘弁してよ。
二人が出ていった店のドアに目を向けると、彼女とデイヴィスが何か言い合いながら、でも笑い合って二人の勤務先である病院に向かっている。デイヴィスのあの幸せそうな顔っていったら、ムカつくくらいだ。
「ブライアンてば、本当にクレオにベタボレねぇ」
レジに突っ立ったままの僕の後ろからジョニーさんが言った。
分かってるけど、胸が苦しい。
「そうですね」
「クレオがいなかったら私が狙ったのに」
「ムリですって。デイヴィスはゲイじゃないし、何よりクレオ以外目に入ってないし」
ああ、自分で言ってて悲しくなる。デイヴィスが彼女に夢中なのは、誰の目にも明らかだ。
「そうよねぇ。でも、私はブライアンも好きだけど、アナタの方がもっと好きだからねっ」
「どうも……」
僕の彼女への気持ちを知ってるジョニーさんはポンッと、慰めるように僕の肩を叩いてカウンターの奥へと入っていった。
もう一度外に目を向ける。
もう、彼女の後ろ姿は見えなくなっていた。