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外傷室を出て廊下からラードナーの隣の外傷室を窓から覗き見た。ラードナーの外傷室とはドアで仕切ってあるもう一つの外傷室では、診療台に乗せられたニコール・ラードナーをデイヴィスたちが必死で治療していた。中にユノがいるってことは、デイヴィスたちも事のあらましを聞いているのだろう。
ラードナーさんは撃たれたからか、やっぱり出血が酷い。血がどんどんと出ていく。
それを見ていて、段々と昔のことが思い出されていく。何年も前の忌まわしい出来事が。思い出すにつれて、胃の中のものが逆流してくる感じがしてきた。
限界を感じてトイレに向かおうとしたところで、ふいにこっちを向いたデイヴィスと目が合った。デイヴィスが口を開くよりも先に、耐えきれなくなった私はトイレへと走った。
「クレオ?」
トイレに向かう途中、ジョーイにぶつかった。ジョーイが声を掛けてきても、私はそれどころじゃない。
一目散に向かったトイレに入ると、すぐに一番奥の個室に入り鍵を掛ける。
そして便器に向かって胃の中のものを吐き出した。我慢していたのが一気に出る。
「はぁ……」
全てのものを吐き出して、一つ息をついた。ずるずると閉めたドアに寄りかかって座り込む。
「なさけな……」
治療を見て吐くなんて、医学生のとき以来だ。しかも、昔のことを思い出してなんて。
「最悪……」
呟いてから、両足に力を入れ立ち上がり、個室を出た。
トイレの洗面台で顔を洗って気を引き締め直し、顔を拭いてからトイレを後にした。
小児ERの病室前まで来ると、窓から中を少し覗いた。ベッドに座っているエリスにジョーイが何か話し掛けている。けれど、エリスは一向に興味を示そうとせず、ずっと前を向いたまま黙っている。
中へ入ろうと病室のドアに手を掛けると、私の後ろにある外傷室のドアが勢いよく開く音がした。反射的に後ろを振り返る。ドアの開いた外傷室からは、ラードナーさんを乗せたストレッチャーを押すデイヴィスやコリン、マーサ、フレッドが出てきた。ラードナーさんの腹部はタオルが掛けられていて、外傷室で開腹したことが分かる。輸血の点滴がまた追加されている。
また、さっきみたいな吐き気が襲ってきたけど、深く息をはくことで乗り切る。
じっとラードナーさんの方を見ていると、ふいにデイヴィスと目があった。さっき急に走り出した私を見たからか、どこか心配そうな目をしている。デイヴィスがコリンに何か言って、こっちに来るような気配を見せた。今はデイヴィスと話す気分じゃなくて、デイヴィスが歩き出す前に病室のドアを開いた。
「ハイ、エリス」
病室に入って、後ろ手にドアを閉めエリスに声を掛けた。
エリスはブラインド越しの窓から運ばれていくラードナーさんをじっと見つめていた。
「エリス、」
窓の外を見ているエリスに声を掛ける。エリスはラードナーさんが窓から見えなくなってから、ゆっくりとこちらを向いた。
「初めまして、Dr.カートンよ。治療をしたいから傷を見せてくれる?」
ベッドの横に椅子に座って私が言うと、エリスは無言で弾がかすった方の腕を差し出した。左頬にある青アザが痛々しい。
「傷は洗浄した?」
後ろに立つジョーイに尋ねると、ジョーイは「はい」と頷いた。
「そう。じゃあ、治療しようか」
エリスの腕をとって治療台に乗せる。
「……ママは治るの?」
前を向いていたエリスがポツリと言った。視線をエリスに向けると、エリスは力のない目でこちらを見ていた。
「あー、ママは今別の先生たちがオペ室に運んで、オペしてる。先生たちもベストを尽くしてるわ」
「そう……」
それだけ言うと、エリスはまた視線を前に戻してしまった。
エリスには顔の痣以外にも、腕や足に痣がある。治療しながら後ろに立っているジョーイに声を掛けた。
「ジョーイ。ソーシャルワーカーとアレックスたちを呼んで」
「やめて!」
ジョーイが返事をするより早く、エリスが声を上げた。補助をしていたナースも驚いてエリスを見ている。
「どうして? エリス、あなたたちは誰が見てもあの男から暴力を受けてる。ソーシャルワーカーたちに相談して、安全なところにいないと」
「そんなことしたら、もっと酷くなる!」
エリスは泣きそうな顔で私に訴える。
「ジョーイ、」
「はい?」
後ろにいるジョーイに声を掛け、私も後ろを振り向いた。
「エリスの検査結果とレントゲンがまだか見てきてくれる?」
「分かりました」
「ありがと」
ジョーイを病室から出して、もう一度エリスと向き合った。エリスはまだ泣きそうな顔をしている。よっぽどあの男が怖いらしい。
「エリス。怖いのは分かるけど、自分から訴えないと現状は変わらないのよ。警察に相談して……」
「ムダよ。今まで何回も警察に言ったけど、話も聞いてもらえなかった。話を聞いてもらえても、あの人は嘘ついて『何でもない。ただの夫婦ケンカだ。躾だ』って。その後はもっと酷く殴られる」
エリスは泣きながら今までのことを話す。
私とナースは一度目を合わせただけで、後は何も言えなかった。エリスは先を続ける。
「一ヶ月くらい前に、ママと一緒に家を出たの。あの人がいない時に。それから今日までママと別のところで暮らしてた。本当なら、今日はナタリーとナタリーのパパとでクリスマスパーティーをする予定だったのに。あの人が突然家に来て……」
「分かった。もう良いよ」
泣いて話すエリスを抱き寄せ頭を撫でる。エリスは声を圧し殺して泣く。
昔の自分のようだ。何年も前に、私もこうやって病院のベッドで泣いた。
「ねぇ、エリス、」
私が声を掛けると、エリスはゆっくりと顔を上げた。