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夜になってようやくERも落ち着いてきた。ウィルやナースたちが着々とクリスマスパーティーの準備をしている。
さっきエレベーターからクレオがERに下りてきた。エリスたちを外科に預けてきたみたいだ。
「ねぇ、」
受付でクリスマスの準備をしてたナースに声を掛けた。ナースは飾り付けの手を止めて、僕の方を向いた。
「なに?」
「さっきウィルがクレオをラードナーに近付けないでって言ってたけど、どういう意味?」
「ああ……」
ナースが一瞬暗い顔つきになった。
ラードナーさんたちが運ばれてきて外科に送られたあと、何故かウィルが男のラードナーをクレオに近付けるなって言ってた。みんなそれに分かってるって感じで頷いてたけど、僕には意味が分からない。
「クレオがまだインターンだった時、あの人DVしてた男に、ちょっとね……」
「え?」
ナースは意味深に言葉を濁らせる。内容にまったく見当もつかなくて、どういう意味かと先を促すようにナースを見る。すると、ナースはこそこそと僕をカウンターの中に引っ張り込んで、周りに聞こえないように声をひそめて教えてくれた。
「詳しくは分からないんだけど、麻酔なしでDV男の縫合やろうとしたらしいわ」
「え?」
あまりなことに思わず声が大きくなる。ナースが慌てたように僕の腕を叩いた。僕が慌てて「ごめん」と謝ると、ナースは続きを話してくれた。
「それで、当たり前だけど、DV男がキレて暴れ出して、クレオに殴りかかろうとしたんだけど、クレオがそれを避けちゃって、自分でベッドから落ちちゃったのよね」
「それで、どうなったの?」
「ちょうど警察も来てたから、DV男は暴行未遂で連れてかれたわ。家族の訴えもあってDV容疑も掛かったらしいけど」
「クレオは?」
「それが、クレオが麻酔なしでやろうとしたのは誰も見てなくて、おとがめなし。外科部長からはそれなりに処分があったみたいだけど、そんなのあってないようなもんだったんだって。ま、どっちにしたって、DV男はひどいヤツだったから、連れてかれて自業自得だったんだけど」
一通り話し終えたナースは再び飾り付けに取り掛かった。僕はたった今聞かされた事実にどう反応したらいいか分からず、ぼーっとしながらカウンターに寄り掛かることしかできなかった。
「それで、ラードナーもDVしてたみたいだから、念のためクレオを近づけるなってこと」
「そう、なんだ」
カウンターの外で飾り付けをしながら言われたナースの言葉に、僕はウィルの言葉の意味を知った。ERドクターがラウンジからケーキを持ってくると、それをカウンターに置いてみんなに声を掛けだした。
受付のすぐ近くにあるベッドに、いつの間にいたのか、クレオが座っていた。ちょっと考えて、ドクターからケーキを二つ貰ってクレオが座るベッドに近付いた。
「大丈夫?」
ぼーっとしていたクレオに声を掛ける。クレオは突然声を掛けられて驚いたようにこっちを向いた。それにちょっと笑って、二つ持っていたケーキのうち一つをクレオに渡した。
「ありがと。いつまでいるの?」
クレオはケーキを受け取ったけど、あまり食べる気はしないみたい。
僕は椅子に座って、クレオの質問に腕時計を見た。シフトの終わりまであと五分くらいだ。クレオにその時計を見せて笑う。
「あとちょっとでシフトが終わる。それまでに食べられるものは食べとこうと思って」
「そう、それがいいわ。ERに長居は禁物よ」
「説得力ありすぎて怖いね」
クレオの言葉に笑ってしまう。
今日は元からシフト通りに帰る予定だ。テスの家でクリスマスパーティーする予定だし。
クレオがフォークを持ってケーキを食べようとすると、いきなりクレオのポケベルが鳴った。
「急患?」
こんな夜になってから急患なんて、と思いながら聞くと、クレオも首を傾げた。クレオがポケベルを見ると、何となく顔つきが変わった。ああ、デイヴィスだ。
「デイヴィスから?」
僕が聞くと、クレオは頷いた。
クレオはフォークを置いて、ケーキを僕に返す。断ることもできなくてケーキを受け取った。クレオはそのままたぶんデイヴィスのところに行こうと、立ち上がって歩き出した。
「……クレオ、」
クレオの後ろ姿を見てると、やっぱり悲しくなる。耐えきれなくて、クレオを呼び止めた。振り返ったクレオは不思議そうな顔をしてる。
「メリークリスマス、クレオ」
だけど、結局何も言えなくて、出てきたのはありきたりな言葉だった。
「メリークリスマス、ジョーイ」
笑って言うクレオに余計に寂しくなる。
クレオがいなくなってから一人寂しく椅子に座ってケーキを食べてると、誰かに背中を思い切り叩かれた。
「いった……」
「何寂しそうにしてんの?」
「エマ……」
既に私服に着替えたエマが後ろに立っていた。エマはER全体を見回して、それから僕の方を見た。
「カートンがいなくて寂しいのね」
「……さっきまで、そこにいたんだ」
受付の目の前にあるベッドを指差して言った。
寂しいのは、さっきまで僕と喋ってたクレオがデイヴィスのところに行ったから。だけど、好きな人がいなくなったくらいでへこんでるなんて知られたくなくて、残りのケーキを一気に口に放り込んだ。
「ほら、パーティー行くんでしょ。着替えてきなさいよ」
「分かったよ」
気付いているのかもしれないけれど、エマは何も言わずにただ僕を急かした。エマに背中を押されて、人形のように首を縦に振ってラウンジへと向かう。
ラウンジで白衣を脱いで胸ポケットからペンを取り出そうとすると、そこにあるはずのペンがないことに気が付いた。さっき非常口でカルテ整理してた時に置き忘れてきたのかも。明日取りに行こうかとも思ったけど、明日になったら絶対忘れてるから今行こう。
ERで待っていてくれたエマとジャスティンに先に行くよう声を掛けて、非常口へと向かった。
非常口の付近は相変わらず寒い。ERの暖房がこっちまで届けばいいのになんて考えながら、非常口へと続く曲がり角まで来た。
「アンタって、クレイジーよね」
「それはもう聞いた。クレイジーになるのは、君だからだ」
曲がり角に足を踏み出そうとしたところで、こんな会話が聞こえてきた。反射的に歩く足が止まって壁に張り付く。もしかしなくても、声の主はクレオとデイヴィスだ。
それから少しの間話す声が聞こえなくなった。何だか嫌な予感がしつつも、そっと曲がり角の奥を覗く。
「……、」
曲がり角の奥にいたのは、やっぱりクレオとデイヴィスだった。二人に気付かれないようゆっくりと体勢を元に戻す。そして、なるべく足音をたてないようにして、その場を離れた。
「遅いぞ、ジョーイ」
ERの搬入口の外で待っていたジャスティンが雪玉を僕に投げて言った。僕はそれを避けようともせず、一言「ごめん」と返す。
「今日も感謝祭みたいにご馳走だといいな」
「そうだね」
ジャスティンの期待するような声になるだけ普段通りに答える。それから歩きながらあーだこーだ言うジャスティンに適当に相槌を打っていると、横からポンッと肩を叩かれた。
「なに、エマ」
「何かあったの?」
エマは僕の横に並んで歩きながら問い掛けた。その質問で、さっき非常口で見た光景を思い出す。
「……何でもないよ。ただペンが見つからなくて」
「あ、そう。何か元気ないから変なモンでも見たのかと思った」
エマが笑いながら言って、先を歩くジャスティンにタックルしにいった。僕は一旦立ち止まって空を見上げる。さっきの光景がまた頭に浮かんだ。
クレオとデイヴィスがキスしてるとこ。
あのキスじゃたぶん、仲直りしたんだろう。分かってたことだけど、やっぱり悲しい。クレオは絶対デイヴィスを嫌いになんかならない。デイヴィスだってだ。
今降ってるこの雪が、明日も降り続いて道を封鎖してしまえばいいのに。そしたらクレオとデイヴィスが仲直りしたのなんて確認しなくて済む。
なんてバカなこと考えて、僕は空から目を離し、前でじゃれあっているジャスティンとエマに抱きついた。