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カズキのことを考えると、死んでしまう前に一度くらいお礼を言うべきだったと、サヤカの中で、深い後悔が込み上げてくる。
「私も男の子になりたかった」無意識の内に、泣きそうな顔でサヤカはそう口にしていた。
「なら、男になれば良いんだよ」
不意に、目の前で声がして、サヤカはびっくりして目を見開く。いつの間にか起きていたらしく、チハルは眩しそうに薄目を開けて、ゆっくりと上体を起こした。
「そんなこと、できる訳ないでしょう。神様じゃないんだから」
サヤカは横になったまま、チハルを睨みつけ、溜め息を吐く。
「『神様』って言っても、ヒジリさんのことじゃないからね」
「解ってるよ。ヒジリ先生は未来を操る≪力≫を持っているみたいだけど、性別を変えることはできないだろうね」
「なら、チハルは人の性別を変えることができる≪力≫を持っているの?」
サヤカはチハルを馬鹿にしたような口調で尋ねた。
「ううん。僕にもそんな≪力≫はないよ」
「あっそう」
相手がチハルでなかったら、サヤカは激しているところだった。
いつにも増して、サヤカの中には底知れない負の感情が渦巻いている。それをどうにかしたいと一番思っているのは彼女自身なのだが、まだ彼女には知識も経験も浅過ぎた。人の死や性別に関する悩みは、大人ですら解決が困難なもの。それをまだ五歳の少女が一人で答えを出すのは不可能だ。
しかし、十八歳のチハルはあっさり答えを見つけたらしい。余裕の笑みを浮かべている。
「自分が女だから変な目で見られる、自分が女だから厭な思いをした。そう思ってる?」
ううん……。
チハルの言っていることは解るようで解らない。サヤカは思いが曖昧な為、頷こうとしたが、頷けなかった。
「そっか。そんなことまだ解らないよね。でも、僕の言ってること、サヤカが何となく思っていること、これらは間違ってなんかいないよ。世の中にはさ、自分の欲だけで突き動かされて、平気で人を傷つけることができる人間が残念なことに沢山いるんだってね。そんな奴等に傷つけられて、馬鹿にされ、笑われたら、自分は糞以下だって、思っちゃうよね。女じゃなければ良かったのにって、自分は何色なんだろうって、思っちゃうよね。僕もそうだよ。男じゃなければ良かったのにって思う。だからさ……」
チハルはぽんと自分の膝を叩く。
「服を交換しようよ。こんな男の服、着ていたくないんだ」
「え……?」
唐突過ぎるチハルの提案に、サヤカは一瞬言葉を失う。
「……駄目かな?」
「そんなことないけど……」
「けど?」
サヤカは上体を起こす。
「チハルはそれで良いの?」
「もちろん。ずっとうんざりしていたんだ、男でいることに」
チハルはサヤカから視線を逸らすと、そっぽを向いて、寂しげな表情を浮かべた。
戦争が始まってから、長いこと二人は同じ時間を共有してきたが、サヤカはチハルが自分の性別を気にしていたとは全く気付かなかった。もしかしたら嘘を吐いているのかもしれない。臆病が故に、そんな考えが頭の中を過ぎった。しかし、親友を疑う卑屈な精神は、まだ幼い少女の中には備わっていなかった。
「じゃあ、決まりだね」
恥ずかしそうにサヤカが言うと、チハルはぱっと顔も口調も明るくなった。
「やった。じゃ、先に僕が服を脱ぐから、サヤカは目を瞑っていてよ」
「あ、うん」
サヤカは紅葉を散らし、チハルに背を向け、目を閉じる。近くでごそごそと、チハルが服を脱ぐ音がした。まるで虫みたいだなぁと、失礼なことを考えていると、彼に肩を叩かれた。
「僕はちゃんと後ろを向いているし、目を閉じているから、変なこと考えなくて良いからね」
ゆっくり目を開ければ、視界の端に、先程までチハルが着ていたシャツとジーンズが綺麗に畳まれた状態でシートの上に置かれているのが僅かに映った。
「ありがとう……」
サヤカはチハルの衣服を手繰り寄せて、礼をする。自然と口から出た言葉だった。何もふざけているつもりはなかったのだが……。
「お礼なんていらないよ。僕は綺麗なお姉さんの裸にしか興味ないから」
チハルの冗談で感動の波は一気に引いてしまった。
私はばかにされているの?
半ば不機嫌になりながらも、チハルが着ていた服に着替え終わると、サヤカは自分が着ていた水色の、フード付きの白い水玉模様が描かれた薄手のシャツと、薄ピンク色のショートパンツを不慣れな手つきで畳んで、下着姿の彼の横に置いた。
『終わったよ』と言って、再び後ろを向いて目を閉じる。
「いつまでそうしているの?」
ちょうど五分が過ぎた頃、一分もしない内に着替えを終えたチハルが、体育座りをしているサヤカの肩を叩いた。
終わったのなら教えてよと、心の中で悪態を吐いてからサヤカは双眸を開き、顔を上げた。
「おはよ」
いつの間にか前に回っていたチハルは、サヤカと目が合うなり、少女よりも少女らしい姿で笑みを浮かべた。
これがチハル?
中性的な美少年だからこその変貌ぶりに、驚愕のあまり、サヤカは声を失う。
「あれ、怒ってる?」
驚いて声を出せずにいると、チハルは困った顔をしてサヤカに尋ねた。
ヒジリ達と共同生活を始めてすぐの、二日目の朝。サヤカはカズキと共にテントを出ると、野営地のすぐ横で、前日に、一日に制限された食料の上限を遥かに上回る量を一人で盗み食いしたとして、豚に似て丸々太った男が数人にリンチされているのが目に入った。
その男を生存者たちの前で、ヒジリに命令されて≪力≫を使って殺した後の、サヤカを見るチハルの顔が、ちょうど今の彼の顔とそっくりだった。
どうして怒ってるの?
チハルはあまりにも純粋だ。自分を大切に思ってくれている人の願いの為なら、例え殺人であっても、どんなことでも叶えようとする。そして、その純粋に相手の幸せを願う、儚く、危うい彼の気持は、サヤカにも、いつしかじわじわと伝わり始めていた。
「ごめん、サヤカ。サヤカが男の服を着ていれば、みんなから色目を使われることは少なくなると思ったんだけど、服を変えたって、性別は変わらないよね。僕が先に着替えるから、ちょっと待っててね」
「待って!」
早速シャツの袖を掴み、着替えようとするチハルにサヤカは慌てて怒鳴るかのように叫ぶ。
「私が先に着替える」
涙が溢れそうになっていた。チハルには悪いと思ったが、彼の気持を優先するだけの余裕は、今のサヤカの中には残っていなかった。




