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一話

 夢を見ている、というのは当然、主観的なことであるから。

「……おーい、久人、起きろぉ。久人ぉー……」

 つまりは、そういうことであって。


「起きろ、今際。顔を洗ってこい。あと、スペシャルな課題をくれてやるから放課後、職員室まで来るように。……で、次の問いだが――――」

 また、こういうことでもある。


 ――――授業後、休み時間。

 教師が去り、どこからともなく気の抜けていく教室は、生徒たちの話し声に溢れていた。

 四時限目を終えて、時刻は昼食時。喧騒の絶える理由はない。 

「ふわぁ……ああ…………やっちまった」

 談笑尽きぬ騒がしさの中にあって、目立たぬ欠伸を一つと大きな伸びを一回。そして、反省を一言。

 久人はそれでようやく目の覚める心地になった。清々しいとはとてもいえぬ、後ろ暗いものだったが。

 そんな、最後列窓際の席でどんよりとする久人に向けて横合いから、華やかで明るい声がとんできた。

「どうしたんだよ久人ぉー。よりにもよって米田先生の授業で居眠りするなんて、らしくないよねぇ」

「生傷を穿るのはやめてくれ、鈴奈すずな。自省はしてるんだから」

 隣の席に座る少女、畑瀬(はたせ)鈴奈だった。

 久人と彼女は十年以上の、事件以前から続いている、唯一の友人関係。幼馴染と言ってもいいかもしれない。

「で、なんでいつもは真面目な今際久人君がぁ、授業中に居眠りをー?」

 鈴奈は、愛嬌のある笑顔を浮かべて久人の頬を指先でつつきながら、同じ話題を繰り返した。強い関心を抱いた話題に関しては、少々のしつこさでもって詰め寄るのがこの少女の癖であると知っている。いるが、刺したはずの釘は果してどこへといったのかと、久人はため息のついでに言を吐いた。

「なんでって……別に、ただ陽射しが気持ちよくてさ……」

 その答えは、目線を逸らし、苦笑いとともに零れ落ちるような呟きで。それを聞く少女は――

「嘘つけぃ!」

 何故か立ち上がり、即答で切り捨てる。急に叫びだした鈴奈に教室中が注視した。びっくりするのは久人だ。続けて、久人に指を突き付けながら――

「中学三年間を無遅刻、無欠席、忘れ物なしで通してぇ」

 直前の勢いは何だったのか、二言目には通常の、ふにゃりとした語気に戻っていた。

「一時限五十分間、いつもは先生の一言一句まで聞き逃さない久人に限って、それはないよぉ」

 ――以上が、少女の主張だった。

「その、ありがとう、鈴奈……なんか、褒めてもらって。でも、とりあえず、座ろうか……?」

「うん」

 言いたいことが終わったとなると急に大人しくなった鈴奈に、教室内も興味を失う。また畑瀬か、という、慣れてしまった感じ、ふんにゃりとした空気だ。それに加え、久人のことも皆知っている。

 クラス替えなしで二年に上がった委員長投票は、全会一致の今際久人三十一票。久人自身が他者に送った一票は、クラスの総意に無効票として処理された。もちろん、異議も出せない。恐るべき民主主義かずの暴力である。

「えと、それで……なんだったのかな……さっきの?」

 先ほどの奇行の意味を問う久人の声は、やや弱っていた。

「久人が、嘘ついたから」

 ぐ、と息を詰まらせる久人には、この答えは想定内だった。

 以前、一度だけだが、同じようなやり取りをした覚えがあったから。

 ――あれは中学二年の冬だったか、と久人は思い返す。

 その日、珍しく――何年ぶりだったか――体調を崩した久人は、不調を圧して授業に出ると、顔を合わせるや否や鈴奈に体調の事をつっこまれた。

 対応する久人の言い訳は「平気だから」。休むも寝込むも“自分なんかが誰かに気にかけてもらう”ことに、後ろめたさを感じていた。

 しかしその嘘は見抜かれ、久人の取り繕いを切り捨てる鈴奈の言葉は、きっと、今の鈴奈の想いとも重なるはずのもの。

「久人のこと、心配して言ってるのに……」

 ――という一言を、ひどく悲しげな面持ちで。

 そのような精神的武力でもって責められてしまえば、もうだめだった。無理をすることで余計に心配させてしまうとはなんということだろうと反省しきりで、結局その日は保健室で一日を過ごしたのだ。


 鈴奈は、間延びしたしゃべり方がおっとりした印象を与えるが、以外に聡い少女である。悪意の嘘は早々に見抜くし、人の気持ちを汲むこともできる。ただ、一定のラインに差し掛かると少々強引になる。

 鈴奈の気持ちを思うと確かに、意図に関係なく嘘は嘘であり。

 その良し悪しを決めるのが受け取る側である以上、そして前例を思い出した以上は、久人も反論の必要性を感じなかった。

「ごめん、鈴奈。仕様もない嘘をついた」

「だよねぇ。なんでかなぁ?」

 言って、責める気持ちなど元からないというふうに、とろんとした笑みを浮かべ、鈴奈は久人の額を、人差し指でチョンと突いた。

 甘える、とは少し違う、必要以上の親しさで接してくる鈴奈のこういった行動は、どうにも気恥しい。

 彼女が女子の友達にも同じようなことをしているのを、久人は見たことがある。

 この、心の壁を撫でるような行為も、鈴奈という、ゆるい空気を漂わせる少女だからこそ、本音を晒させる効果があるというものだ。――その効果の餌食は、もっぱら久人であるが。

「…………夢、最近よく見るんだ。」

 至近距離で顔を窺ってくる少女の視線に耐えきれず、少年は呟きを洩らす。

「夢ー、夢って、昔の……?」

 久人の答えに返す鈴奈の表情は、少し眉尻を下げ、哀の表情となった。

「うん、そう。九年前の、夢」

 こちらを心配するような表情で問われれば、もはやどういう意図のもとであれ偽る気は起らない。

 と、思えば、鈴奈は次の瞬間にはその垂れるまなじりをキッと上げていて。

「久人のせいじゃないからね」

 いつまで経っても抱えている見当違いな自責の念を咎めるように、だが、優しさの籠った声だった。

「えっ……ああ、うん」

 少し、気押された。完全に内心を見透かされている。幼馴染というものは伊達ではない。下手な兄弟よりも付き合いは長いのだ。

「でぇ、それで寝不足?」

「うなされてる、らしい」

 らしい、というのは寝ている間は自分のことなど見えないので、起きた時の状況証拠からだ。

 最近、暑くもないのに、起きるとひどい寝汗をかいている。しかし、夜中に突然目が覚める、ということもない。ただ、やけに体が重く、日中もうつらうつらとすることが多くなった。

 医者に行くことも考えたが、心因性となると根が深く、PTSD――心的外傷後ストレス障害、いわゆるトラウマ――でも疑われると通院しなければならなくなる。また、誰かに心配される。それが辛い。

 これまでが何ともなかったのだから、可能性は低いだろうと久人は高をくくっているが……。

 そんなふうに考えながらも、“まだまだ説明され足りない”という表情の鈴奈に弁明、もとい安心材料を投下する。

「睡眠自体は充分とってる……というか、普通より長いぐらいなんだけど……」

「じゃあ、大丈夫なの? でも、やっぱり一回病院に行ってみたほうがいいんじゃないかなぁ」

 鈴奈の言ももっともなのだが、幼い頃いやというほど通い、おまけにそれがすべて空振りの大暴投な結果ばかりに終わってしまった診断時間を思い出せば、久人は積極的にもなれず。

 けれど、もしこれが何かしらの兆候なら――否、そうでなくとも、思い当たるものがある以上、正しいのは鈴奈の意見だろう。

 そして、無理が祟って久人が臥せた時に、仕事で家を空けがちな両親に代わるかのように自分を心配してくれるのも、やっぱり鈴奈なのだ。

 こういった道筋で思い直してしまえば、久人のとるべき行動は、そう多くない。

「じゃあ……とりあえず行ってみるよ、病院」

「うん。それがいいと思うよー。あ、勝手に帰らないでね、一緒に行くから」

「ああ、わかった」

 用があるときは、二人で帰ることもある。今日もそうなりそうだ。

 久人の返事に、鈴奈は笑顔で一つ頷くと、同じクラスの友達、数人の女子の元へ向かっていった。

 何やら断りを入れているらしく、拝むように手を合わせてぺこぺことしている。

 久人はそれを見て、なぜかラッコを思い出した。貝で石をガシガシと叩くやつだ。

「くっ……はは」

 似ても似つかない連想に、思わず笑いが漏れた。

 これも、少女がくれた心遣いから生まれた余裕のおかげだろうと、またひとつ、心の中で感謝した。

 もう、夢の重さは掠れていた。 


 

 

 


 


 





いつになったらあらすじで書き記した場面に入れるのか。

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