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揺れる自分

 誕生日会が過ぎても、私と倉持君は何食わぬ顔で会っていた。私があの時の事を忘れれば、全てが元通りになる。そう信じていた。

 しかし、同じ週の金曜日の帰りに事態は一変してしまう。

 誕生日会後、初の休日を目前に、ようやく俊雄と明日会えることを喜び、仕事が終わると、足早に会社から出ようとしていると、会社が入っている雑居ビルの入り口に倉持君がいた。

「何、誰かと待ち合わせ?」

 他人事のように、気軽に倉持君に話し掛けると、

「いや、千里を待っていたんだよ」

 ち・さ・と?

 今まで、倉持君にそんな呼ばれ方をしたことがなかった。よく考えてみると、誕生日会後、倉持君と二人きりになったことはなかった。あの日以来、倉持君の中では何かが変わっていたのかもしれない。

 困惑し、呆然と雑居ビルの入り口に立ち尽くし、倉持君の顔を見つめた。

「ど、どうしたのよ。いきなり名前で呼ぶなんて」

 顔を引きつらせ、落ち着かない自分を落ち着かせるように言った。

 倉持君は余裕の構えで、

「ここじゃ何だから、場所を移そう」

 倉持君に促され、困惑したまま会社を後にした。

「急にどうしたって言うのよ。態度を変えちゃって。社内と全然違うじゃない」

 冷静な声で言っては見たものの、内心、倉持君が何て言うかと思うと気が気じゃない。まさか、倉持君はあの夜以来、私のことを恋人として見ていたのだろうか?

「社内で突然、態度を変えたら、他の人たちが怪しむだろ? それに、今じゃ俺たちはただの同僚じゃないじゃないか」

 倉持君は、すっかり同僚から恋人同士のような口調に変わってしまっている。

「ただの同僚じゃないって・・・・・・」

「だって、そうだろ?」

 言われてみれば、確かにそうだ。しかし、それは私が望んだものではない。倉持君が、一方的に望んだことだ。なのに、私を無理やり倉持君の思う道に引っ張っていこうとしている。私の気持ちを無視している倉持君の態度に、だんだんと苛立ちを覚えてきた。

「そうだろじゃないわよ。何がただの同僚じゃないよ。倉持君が勝手にしたことじゃない」

「確かにそうだけどさ。でも、もう昔の俺たちではないことは確かだろ?」

 興奮しているからか、だんだんと歩く速度が速くなっていく。妙に冷静に話している倉持君に、強い憤りを覚えながらも駅に向かった。

「食事でもしようか」

 誕生日会で行った居酒屋の前に来ると、倉持君が誘ってきた。

「お酒を飲みたい気分じゃないから」

 アルコールを今の私の体に入れてしまえば、誕生日の夜の再現をしてしまう可能性だってある。絶対にそれだけは避けたい。

 居酒屋に行くのはやめて、居酒屋から少し離れた場所にあるパスタ専門店に入ることにした。夕食時で、店内はかなり混雑していたので、しばらく入り口脇にある椅子に座って待つことになった。

「そう怒るなよ」

 倉持君と隣同士に座ったが、私は倉持君と体がぶつからないように注意して座り、腕を組んで緊張した顔をしていた。

 私を怒らせた張本人の呑気な言葉に、より一層、強い怒りが湧いてきた。倉持君は自分のことばかりで、私の気持ちに気付こうともしない。自分がしたことがどういうことなのか、まるでわかっていないようだ。

「怒られるようなことをしておいて、よく言うわよ」

 私の頑なな態度に、倉持君は口を閉ざした。

 しばらくすると、店員に促されて席に案内された。

 一番奥の角の席に案内された。隣の席と少し間隔が広く空いており、通路には観葉植物が置かれている。

「ちょっとやりすぎたかもしれないけどさ。そこまで怒らなくても・・・・・・」

 椅子に座ると、開口一番に倉持君がささやくように言った。

「よく言うわよ。れっきとした、準強制わいせつしておいて」

「シーッ!」

 流石の倉持君も”わいせつ”と言う言葉でかなり動揺したらしい。急に貧乏ゆすりをし始めた。額には冷や汗をかき、目の前にあるお絞りで汗を拭った。

「まさか・・・・・・、訴えるのか?」

 私が訴えれば、倉持君は捕まり有罪判決を受けるだろう。もちろん、抵抗が出来ない状態で無理やりされたのだから、いい気なんてするわけがない。ただ、倉持君のことは同期入社で一番近くで働いてきた人だ。そこまでするべきかどうか。もし、倉持君を訴えたら、周りにあの日のことがばれてしまうではないか。そうなれば、私だってあの会社にいづらくなってしまうだろう。

「怖いの?」

 力なく倉持君は一つ頷いた。

「訴えはしないわよ。私の立場まで危うくなりかねないしね」

 ホッとしたのか、倉持君の表情が元に戻って強気な態度に出た。

「脅かすなよな。びっくりしたよ。それより、彼氏とはどうなんだよ」

「彼氏って、何よ突然」

 念のために牽制球を投げ込んだ。今日の倉持君は何かを企んでいるような気がしてならない。何を企んでいるのかはわからないけれど、黒くよどんだ空気を倉持君は放っている。

「彼氏と上手くいってるかどうかだよ。毎年、必ず会っていた彼氏が急に会わないって言うのも変だなって思ってさ。もしかしたら、上手くいってないんじゃないかと思って。ずいぶん長く付き合ってるんだろ?」

 私の動きを制するように、倉持君は強い視線を私に送り続ける。

「高校生のときからよ。それで?」

 絶対に負けられないと思い、私も強気な口調で言った。

「高校生のときからって、もう10年以上になるだろ? それで、まだ結婚してないって言うのはどういうことなんだろうな?」

 それは私自身が一番気にしていることだった。

 俊雄は、私と結婚する意志があるのかどうか。もうそろそろプロポーズがあってもおかしくはない。だけど、俊雄はまるで結婚から逃げるようにしている。私が教会だの、結婚式場の近くへ行こうと誘っても全部拒否されてしまった。私との付き合いを俊雄は、どう思っているのだろう。

 私は、俊雄といずれ結婚することを強く望み続けた。その思いは、現在進行形だ。ずっと俊雄の傍にいたい。その温かい瞳に抱かれて、その優しい声に心をときめかせ続けたい。

 もうすでに空気のような一緒にいて当たり前のような関係になっている私たち。だからこそ、俊雄のプロポーズを待ち続けているのだ。俊雄への強い気持ちがなければ、ここまで辛抱強く待ち続けることなんて出来なかっただろう。他の人では比べ物にならないほど、安心出来る存在なのだから。

 注文したナスとミートソースのスパゲッティが運ばれた。倉持君の前にはペペロンチーノが置いてある。店員が去ると同時に、倉持君がパスタを食べ始めると、私も食べ始めた。

「春日さんは、彼氏と結婚する気はあるの?」

 私が注意したからだろうか、倉持君が呼び方を変えた。ペペロンチーノを食べながらも、倉持君は真剣な表情を私に見せる。

「あるわよ」

 半ばむきになって応えると、

「彼氏のほうは、どうなのかな?」

 と、すぐに倉持君に聞かれた。

 俊雄の気持ち。知りたいけれど、知りたくない。知らないほうが幸せなのかもしれない。もしも、俊雄の気持ちを知ったら、素直な今の気持ちを知ったら、私たちの関係はどうなってしまうだろうか。

「どうして、そんなことを聞くのよ」

「もし、結婚しないっていうのなら、俺と付き合って欲しいと思ってさ」

 私が倉持君と付き合う?

「冗談でしょ?」

 そう言って、本当に倉持君の言葉を冗談にしようとした。

「本気だよ。少なくとも、俺には結婚願望がある。よく考えてみて欲しい。結婚する気のない男と付き合い続けるのが得策か。それとも、結婚願望のある男と付き合って幸せな家庭を築くのが得策か」

 まじめな顔で、食べる手を休めて、倉持君は私の瞳の奥を見つめている。私の心を抉ろうとしているようだ。本当に抉られてしまいそうな気がした。だけど、その瞳から私は目をそらさなかった。

「幸せな家庭って、簡単に言うけど、例え、私と倉持君が結婚したところで、幸せな家庭が築けるかどうかはわからないわよ」

 心臓がドクンドクンと強く脈打つのを諭されまいと、平然とした口調で言い放った。

「春日さんは、結婚したいんだろ? 中途半端な恋人関係を今の彼氏と続けて、不安じゃないのか?」

 まるで私の心の中を全てのぞきこんだかのような台詞。まさしくそれが、今の私だ。俊雄との将来を不安に思っている。私が望むものと、俊雄が望んでいるものが違っているのだ。きっと、俊雄はまだ結婚する気はない。まだまだ、自由の翼を広げて、大空を飛び続けたいのだろう。

 私は俊雄と落ち着いたささやかだけど幸せな家庭を持ちたい。二人の相反する思いは、どこへ向かっていくのだろう。

「よーく考えて欲しいんだ。俺とだったら、結婚はすぐ目の前にあるんだってことを」

「相手が誰でもいいわけじゃないわ」

 食べながらも、即答した。私には俊雄じゃなくちゃ駄目なんだ。と思うのに、弱気な心が見え隠れしている。

「俺、ずっと春日さんのことが好きだったんだよ。いつか、春日さんが俺のほうを見てくれる日が来ないかと待ち望んでいたんだ」

 全く倉持君の気持ちに気付かなかった。単なる同僚としてしか見ていなかった。でも、倉持君は私を一人の女性として見てくれていたようだ。心の中は、赤や青や黄色などいろんな絵の具を混ぜ合わせたかのように、複雑に感情が絡まり合っている。倉持君の気持ちをどう受け止め、どう接していけばいいのだろう。


 パスタを食べ終えると、すぐに店を出た。

 外に出ると、ひんやりとした涼しい風に包まれた。

 何も言わず、倉持君は歩き始めた。どこへ行くのか訊ねても返事がないので、仕方なく私もついていくことにした。倉持君は、会社とは反対側の道を進んだ。普段通らない道で、何があるのか見当がつかない。私たちは、どこへ向かっているのだろう。

 だんだんと人気がなくなってきた。怪しげな看板があちらこちらに見えてきた。風俗らしき店があるらしい。――まさか!

「ねぇ、倉持君」

 嫌な予感がしてきた。私の背筋に一筋の冷たい粒が流れ落ちた。無言で突き進む倉持君の表情は、能面のようで無気味に見えた。

 突然、グイと腕を強くつかまれると、男の強い力でラブホテルへと連れ込まれそうになった。

 やはり、そうだった。倉持君は私をラブホテルへ連れて行こうと思っていたのだ。

「やめてよ」

 火事場のバカ力が出たようで、倉持君の腕を振り解いた。しかし、すぐにまた腕を強くつかまれる。

「良いじゃないか。一度も二度も同じようなものだろ?」

「冗談じゃないわよ。私の気持ちも知らないでそんなこと言わないで!」

 必死で倉持君から逃れようとしていると、ラブホテルから一組のカップルが出てきた。

――嘘でしょう?

 そこにいたカップルの男性は、俊雄だった。隣には見たことのない女性がいる。しかも、腕を組んで、仲良さそうに寄り添っている。

 俊雄と私は目を合わせ、体が膠着してしまったようだ。

「どういうこと?」

 俊雄に問いただした。

「そっちこそ、どういうことだよ」

 俊雄の隣にいる女性が、なにやら俊雄に耳打ちをした。すると、俊雄はそのまま女性と繁華街の方へと消えてしまった。

 全身から力が抜けてしまいそうだった。

 信じられない。俊雄が、浮気をしていたと言うこと?

「春日さん、今の人って、もしかして・・・・・・」

 私の背後から、倉持君がか細い声で聞いてきた。

「ごめん、一人にしてくれないかな」

 そう言って、来た道を一人で戻ることにした。

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