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特別な街 1


 目が覚めると、僕は花屋にいた。

 ……いや、この言い方だと色々と間違っているかもしれない。

 まず、僕は眠った覚えなんてないのだ。――というか、“何も”覚えていない。だから『目が覚める』という表現は正しくない。だけど僕は今、なんだか長い夢から抜け出したばかりのような、変な気持ちでいる。自分の名前すらわからないのに。

 次に、ここは花屋ではない……のかもしれない。とりあえず建物の中にいることは確かだけど。切り花ではなくて、一株ずつ花が植えられた小さな鉢が、棚にずらっと並んでいる。この店はどんなに広いんだろう、棚の終わりが見えない。

 でも、すごくきれいだと思う。 赤、黄、紫、ピンク、白、オレンジ、青。まさに色とりどり。形も様々、見たことのある花もあれば、そうでないものもある。菜の花、パンジー、スミレ、スズラン、秋桜、薔薇、ヒヤシンス、水仙、……。

 あれっ、と僕は思った。季節も何もあったものじゃないや。それに……自分がどこから来たのかもわからないくせに、花の名前は思い出せるなんて。

 でも、きれいだからいいのだ、きっと。花に限っては、色彩が溢れていても全然うるさく感じない。むしろ、祝福されているみたいで気分がいい。

 花の小路、角を曲がる。どの花も元気に咲いてはいるけれど、名札や値札らしきものは見当たらない。商売をする気があるのかないのか。きょろきょろと歩いてみると、一応、カウンターらしきものがあった。

 そしてその向こうに男のひとが、座っていた。

「ようこそ」

 麦穂を思わせる長く艶やかな髪に、とろりとした蜂蜜色の瞳。寛いだ様子で片肘をカウンターについて、周囲と一体化してしまいそうに淡い微笑を口元にのせて、それでも、決して花々に埋もれることのない異様な存在感を放っている。

 初めて会ったはずなのに、込み上げてくるこの切なさは何だろう。僕は知らず泣きそうになる。それはひょっとすると、男のひとが背負う奇妙な重苦しい空気と、それに敗けない彼の強かさを感じて恐怖したのかもしれなかったけど。

「こちらにおいで」

 男のひとが手招くのに合わせて、薄青の服の袖口がひらひらと揺れる。蜂蜜色の眼差しに吸い寄せられるように、僕は彼の前に立った。

「ようこそ」

 同じ言葉を言われたけど、その意味は一回目のものとは違う気が、なんとなくした。

 男のひとは一旦カウンターの下に上半身を潜らせる。ちょっと経って、にょきっと腕だけが台の上に覗く。その手は周りにあるのと同じ鉢植えを掴んでいて、でも、そこから生えた一株の花はどれも(つぼみ)のままだった。最後の鉢はどちらかというと若い樹みたい。

 あっという間に並べられた鉢は全部で、五つ。全部、蕾。

「これが君のノルマ」

 ノルマ?

「この五つの鉢植えを咲かせることができたら、君の仕事はお仕舞いだ」

 仕事? 咲かせるって、僕が?

 思わず男のひとの顔を見つめていると、彼は微笑を少し引っ込めて首を傾げる。

「君、喋れないのかい?」

「あ……いえ、えっと」

 あまりに理解できないことが連続するから、声を出すのをずっと忘れていたみたいだ。声は出せるけど、何から尋ねたらいいのかな。

「――もうっ、あんたはいっつも言葉が足りないんだわ!」

 その時だった。店の奥から甲高い声が聞こえてきたかと思うと、男のひとが端正な顔をしかめて片方の耳に指で栓をした。指先まできれいなひとだなぁ……、って。

 耳元に。闇色のドレスを身に付けた小さな女の子がいる。……飛んでる。

「耳元で叫ばないでよ、ルナ」

「ソルが悪いんだわ!」

「そんなこと言ってるとまた瓶詰めにするよ」

「鬼なんだわー!」

 賑やかな女の子は空中で一度くるりと宙返り。背中についた四枚の薄い羽根は、硝子細工のように繊細で透き通っている。

「瓶に閉じ込められた妖精は、出してくれたひとの願いを叶えなくちゃいけない。君も覚えておくといいよ」

「はあ……」

「変なこと教えないでっ。それより名前! 早く付けてあげなきゃ。いつまでもキミ、だなんてよくないんだわ」

 妖精、なんだ。僕は二つばかり納得。僕の名前はこのひと達が付けてくれるんだ。

 ふむ、と男のひとは目蓋を閉じる。妖精の女の子はその周りを羽根を煌めかせてくるくる飛び回る。

「――決めた」

 呟き、蜂蜜色の瞳が僕を見たのと、妖精さんが彼の頭の横で静止したのは同時。ふたりともニッコリ笑って、真剣な声で、言った。

「君の名前は、」

 ――ピエリス。


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