病室にて
「ルージュさんって忍耐強いんだなぁ」
神殿の小さな一室にいた青年と黒い獣は、開いた扉の先に立っている男に視線を向けた。彼は眩しさすら感じさせる笑顔を浮かべ、部屋の中へと歩を進めた。
「たぶん当分起きないと思うよ。その女の人」
ウルはそう言いながら傍らに置かれていた丸椅子にどかっと座った。
「その人の中に込められた闇はかなり強力だった。オレが強制的に封入した光の力との衝突で、身体への負担は尋常なものじゃない。荒療治だったけど、まぁあの場合仕方ないよな」
ルージュに怪訝な視線を向けられていることに気付いているウルは、ベッドで眠るシスを真っ直ぐに見つめたままだ。
「オレの名前はウル。はじめまして、と言うべきかな? それとも助けてくれてありがとう、と言うべきかな。オレが生きてここにいるのはルージュさんのお陰なんだもんな」
「お前、竜の一族・フューリなんだろう」
「まぁ隠す気もないけど。こんな容姿をしていて、エルース出身のあんたに隠し通せるなんて思ってねーよ」
焔が揺らめくような美しい瞳。見紛うことは決してない。
「フューリが生きているとは思わなかったよ」
「そうだろうな。フューリは全て死に絶えた。俺一人を残してな」
絶望的なことを口にしながら、青年が悲観しているようには見えなかった。ルージュは上擦った声で「すまない」と呟く。俯いたルージュは微かに震えていたので、ウルは首を傾げ、目を丸くする。
「ルージュさんが何故謝るのか分からない」
「は?」
「フューリが絶滅した背景にルージュさんが関係あるってこと?」
ウルは澄んだ双眸を向けた。その美しい瞳に負の感情は一切込められていない。
当惑したルージュは思わず声を荒げた。
「知らない訳がないだろう! 俺が・・・俺の力の暴走でフューリは滅びたんだから!」
彼の悲痛な声が響いた後、耳が痛くなるような沈黙が辺りに充満した。ルージュの絞り出すような声は、傍らで成り行きを見守っていた守護獣ティラでさえも、同情の念を抱かずにはいられないものだった。
一方、彼の叫びを受け止めたはずのウルは突然冷水でも浴びせられたようにただ驚いていた。
「本当に知らなかったのか」
恐る恐る確認すると、物分りのいい子供のような澄んだ目をしながら頷いた。
「ルージュさん。オレ、あんまりそういうこと覚えてねーんだよ」
「どういうことだ」
「目覚めたら、記憶が曖昧でさ。自分の名前と竜の一族フューリであることは覚えてる。フューリがオレを遺して全て死に絶えたことも知ってる。でも、何故そうなったのか、いつそうなったのか、オレ知らないんだよな。まぁ今知ったというのが正確な表現だな」
ルージュの唐突な告白に対して憤っている様子はなかった。相変わらずあっけらかんとしていて、脳味噌が正常に機能しているのかすら怪しいものだとルージュは思った。
「でもさ」
「?」
「ルージュさんがこの世界中のフューリを殺していたとしても、今オレが逆上してあんたに飛びかかることは絶対にないよ。安心して」
彼はそう言って、わざわざ立ち上がりルージュに向き直ると、歯を見せて笑った。
「オレはルージュさんの味方だから」
突然放たれた胡散臭い言葉を鵜呑みにできるほど、ルージュは楽観的な性格をしていない。ルージュが明らかに怪訝な表情を浮かべていると、ウルは「怪しいと思ってるね」と不敵に微笑した。
「まぁ信頼する要素はないわな。フューリはエルースにとっては邪魔者に違いないし、不本意ながらオレにはあんたを憎む充分な動機があるらしい」
「そういえば先の戦いで妙なこと言ってたよな。仲間にしろとか」
「お。覚えてくれてたのかー。そうそう。男同士の熱い約束をオジャンにするような野暮な真似しないでくれよ」
一方的な言い出しだったではないか、と咎めることもできたが辞めた。むしろ問い質しておくべきことがある。
「何故お前は俺に固執するんだ。お前にとって俺が仇以外の何者だと言うんだ?」
彼はルビーのような煌めく瞳を僅かに細め、口端を少し上げている。美しい眼に吸い込まれそうになり、ルージュははっと息を飲んだ。
「オレはこの世界のことをほとんど忘れてしまっている。でもオレはあんたの知らないとても大切なことを知っているみたいだ」
「大切なこと?」
焔の渦に溺れるような不思議な感覚だった。ルージュの胸の内で何かが蠢くのを感じた。
しばらく見つめ合っていると、ウルはクスリと一笑し「あんたって奴は」と謎の言葉を零した。
「何だ」
「いや、とにかくオレを連れてってよ。竜を捜してるんだったら、竜族の男ってのも役に立つと思うぜ」
ルージュの眼光が鋭くなり、ウルは気が付くと華奢な双肩を掴まれていた。
「な! お前、居場所を知ってるのか?!」
「まあね。だから案内するって言ってるわけ。悪い話じゃないと思うけどなぁ」