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RONDO  作者: maric bee
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東に遺された者

滑らかな黒髪が風に靡いた。先ほどまで滞っていた大気が急激に動き出していることにナシュアは気付いていた。森の深淵の泉をボンヤリと眺めながら、彼女は故郷に置き去りにした最愛の妹のことを考えていた。


「何を考えている」


泉に脚を浸した白銀の(おおとり)が口を開いた。瑪瑙を埋め込んだような華麗な瞳が、ナシュアを見つめている。


「故郷のことを。そして大切な人のことを」

「お前の故郷とは」

「砂の王都レリスだ」

「レリスか。ティラが守れなかった国だな」


そう言いながら、巨大な嘴を開く風の守護獣はまるで嘲笑を浮かべているように見える。


「同じ守護獣でありながら、ティラの事を随分軽んじているようだな」

「軽んじているわけではない。ただあそこまで穢れてもなお、何かを遂行する姿はもはや滑稽ではある。私の住むこの国ももはや崩壊寸前だが、私は堕ちても奴のように生きられる気がしない」


砂の守護獣ティラ。レリスで起こった凄惨なクーデターより前には、彼も風の守護獣シエラに劣らぬ美しい銀の毛皮を纏う美獣だったことをナシュアは知っている。

また風が吹いた。天を覆う木々の枝を揺らし、大地に生える草花を掻き分けるように通り抜けて行く。先ほどよりも冷えた粗暴な風だった。


「結界が解けたのだろう。西より風が吹いてきている」

「結界とはウェルシュを隔てている例の壁のことか?」

「あぁ。西の神殿に安置された結界石が破壊されたのだろう。先代の巫女が築いた結界が取り払われた。何かが起ころうとしているのは間違いない」


シエラは目を細めて宙を仰ぐ。木々の隙間から差し込む光のせいでその瞳は輝き続けている。

結界が消失したのならば、ラスタ=ウィーブが途中で裏切ったとしても、ルージュ達一行は確実に西ウェルシュへ到達できるだろう。

しかし、全てがうまくいっているはずなのに、この胸騒ぎは何だろうか。


「お前はこの国をどう思う」


彼女の中で渦巻く不安など他所に、シエラは更に言葉を続けた。

随分お喋りな守護獣だと思い、ナシュアはふっと息を漏らした。


「私の生まれた国も他国をどうこう言えたものではないが、随分歪んでいるな」

「歪んでいる、か。否定はしない」

「闇の大樹を隠蔽したところで、いつか分かる事だ。民はそんなに馬鹿でも愚鈍でもない。秘密が信頼を失う原因になることくらい、子供にだって分かるだろうに」


ナシュアの脳裏には、故郷の悲しい紛争の様子が生々しく思い出されていた。巫女を隠蔽した父の事を悪く思う事は一度たりともなかった。でも、それが国で定められたルールである以上、父は指導者としては間違った道を歩いていたのだろう。


「先代の巫女シウルは、お前よりも一回りも小さな思慮深い少女だった。幼い頃から巫女として、この国を導く立場にあった。彼女は私が知る歴代の巫女の中でも責任感が強く勝気な性格で、そして誰よりも聡明だった」

「私は巫女ではないから、理解し難いことはたくさんある。しかし、責任の重圧に悩まされる苦しみは理解できるよ」

「お前の言うとおり、巫女は苦しんでいた。己の中で膨張する矛盾と理不尽さに、押し潰されようとしていた。この国の重臣達が彼女を苦しめていたのだ」

「そこまで彼女の苦悩を理解していたならば、何故彼女の元を離れたんだ。巫女の命令であっても、貴方は一番近くにいるべきだった」


シエラは長い首を擡げ、ナシュアの漆黒の瞳を見つめる。ナシュアには尊き存在に不躾なことを言った自覚があったため、僅かに後悔の念と罪悪感があったが、眼前の獣の瞳には非難する色は含まれていない。どちらかと言えば、懺悔するような危うさを宿している。


「すまない。口が過ぎた」

「かまわぬ。お前は正しい」


シエラが大きな息を吐き出すと、息吹は水面を揺らし、湿った空気を辺り一面に拡散させた。


「お前達は竜を探していると言っていたな」

「私の目的は違うがな。同行している男達は消えた竜の捜索を目的に旅をしている」

「そうか。途方もない旅だ。彼奴が姿を眩ませるのは珍しいことではないがな。彼奴の気まぐれに付き合うには人間の命は儚すぎる」

「竜は気まぐれなのか」

「ああ。私は彼奴が嫌悪している。全てを生み出した元凶のくせに、責任を取ろうとしない。肝心な時に逃げ出し、世界を放置する」

「だが、伝説が本当ならば闇から世界を掬い上げたのも竜だろう」


混沌の世界に光の秩序を与えた存在。一連の伝説を御伽噺としか考えたことがなかった彼女にとっては、竜はまさに神のような存在だ。


「その通りだ。竜が光を生み出し、強大な闇が封じられた。人間が生きていくためには、闇を器に封じ、楔を打つ作業を永遠に続けなければならない。これが竜の生み出した秩序だ。秩序による犠牲は大きい。巫女はあと何度死ねば良いのだ?」


ナシュアは内面に黒い感情が湧き立つのを感じていた。故郷で未だ命を削り続けている巫女は、いつか必ず訪れるであろう死の時を待っている。その時を回避するためにレリスを飛び出したというのに、彼女の中に絶対的に居座る不吉な予感がどうしても拭えなかった。


「私はーー」


シエラが何かを口走った時、急に木々を毟り取るような暴風が走り抜けていった。バキバキと荒々しい音を立てて森が破壊されていくが、あまりの強風でナシュアは立っていられず、膝を抱えて蹲ることしかできない。彼女の身体中に折れた木の枝や、千切れた草花がふきつける。突然起こった嵐は、明らかに凶兆の気配を呈していた。

突然やってきた嵐は数分続き、やがて収束を迎えた。ナシュアはゆっくりと顔を上げた。


その光景を前にして彼女はごくりと唾を飲み込んだ。泉で大きな羽根を休めていた美しい守護獣の姿はなく、そこには青々と輝く天を映した泉しかなかったのだ。


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