懺悔
普段は滲み出るような色香を纏っている彼女だが、こうしてベッドに横たわっていると清純な一般女性に見える。そんなことを思いながらルージュはベッドの傍らで彼女の寝顔を眺めていた。
エルースで過ごしている頃から、シス=ブラッドフォードのことは知っていた。暗殺稼業を中心とした影の仕事が多いことも、吹き込まれた魔素に取り憑かれ、日に日に闇に堕ちていったことも。だからこそ、今憑き物が落ちたような顔で健やかに寝息を立てている彼女を見ていると、本当に現実味の無い光景に思える。
「まだ起きないのか」
部屋に入ってきたのは、ティラだった。黒い毛皮をブルブルとふるった後、ゆっくりとルージュの方へ歩み寄り腰を下ろした。
「あぁ」
「にわかには信じられない話だな」
まるで彼自身の胸の内を読まれたようで、ルージュはハッとする。
「魔素を浄化する力か。あやつ、何者なんだ?」
ティラは賢い獣だ。ルージュが何かしらの予想ができていると、既に勘付いているようだった。隠す必要もないため、彼は答える。
「フューリの生き残りだよ。あの男は」
「フューリ?」
「エルースに住む竜信仰をする民族だよ」
竜の名を聞いて、ティラは不快そうに眉間に皺を作った。守護獣は巫女の剣。竜とは相入れぬ存在なので、反射的な反応だったのだろう。
「生き残りとはどういう意味だ?」
ティラの呟くような問いにルージュが沈黙したため、彼は再度同じ質問を投げかけた。この至近距離で聞こえないことなどあり得ない。ティラは不機嫌そうに椅子にボンヤリと座っている馬鹿面の男を見上げた。しばらくの間、室内には居心地の悪い静寂が立ち込めていた。
やがて、ぽつぽつと思わぬ言葉が降ってきた。
「フューリは滅びたんだ。俺のせいで」
「何だと?」
ティラが宙を仰ぐと、青白い顔をして苦しそうに語るルージュが見えた。
「アンタは知っているんだろう。俺の中に強大な魔が潜んでいることを」
「ああ。隠しているつもりなのだろうが、分かる者には分かる。経緯は知らぬが、随分余計なものを抱えているようだな」
ティラは呆れたように溜息をついたが、その目は同情しているように見えた。
「ティラは魔獣ジェネシスって知ってるか?」
「竜が光を生み出すより前の三魔獣のジェネシスのことか?」
「厄介なことにその凶悪な魔獣が俺の中にいるんだ」
ティラは口を閉ざし、紫色のくすんだ瞳を真っ直ぐに向けている。
「俺は昔それを制御できなかった。暴走したジェネシスの力がフューリを殺したんだ。俺は取り返しのつかないことをしてしまった」
ルージュは烙印のように焼き付いたあの地獄の光景を思い出していた。轟々と猛る炎と咽び泣く人間の声が今でも鮮明に思い出され、吐き気さえ覚える。
「ならばあの少年にとって、お前は憎き仇であるということになる。あの少年がフューリの生き残りだと言うのならば、何故お前のことを救ったのだろうな」
ティラが口にした疑問は、まさにルージュを当惑させている内容そのものだった。
砂漠で拾った彼が譫言で神竜リリィ=アンジェの名を口にした時から、ルージュは彼に命を取られることを覚悟していた。フューリの少年が目を覚ました時、間違いなく自分の事を憎悪すると思っていたからだ。しかし彼はルージュの名を知っていながら、無邪気な笑顔を浮かべて救済の手を差し伸べた。挙げ句の果てに「仲間にしろ」と言い放つ始末。全くもって不可解なことである。
「俺にもそれは分からない。でも彼の持つ光の力のお陰で、助かった人間がいるってことは事実なんだ」
ルージュは諦観した脆い笑みを浮かべて言う。彼がどこか捨て鉢に言っているように聞こえたため、ティラは「お人好しめ」と嘲る。
「命をくれてやるつもりか? お前が死んだら、私は巫女の願いを叶える事ができなくなるではないか」
「くれてやるつもりはないさ。そもそもこの肉体が朽ちたら、再びジェネシスが暴走することになる。そんな惨劇はもう沢山だよ」
ルージュが首を竦めて言うと、ティラは満足そうに鼻をフンと鳴らした。
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「ねぇ、アレってどうやったの?」
気持ちのいい涼風に目を細めながら、リュダは問う。
「オレの力、すげぇだろ」
木々の間に転がっていた大岩の上に立ちながらウルは胸を張った。
「驚いたなんてもんじゃないよ。魔素に飲まれた人間が元に戻るなんて、初めて知ったんだ」
「闇の力に拮抗する力を外から与えてやっただけ。まぁ相当消耗するから、滅多にやらねぇけどな」
褒め称えたものの、リュダの心中は穏やかなものではない。彼はそもそも魔族であり、ウルの力は彼にとって脅威に他ならない。決して正体を気付かれてはならないと気を引き締めていたものの、ウルは「リュダって魔族だろ?」と軽快に訊ねてきたので、激しく動揺する。
「いや、え、あの」
「いいよ、隠さなくても。別にオレがどうこうするわけでもない。エルースには色んな魔族がいるもんな」
ウルの言うとおり、世界の魔族は多種多様である。
この世界に住む全ての魔族は、エルースに眠る大いなる闇の片鱗であると言われており、多くの者が人間と対立している。魔族の中には人間を食料とする者も少なくはなく、例えばレリスに侵入する魔族達は人間を襲って喰らう獰猛で狡猾な奴らに該当するだろう。
一方で、人間から隠れるようにして暮らす穏やかな魔族も存在する。リュダの一族はれっきとした魔族ではあるものの、人間を食すことはない。ルージュに出会うまではエルースの秘境と呼ばれるような隠れ里で暮らしていたのだ。
魔族に関する認識は決して世間に浸透しているとは言い難く、実際は一括りにして扱われているため、リュダも極力魔族であることは隠している。
「どう見てもリュダは悪には見えないしな。悪ガキではあるんだろーけど」
「一言余計だよ」
ムクれた少年の姿に、ふっと頬を緩ませてウルは笑う。相変わらず綺麗な顔をしていて、彼の中に記憶を失ったという悲愴感は一切無いように見えた。
「あれから何か思い出したのか」
リュダが訊ねても、ウルは優雅に笑っている。
「大事なことは、少しずつ思い出してるよ」
「大事なことって?」
「オレがこれからやるべきこと」
彼は深紅に煌めく美しい瞳をリュダに向けた。
「それを成すためには、ルージュさんの仲間にならなきゃいけない」
「は?」
ウルがルージュの事を知っているのは、東ウェルシュにいた頃から感じていた事だ。しかしながら、彼の目的にルージュが関係しているのは予想外のことだったので、リュダは思わず目を丸くして素っ頓狂な声を出した。
「なんでウルを仲間にしなきゃ行けないんだよ。おれ達の旅の目的と関係ないだろ」
「旅の目的が違えど、同行くらいできるっての」
「ルージュに用があるならさっさと済ませてくれよ。おれ達は早く竜を捜さないと行けないんだから」
ポロリと零したリュダの言葉に対し、ウルは眉を僅かに潜め、「竜ねぇ」と愉快げに呟いた。
「ウルは人を捜していたって言ってたよね? もしかして、それって」
ウルは「もう分かるだろ?」と言いたげに、静かな微笑を浮かべたまま天を仰いだ。
「砂漠で拾ってくれた相手が本人で助かったよ」