変化
ざっくばらんな口調とは相反して、突然空から降ってきたその男は中性的で端正な顔立ちのせいで美しい女性のようだった。柔らかな茶髪が目にかかるのが鬱陶しいようで、犬が身体中の水を振り払うようにブルブルと振っている。
「間一髪だったな。お兄さん」
「あんたは……」
ラスタが口を開くと、最後まで聞かずに「正義の味方、ウル様っす」とブイサインを作り、歯を見せて笑った。
「デカい闇の力を追ってきたんだけど、ルージュさんはこっちじゃないのか。ま、ある意味正解だったのかな」
ウルはブツブツと独り言を言いながら、ぼんやりと天窓を見上げる。呟きの中に例の冒険者の名前があったことが気になり、ラスタは問いただす。
「ルージュという冒険者の連れか?」
「まぁそんなとこ」
そう端的に告げ、ウルは醜悪な顔に成り果てた幼い少女に向き直る。やがて防御壁から放たれていた緑色の淡い光が消えていった。
「勘弁してくれよ。そんなに睨むことないだろ」
「貴様も我々の邪魔をしにきたのか」
「まぁただの通りすがりだけどね」
先ほどまでの愛らしい娘はどこに行ったというのか。今眼前にいる少女は邪悪そのものである。ラスタは闇の者を見抜く術を持たないが、その能力を持たずとも容易に判断は可能だった。
「もうやめろって、その姿」
ウルは手をヒラヒラとしながら、おかしくて堪らないと言いたげに笑みがこぼれている。
「オレにはそういうの通用しねーし、いい歳したおっさんが化けてるってなると、もはや感心するのを通り越して笑っちまうな」
この男の瞳には何が映っているのだろう。ウルの言葉が真実であるとすると、眼前の巫女は偽物であることになる。
「フッ……ククク、想定外の事ばかりだな」
少女は俯き、肩を揺らしながら笑っている。
「ラスタ=ウィーブは孤独な戦士だと思っていた。こうもあちこちから仲間が集まるとはな」
「お人好しがウェルシュにたまたま集まってただけだろ」
ニヤリと彼女は口元を歪めてからふわりと浮かび上がると、その身が黒い霧に覆われた。黒に塗り潰されていく景色の中から、やがてスラリと長い足が表れる。胴体は黒い甲冑に覆われており、その上に乗っている頭はラスタには見覚えのあるものだったため驚愕する。金髪を後ろで束ねたその男は10年前、若き彼に東への潜伏を命じたその男だったのだ。
「ライゼン様……?」
動揺して後ずさりする哀れな青年の姿にライゼンは笑みを浮かべた。
「可哀想な男だ。何も知らぬまま闇の糧として死ねるはずだったのに」
巫女の側近であるライゼンはラスタにとっては雲の上の存在だ。10年前は巫女が幼かったため、実質の政権を握っていたのもライゼンだった。
「貴様のせいで彼は安寧の場所を失ったのだ」
「はっ……よく言うよ。オレはさっき参戦したばっかだから詳しい事情はしらねーけど、この人の危機を救った実感は鮮明にあるぜ」
美しい青年がそう言って胸を張ると、ライゼンは鼻をフンと鳴らした。
「ライゼン様はまさか」
眉をハの字に曲げてラスタは消えそうな声で訊ねる。
「貴方はまさか魔族なのですか。あの大樹と何か関係があるのですか。貴方がまさか」
「そう、私がこの一連の事を企てた」
にべもなく言うかつての上官の姿にラスタは僅かに震えていた。恐怖というよりも、当惑による感情の揺らぎが原因だろう。
「我が偉大なる主がこの地に大樹の呪いをかけて30年、巫女に巣くう闇の心を糧とし大樹は成長を遂げた。私はそれを陰から支え、増幅させてきた」
「な……そんな……」
「簡単なことだった。巫女は余りに卑小で脆弱だったからな」
事態の詳細を知らないウルは、その2人のやりとりを眺めながら状況把握に努めていた。
国を偽った指導者と騙された騎士。その中心には大樹と呼ばれる闇の象徴が存在しているようだ。
彼が先ほど黒騎士によって転送された場所にも目を見張る巨大な木があった。国中を監視するような奇妙な圧力を放つ禍々しい大樹。あれが放つ強大な闇の力は、紛う事なきエルースの抱える闇に酷似している。
「ライゼン様はあの辺境の地ケニスにすむ魔族達の」
「そうだ。私はケニスで生まれた」
「どうしてです? 正直に申し上げると、貴方が魔族であるという事実に私は今動揺しています。しかし嫌悪はしない。魔族達とはお互いを侵害せぬように我々は努めてきたはずです」
ラスタが生まれる遙か昔からこの国に住むという魔族。実際に彼らが巫女を拉致して神殿に立てこもったことを耳にした時、彼はにわかには信じられなかった。彼らケニスの魔族と人間は決して交わることはないが、少なくとも500年間はお互いの縄張りを侵すことなく生きてきたのだ。今更魔族が反旗を翻し、戦をしかけてくる道理がない。
「勘違いしているようだが、人間達に気遣うために我々は沈黙していたわけではない。私達はただ主のために行動する。主が求める未来を、世界を実現するために」
「実現するために巫女を幽閉したと?」
「言ったとおりだ。巫女は大樹のためのツールに過ぎないと。主の求めるものは大樹によって実現されるのだ。さて、お喋りはここまでだな」
覆う緊迫した空気が更に張り詰め、ライゼンは腰の騎士剣を抜き、切っ先をラスタの喉元へ向けた。
「動かない方がいい。脅しているわけではない」
貫くような視線を向けられてラスタは怯んだ。敵として対峙するのは初めての体験であるが、ただならぬ覇気はこれまで数々の戦士の士気を削いできただろう。
「さて、お前の目的は結界石の破壊だったが」
ライゼンはそう言いながら左手を見せる。掌の上には目映い光を放つ淡緑色の石があった。
「そこにある石は偽物で本物はここにある。大樹の果実を収穫する時まで、この国の民に大樹の存在を知らせるつもりはない」
「何故?」
「主の指示だからだ。言うまでもなかろう。そして私はもう一つの任務を遂行しなければならない。お前を始末する、という重大任務だ」
ライゼンは騎士剣を構える。いつ動き出すか分からない緊張状態でありながら、相変わらず気の抜けた声を上げる男がいた。
「んー、まぁアンタは下がってなよ」
見たところ武装している様子がない美麗な容姿の男が腕を鳴らしながら、前へ出た。華奢な身体で一体どうやって戦うつもりなのか。だがその顔からは不安が一切読みとれないのが不気味だった。むしろ勝利を確信している様子で、根拠が全く見あたらないせいでラスタは首を傾げてしまう。
「事情は複雑そうだけど、要するにライゼン様という名前のアンタがルージュさんの敵で、あのでっかい木を使ってヤバいことをおっぱじめようとしてるんだろ?」
「ヤバいこと、か。なんと軽率な言葉だ」
苦笑するライゼンも丸腰の男を不審に思いながら様子を窺っていた。
「お前は分かっていない! ライゼン様はこの国で一番の剣の使い手だぞ」
だからこそ、神殿騎士の頂点に上り詰め、巫女の側近として働くことができたのだ。
しかし、ラスタの忠告はあっさりと棄却された。
「強いなら尚更アンタには手に負えないだろ」
この上ない侮辱だった。ただの一介の騎士に過ぎない自分ではあるが、一介の冒険者より劣ると断言されるなど、あまりに酷い。
憤りをぶつけんと青年の目を見た時、先ほどまでの弛んだ笑みは消えていた。炎を呑み込んだような真紅の双眸の中に既にラスタの姿はない。
「きなよ」
根拠のない自信が暴走した愚かな若輩者には洗礼が必要だ。
ライゼンはふっと息を漏らしてから、挑発するウルに向かって飛びかかり、振りかざした刃を目にも留まらぬ早さで振り下ろした。
次の瞬間――
凄まじい衝撃波が放射線状に放たれた。ラスタは反射的にその波動に目を瞑り、すぐに戦況を確認する。
「丸腰だと思った?」
目を疑わずにはいられなかった。これが何かの余興として行われるショウだったならば、拍手をしなかったことは演者への無礼となるだろう。
その刹那に、柔らかな茶髪は腰まで伸び、橙色を帯びていた。美しい赤い瞳は、オレンジに近い明るい光を宿している。伸びた爪は研ぎすまされており、うっすらと身体全体が淡い光を放っている。
ウルの「変化」はむしろ「変化」と解釈すべきだろう。 そこにいるのは美青年というよりは黄金に輝く美獣と呼ぶにふさわしい。
騎士剣はウルに届くことなく、彼を覆う緑色の障壁に食い込んでいた。
「貴様……まさか貴様も?」
魔族なのか、と続くはずだったであろう言葉に、ウルは「一緒にされたくないな」と苦笑した。
「オレはフューリ。最後の竜族の末裔だ」