偽りの騎士と聖なる獣
裏口には見張りはいなかった。閑静ですっきりした佇まいとは相反して、先ほどよりも強烈な魔族特有の匂いがあたりに充満している。先ほどの短い作戦会議では「2週間で魔素に毒される」と言ったが、この様子では訂正が必要だ。神殿内では2日が関の山だろう。
姿こそ見当たらないがおそらく陰に潜み、蟻地獄のように獲物がかかるのを待っているに違いない。匂いだけではなく、周囲には殺気に近い緊迫した気配が漂っている。
ルージュは神殿裏口前にそびえる木の上から、裏口周りを観察していた。戦前の高揚のようなものが久しぶりに沸き立つのを感じた。彼の中に潜む闇が蠢いているせいかもしれないし、戦いそのものに飢えている己の感情かもしれない。
彼らと別れてから10分ほど経っただろうか。巨大な神殿ではあるが、ティラが課せられた任務を確実に迅速をこなすタイプであろうことは既に昨夜証明されている。そろそろティラが風の巫女を見つけ出しているはずだろうと予想していた。
(さて、始めますか)
意識を掌に集中し、力を込める。拳が熱を帯び、蛇がまとわりつくように、彼の腕を白い炎が覆った。巣から悪魔を釣り出すには、ある程度の衝撃が必要だろう。小火程度では決して奴らの度肝は抜けない。ただ力の調節を間違えれば、あの関所と呼ばれるクレーターが無駄にもう1つできることになる。あまり喜ばしいことではない。
ルージュが慎重にその腕を下ろすと、猛々しい炎の塊は真っ逆様に落ちていった。大地に触れた炎は鳴り響く爆音と共に、更なる光に放った。
撒き上がる土煙が速やかに風で拡散され、くりぬかれた地面が見える。少しやりすぎたかもしれないと苦笑していると、神殿内が騒々しくなり裏口からワラワラと人間達が現れた。巣を壊されて癇癪を起こした蜂の集団のようだ。どこか常軌を逸した瞳が魔素の影響を物語っている。
「仮説のひとつは大当たりだったな」
彼は木から飛び降り背負っていた大剣を両手で構える。とはいえ、正気を失った人間を一刀両断にするわけにもいかず、力を最低限に抑制して撫で斬りにする必要がある。
ルージュが仕掛ける前に白い鎧を身につけた人間がマントをはためかせ、奇声を発して剣を片手に襲いかかってきた。太刀筋には一切の容赦もない。ルージュはひょいとそれを回避し、大剣の峰で肩を叩いてやる。
神殿に住み、巫女を守ってきた騎士達は随分脳をやられている。予想以上に魔素の濃度が高いせいだろう。
「おおぉぉ!!」
人間のものとは思えない悲鳴が辺りに響き、うずくまる。だが攻撃の手が止むことはない。操られた騎士達は荒々しい怒号を上げながらルージュに刃先を向けた。
「やっぱりこうなるんだよな」
ルージュが剣をなぎ払うとその衝撃波で5人の騎士達が吹っ飛んだ。地面に叩きつけられた彼らは痛みを感じない様子でゾンビのように起きあがる。そんな最中、青白い顔をして別の男達が多重攻撃を仕掛けてくる。本当にキリがないのかもしれない。
しかし今回の戦いにおいて重要なことは暴れ続け敵を引きつけることである。ひたすらに起き上がる騎士達をあしらいながら、もう少し神殿内まで侵入した方が効果的だろう。ルージュは剣で猛攻を受け止めながら徐々に進軍する。彼にとってはリュダの剣術の稽古にすら値しない労力であったため、さほど疲労することもないが、できれば勝利を勝ち取ることが許されない戦に身を投じたくはない。彼は攻撃してくる者達に気を配りながら、匂いの中心にいる何者かに迫っていく。
「そこか…!」
ルージュが剣を振りかざし飛びかかる。フードで顔半分を隠した黒いローブの男だった。後ずさりしたせいでルージュの剣幕と攻勢に怯んでいるようにも見えたが、他の正気を失った騎士達とは異なり、口元には不敵な笑みを浮かべている。
剣と剣が交わり十字を描くと共に、衝撃で相互が退いた。
「ラスタではないな。貴様は誰だ」
男は相変わらず笑みを浮かべたまま嗄れた声で言った。
「お前が先に名乗れよ」
「貴様に名乗る必要はない」
魔族の匂いの発信源はどうやら特定できたらしい。相変わらず愚直な臭気である。
「私の名を知ろうとも、今から貴様は人間共になぶられて死ぬのだ」
「お前が相手をしてくれるんじゃないのか」
「貴様にとっては私よりも人間達の方が強敵だろう?」
歪んだ口元からは鋭利な牙がはみ出している。先ほどの言葉から、彼が魔族であることを隠すつもりが毛頭ないことが汲み取れた。
男は身軽に一歩後ろへ下がると同時に、生まれたスペースを埋めるように人間達がルージュに迫る。彼らに気迫はないが殺気を秘めており、ただの殺人マシーンに成り果てていた。
筋肉隆々の騎士達がルージュの両腕を掴み、動きを封じた。そのまま右腕は捻り挙げられたせいでルージュの掌から大剣が離れ、ガシャンという喧しい音を立てて地面に転がり落ちた。
「それなりに腕は立つようだが、運の尽きだな」
笑みを浮かべたまま、男は身動きできないルージュを揶揄する。もがくルージュの姿がおかしいのか甲高い声を上げて豪快に笑った。
「貴様を殺すのはたやすいが、死ぬ前に答えてもらおう。ラスタはどこだ」
「……誰のことか分からんな」
ルージュがとぼけると、傍らに立つ騎士の1人が腹に強烈な拳一発を食らわした。
「クッ……」
「言葉は慎重に選んだ方がいいぞ。もし私の気が変われば、貴様の命を助けてやるかもしれない」
「……人の自由を奪ったまま殴るなんて、外道のやることだ」
「黙れ!!」
男の怒りに反応するように騎士達の瞳が澱んだ紫色の光を放ち、顔面を殴られる。
「もう一度問う。ラスタ=ウィーブはどこにいる」
「だから……誰だか分かんねぇって」
再度顔を殴られ、ルージュの鼻から血が垂れた。それで足りなかったのか、更に顔を5発、腹、胸を6発殴られた。
「ラスタは愚かな男だ。未だ会ったこともない巫女の偶像にすがりつき、言うことを聞くだけの哀れな犬だ」
「へぇ……」
ルージュは脱力し、鼻から滴り地面を濡らす血液を眺めている。
「……でも、お前の目的は大樹の闇を解放することだろう。ラスタは関係ない」
力なく呟くルージュの様子は、服従した犬そのものだった。その弱々しい姿がお気に召したのか、男は再び笑い声を上げた。
「いいぞ。従順な者は生きながらえる。そして醜い……ククク」
「お前達はラスタをどうするつもりだ」
ルージュがゆっくりと顔を上げてから訊ねると、男はヒクッと口をひきつらせ息を呑んだ。何故か反射的に全身が痙攣したが、目の前にいる小汚い冒険者は士気を喪失しているようにしか見えない。
「どうせ俺はもう殺されるんだろ」
「あ……あぁ、そうだ」
「だったら教えてくれよ。あの弱そうな男を、守護獣の居場所すら知らない役立たずな男を何故求めるんだ」
男はニタリと笑い、若い騎士に視線を遣る。虚ろな目をした青年騎士は剣を抜き、ルージュの喉元に切っ先を向けた。
「あの男は巫女の希望なのだ」
「巫女の希望?」
「そう、まさに光なのだ」
闇に属する魔族の男の口から飛び出した光という言葉に不信感を抱きつつ、ルージュはその単語を口にしてみる。
「我々が生み出した仮初めの光。守護獣に関してもそうだ。ここで祈りを強制された巫女にとってまだ見ぬ守護獣も東に住む騎士ラスタ=ウィーブも羨望と憧憬の存在だった。側近としてテティスに光の幻影を刻み込むように教育を入念に行った」
そこまで話を聞けば、その先は簡単に予想できた。偽りの光を消し、巫女の心を闇で満たすこと。それこそが真の目的だったということか。
「あの大樹の栄養は巫女の……」
「ご名答。巫女の心の闇さ。我らが偉大なる主は30年前この地に降り立ち、呪いをかけた。清廉なる風の巫女シウルの仮面を剥ぐために」
「仮面を剥ぐ?」
「大樹は巫女の闇の心に反応し成長する。シウルが、大樹をあそこまで育んだのだ……ククク、おかしいだろう。聖女の心は闇で満たされていたのだ。自身を見まいとしてシエライトの製造をはじめとする国の施策に熱心に励んでいたようだがな。結局は世を恨むもう1人の自分には勝てなかった」
「だが巫女シウルは死んだ」
「そうだ。エルースからの刺客に殺された。そして更なる逸材テティスが巫女として覚醒した。我らが育てた汚れなき純朴な少女。白のキャンバスを我が手により黒く染める快感、貴様には分からないか」
よく喋る。動けない男を前にし、勝利という美酒に酔いしれているらしいので、そのまま様子を見ることにした。
「伝説の少女はそもそも闇に属するはずだ。あの木から生まれるのは闇の王女そのもの。偽りの騎士と聖なる獣の死は少女を絶望で満たす引き金として充分だ」
「なるほど……ラスタは……何も知らぬままに、長きにわたって利用されたわけか」
「クカカカッ! 愚かな人間達は巫女の祈りに縋り、真の姿を得た巫女によって殺されるのだ」
大笑いした後に魔族の男は再び震え上がることになる。動けない惨めな冒険者がもう一度顔を上げた時、先ほど感じた刹那の畏怖を今度は真っ正面から受け止めたからだ。
「話はもういいよ」
冷たい声だった。
「なんだかな、お前と話していると胸糞悪い。でもな」
既に困憊していると思われた男は、腕を束縛する両側の騎士達を力任せに吹き飛ばした。思わぬ事態に喉元に剣を向けていた若い騎士はそのまま剣を差し込もうとしたが、刃の切っ先を掴まれ、剣ごと投げ飛ばされてしまう。
「いろいろ教えてくれて多少感謝はしている」
自由になった右腕で鼻血を拭い、動けぬ魔族の男と向き直るとルージュの深緑の双眸がうっすらと光を宿した。
美しい澄んだ瞳。先ほどまで弱った人間にすぎなかった男が、一瞬で大きな巨人と化したかのような存在感を放っている。大地が震えているのかと思ったが、震えているのは自身の足だった。
瞳に囚われて動けなくなった可哀想な敵に一足飛びで近付くと、ルージュは耳元でこう囁く。
「さっさと楽にしてやろうか?」