古い伝説
リュダと名乗った少年はようやく生気を取り戻したように微笑んだ。蝋人形のような白い肌がほんの少しピンク色に色づいた。フェリンが自分の名前を名乗ると、リュダは「ふーん」と気のない返事をした。てっきり興味がないのかと思ったけれど、彼は「神様の1人と同じ名前だね」と嬉しそうに言った。彼の言う「神様」が分からずにフェリンは首を傾げる。
「ところで、今日は何かのお祭りなの?」
街の中央の方から騒がしい音楽と歓声が聞こえてくる。こんなに野蛮で騒々しい音楽を少年は知らない。爆発音のような太鼓の刻むリズムや聴いたことのない荒々しい音色は否が応でも彼の気持ちを高揚させた。
「祭りなんかじゃないよ。レリスの下町はいつもこんな感じだ」
「なんか楽しそうだね」
「お前、ここのガキじゃないのか?」
フェリンは更に首を捻る。レリスは最近魔族からの侵入を警戒して街を囲うようにして粗末ながら土塀を建設した。冒険者フェリンがこの地に足を踏み入れることができたのは、彼自身がレリスの出身者だからであり、この街に外部の人間がいることは珍しい。国が認めた商人や要人以外は基本入ることすら難しいのだ。
この少年の言動を観察していると、どうやら彼はここの住人ではないらしい。とはいえ、どこから入り込んだのかと問う自分に納得のいく答えを用意することはできそうになかった。
「行こうよ」
リュダはそう言って、フェリンの袖を掴んで引っ張った。
「親がいるかもしれないだろ?」
見た感じで判断すると12歳くらいだろうか。親からはぐれて泣きべそをかくような歳ではないらしい。それどころか彼の大きな瞳は輝き、好奇心と希望に満ちている。引っ張られ歩くことを促されたフェリンはとりあえず訊ねてみる。
「親御さんとはいつはぐれたんだ?」
「さっきだよ。1時間くらい前かな」
「なんであんなとこで寝てたんだ? この街の夜は危険もたくさんあるというのに」
リュダは腕を組み「うーん」と唸ってから「途方に暮れてたら眠くなったんだ」と屈託のない笑顔を浮かべて答えた。フェリンには意味が分からなかったけれど「そうか」と深くは訊ねなかった。
2人は大通りに出る。露店がずらりと並び、それを物色する人々。活気はあるが風が強いせいか、所々で店じまいをする商人達もいた。
「嵐が来るかもしれない」
フェリンが辺りを見渡しながら言った。リュダも空を見上げてみるが、彼にはよく分からなかった。
「もしかして砂嵐?」
「そうだよ。最近はこの街を砂嵐がよく通るんだ。言っておくが、お前も早く親を見つけてどこか屋内へ避難した方がいいぞ」
「フェリンはどうするの?」
「俺は宿がある」
リュダがぼんやりと見つめていることに気付き、フェリンは思わず言葉に詰まった。この少年はまさか宿まで着いてくるつもりかもしれない。
「お前な、先に言っておくが、俺がお前と行動するのは親御さんを見つけるまでか、砂嵐が来るまでだ。分かったか」
「勿論だよ」
釘を刺したつもりだったが、あまりに手応えのないことにやりきれない思いになる。フェリンはとりあえず音楽が聞こえる方向へと歩き出す。それを追いかけるようにしてリュダが着いてくる。
砂嵐を察知したのは勿論フェリンだけではない。待ち行く人々が、その風の変化に気付きそれぞれの家へと帰る支度を始めていた。足早に歩く人々は皆すれ違う2人の若者に視線をやった。正確には注目されているのはリュダだった。
そこにいる人間と明らかに肌の色が異なるリュダは異質な存在として人々の目に映っていた。灼熱の砂漠に存在するレリスの気候では有り得ない白い肌の少年。健康状態が極めて悪いのか、それとも他国の者なのか、いずれにしろ彼らの目には奇異に映った。
リュダもその視線には気付いていた。そのような視線を向けられることに慣れているといってもいいかもしれない。彼のヒトとしては白く透き通るような肌と輝く銀色の髪は、この国に限らずどこに行っても異質なものであることは自覚していたからだ。
刻々と激しさを増す風のように、太古のリズムのような胸を高揚させる音楽は更に激しさを増した。湧き上がるような歓声もどこか狂気じみており、宴が終焉に向かっていることを物語っていた。
「本当にお前の親は広場にいるのか?」
「さぁ。知らないよ」
「じゃあ何故広場に?」
リュダは無邪気な笑みを浮かべながら、「楽しそうだから」と短絡な答えを示した。フェリンは厄介な子供を拾ってしまったのではないかと不安になる。
「お前、本気で探す気あるのか?」
「勿論」
彼は即答した。真っ直ぐにフェリンを見る深緑の瞳は鋭い眼光を放っていた。思わずフェリンは自分が子供相手に愚かな質問をしてしまったことを恥じた。
「たとえ、おれを置き去りにした愚かな男であったとしてもね」
「?」
フェリンの傍らで不敵に笑うリュダの横顔に彼は戸惑う。やはりただの子供ではないと彼は確信を抱いた。すぐに投げ出してしまいたい衝動に駆られたけれど、彼の中に有りもしなかったはずの「正義感」と「使命感」が彼を突き動かしていた。
露店が立ち並ぶ大通りを抜けた先には広場があり、踊りや歌に興じる仮面の集団がいた。仮面は赤をベースにした彩の良いもので顔全体を隠すようになっていた。激しく身体を上下させ頭を振る。忙しくなく動き続ける人間はゼンマイが壊れた哀れな人形のように見えた。リュダは畏怖を抱いた。
「何故、踊るの?」
ぽつりと問うリュダはただの無垢な少年に見えた。答える義務などフェリンに勿論ないが、彼もまたその狂おしい光景を傍観しながらゆっくりと答えた。
「古い伝説がある」
「伝説?」
「物語のようなものだ」
轟音と共に風が吹きぬける。フェリンは身の危険を感じるが、その場に留まり話し続ける。そうしなければならない、と誰かに囁かれたような気がした。
「昔、世界は深い闇に包まれていた」
リュダは荒々しい耳を刺すような音楽と踊りに心奪われながら、一方で穏やかな口調で語るフェリンの低い声に耳を傾けていた。
「竜は光を生み出した。
僅かな光で見えたその美しい世界に魅せられた竜は、その光を永久のものにしたいと願った。
しかし闇はあまりに巨大で、竜の光では隠すことは出来ない。
そこで竜は、器に闇を閉じ込めた」
リュダはその物語を知っていた。でも彼は何も言わなかった。
「少女は器を生み出した。
器の隙間から見えたその深い闇に魅せられた少女は、その闇の全てを知りたいと願った。
しかし光はあまりに巨大で、少女の祈りではどうすることも出来ない。
そこで少女は、竜を剣で貫いた。
闇は剣を生み出した。
器の隙間から見えたその美しい少女に魅せられた闇は、その少女に触れたいと願った。
しかし少女はあまりに優しく、闇の心では近付くことは出来ない。
そこで闇は、少女と約束を交わした」
暗記していることを褒める必要もない。リュダもこの物語を知っている。これはレリスだけに伝わる物語ではない。冒険者を名乗るフェリンもそのことは承知しているだろうとリュダは予想した。
「レリスがこうして踊るのは少女の心を奪うためだ」
「少女の心?」
「そうだ。お前は、この物語から何を思った?」
彼は首を捻る。
「少女は闇に魅せられながらも、闇を抑える器を生み出す矛盾した存在だ。レリスは、彼女の心が闇に奪われないように踊り続ける。深い祈りを込めてな」
「レリスが願うのは世界平和か?」
「どうだろうな。レリスに伝わる昔話だが、少女の流した涙は砂漠を潤し、レリスを生み出したと言われている。レリスの人間は少女を敬い、畏れている」
リュダはフェリンの話を感慨深そうに聞いている。古い神話や物語に興味がある少年は珍しいなとフェリンは思った。
「いい土地だね」
リュダはそう言った。自分の生まれ育った街を褒められることにフェリンは気分を良くした。鼻をこすりながら「そうだろ?」と得意げな彼に、リュダは「本当にそう思うよ」と念を押した。
その時、身震いするような感覚がリュダに過ぎった。そして後追いするように、おぞましい地を揺るがすような咆哮が耳に刺さった。音楽は止まり、仮面を着けた人間達も皆、動きを止めた。そこにいる誰もが、その場に凍りついた。
「ま、魔族だ!」
どこからともなく誰かが叫ぶのが聞こえた。裏返り恐怖に慄く声は、その場にいた人間の恐怖までも増長させた。人々は悲鳴を上げながら逃げ惑い、遠くに見える石造りの城の方へと走り去っていく。
「魔族だって? おい、お前も」
避難させるつもりでフェリンは、リュダの右腕を掴んだ。そして引っ張り安全な方角へと走り出そうとしたが、梃子でも動きそうにないほど、リュダはその場に佇んでいた。
「おい、どうした?」
フェリンは、リュダの顔を覗き込む。何故か彼は面白おかしく声を殺して笑っていた。
「見つけたよ」
「見つけた? 何を?」
「決まってるじゃないか。親だよ」
そう言って人々の流れとは逆方向へと走り出した。腕を引っ張られたフェリンはその力強さに驚き、反応できずにいた。
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