ハッピーエンドのためのプラン
静寂をかき消すような壮大な爆音が鳴り響き、彼女は顔を上げた。音と同時に神殿は怯えるように身体を震わせ、その衝撃の凄まじさを物語った。
真っ先に彼女の脳裏によぎったのは大樹のことだった。生まれてから常に見上げてきた呪いの巨木が、ついにこの地を見限り、戦を仕掛けてきたのではないかと身を硬くする。既にウェルシュの大地は荒廃しているのにまだ足りないのか、と口元を歪めた。
魔法大国として世界中に名を轟かせたという過去の栄華に隠されているが、蓋を開けてみれば現実は大きく異なっている。爆発事故により西の魔法支持派と東の魔法否定派に分かれたというのも、真実はそんなに単純な構図ではない。前巫女であるシウルが大樹を結界で隠蔽し、国民が知る前に破壊すべくシエライト――つまりは守護獣の力を抽出し、大樹にぶつけた結果があの大爆発だ。隠蔽できなくなった時、巫女が下した国を守るための結論は大樹からの国の分離だった。あの凄惨たる結果を生みだした試みを大樹はうすら笑いを浮かべ蔑んでいるように見えた。あの一件でウェルシュの国力は更に大樹に吸い上げられることとなったのは間違いない。今この国は中身のない蛹のようなものなのだ。
彼女はぼんやりと眼前で頑なに閉ざされたままの扉を見つめる。荒く編まれた縄で手足を拘束され動かすことはできないが、巫女の秘めたる魔力をうまく一点に集中すれば扉に穴を開けることくらいできるかもしれない。身体の自由はないが、尺取虫のように身体を捩らせればこの部屋から抜け出すことができる。
しかし、うまく抜け出したところで、扉の向こうにあるのは絶望であることは知っていた。世界の大いなる闇と邪悪な大樹が彼女の運命を縛り付けており、それは彼女がどこへ行こうとも、――仮に世界の果てへ行けたところで逃れられない事実なのだ。
それでも扉へ意識を集中したのは、ただ単に暇潰しをしたかったからだろう。彼女の中に存在するはずの巫女としての魔力を再度この目で確認したくなっただけだった。
息を深く吸い、彼女はひたすらに扉を凝視する。ライゼン曰く、彼女の巫女としての力は未熟で成長途中であるらしい。扉に穴を開けるほどの力があるかは自分でも分からない。
扉の下部に意識を集中する。ジリジリと熱を感じるのは、彼女の魔力に反応し大気が熱くなっているからだろう。眦に汗が滲み、身体の末端から力が抜けていくのを感じた。
(駄目か……)
彼女の運命を翻弄する巫女の力が扉一つ壊すことのできない程度のものであることに愕然とした。やがて彼女の鳶色の瞳からハラハラと雫が溢れてきた。枯れたと思っていた涙がまだこぼれることが意外で、彼女は顔を歪めて自嘲してから、再度俯き両手で顔面を覆った。
その時、
――ここは久しいな。
突然聞き覚えのない太い声が聞こえてきたので、彼女はすぐに顔を上げた。
――未だに同胞の匂いがこびり付いている。
同胞? 彼女は首を傾げながらも、姿見えぬ侵入者に身を硬くした。
――お前は風の巫女だな。
「だ……誰?」
彼女が訊ねると同時に黒い渦が現れ、その中から巨大な漆黒の獣が姿を現した。
「大きな声を出すな。私は砂の守護獣ティラ。訳あってお前を助けにきたのだ」
ティラが名乗ると、風の巫女は目を丸くしたまま口をパクパクと動かした。どうやら目の前のまがまがしい獣が聖なる守護獣であると理解できないらしい。
「ほ、本当に? あなたが守護獣?」
「どいつもこいつも失礼な輩ばかりだな」
深い溜息を吐くティラに彼女は俯き気味で「すみません」と謝罪を口にした。
彼女の白いワンピースから見える華奢な肩、ほっそりした身体は気弱な少女という印象を受けたが、すぐに彼女は顔を上げて真っ直ぐにティラを見つめた。強い意志を秘めた眼だった。顔形は決して似ているわけではないが瞳が宿している、僅かでありながらも確かに存在するその光が、砂の巫女スウェロを思い出させる。
「ところで、私を他国の守護獣が助けにくるというのは誰の働きかけですか」
「ラスタ=ウィーブという男だ」
その名を聞くなりテティスは大事なものを撫でるように、彼の名を反芻する。
「西ウェルシュに住むという風の巫女に会うためにこの国を訪問した。閉鎖された西に行くためにラスタ=ウィーブは利用されるだけのはずだったがな、我が同胞と巫女の身が魔族一派に脅かされていると聞いてじっとしている訳にもいくまい」
「そうだったのですか。ラスタはどこに?」
彼女は両拳を胸の前で固く握りしめる。
「神殿の外で待機している。先ほど爆発音がしただろう。あれが作戦開始の合図だ」
「先ほどの爆発? あれをあなた方が」
ティラは何も言わずに燃えるような紫の瞳を扉に向ける。そして15分前に行われたたった3分間の作戦会議の内容を思い出す。
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「俺は仮説を立てた。いいか、落ち着いて聞けよ」
ルージュは今から敵陣に乗り込むことを忘れているように、落ち着いた様子で言った。そもそもこののらりくらり男が喜怒哀楽をはっきりと示すことなどないのかもしれない。ラスタは短い付き合いしかないこの謎の旅人について、そのように評価した。
「まずひとつ。さっきも言ったが、巫女は随分昔から神殿のどこかに幽閉されている。魔族は巫女になりすまして、ラスタに守護獣捜索を命じたんだ。2つ目の仮説だが、まもなく大樹に秘められた魔が孵化する」
「な……!」
ラスタが思わず声を上げると同時に、ルージュが人差し指を口元におき「しーっ」と窘めるように言う。
「これは仮説っていうより確信に近い情報だな。その大樹からプンプン魔族の気配がする。寒気がするくらいのおぞましい力だぜ」
「急に巫女が人質になった茶番を始めたのは、大樹からの闇の孵化が迫ったから、というのか」
ティラが訊ねると同時に、不安を囃すように冷たい風が吹いた。
「そうだ。これが仮説2つ目。理由は分からないが果実からの誕生に守護獣が邪魔になるのか、その力を利用したいのか、いずれにしろ奴らが急いでいるのは間違いない。で、3つ目だが、この神殿を警備している人間の中には操られているだけの可哀想な奴がいるだろう」
「そうなのか?」
「アンタの仲間だろうな。神殿から放たれる魔族の匂いは確かに凄まじいが、匂いの発生源は3つほどだ。あの入り口の奴を入れてな。結界石の範囲内ではよくある話だ。結界石で隔離された空間に微量の魔素を放っておくと自我を失い催眠状態になる。アンタも早くしないとラリっちゃうかもな」
背筋に冷たいものが伝う感覚があり、気持ち悪さを感じる。そんなラスタに邪気のない笑顔を浮かべてルージュは言う。
「ウソウソ。1日とかそこらじゃどうにもならないって。この量なら2週間くらいってとこだろうな」
魔素の影響で凶暴化した人間、動物は世界各地に存在している。ナシュアの話によると隣国レリスですら、その被害があるようだった。通常放たれた魔素は空気中に拡散し影響は少ないが、密閉された空間ならば毒される速度も数10倍に膨れ上がる。
「というわけで、俺も罪のない人間をばっさばっさ殺したくないわけだ。で、アンタの力が必要になる」
「なんだ? オレは何をすればいい?」
急かすように食い気味でラスタは問う。
「アンタの持ってる結界石の対となる石が神殿内にあるはずだ」
「確か、神殿のメインホールに安置されているだが」
「先にティラが天窓の鍵を開けてくれるから、ラスタはそこから侵入して石を破壊してくれ」
ルージュは軽く息を吐き、溌剌とした様子で言った。
「作戦をまとめるぜ。ティラは先に侵入して真っ先に天窓の鍵を開けてくれ。その後急ぎ巫女の救助だ。俺が今から裏口から騒ぎを起こして敵を引きつけておくから、ラスタはその隙に天窓から侵入して石を破壊。侵入のタイミングは爆発音で知らせようか。爆発して5分もしたら手薄になるだろう。魔族を懲らしめて巫女や国を救えるハッピーエンドを期待できるプランだ」
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よくもこうも派手な無茶なプランニングを即席で考えられるものだ、とティラは呆れ、一方で感心していた。
仮説と検証。それを己の命どころか他人の命をかけて遂行することは、ただの愚者なのだろうと思う反面、それ相応の覚悟があるのかもしれないとも思う。妙な男だ。
あの男の考えることを決して肯定するわけではない。自分の想像力を頼りにヒトの命を駒のように扱うなど、この上なく非情な行為だと思う。ただし、どうしようもない状況で何かを成し得るには、根拠という命綱なしで崖から飛び降りるようなことも必要なのかもしれない。
巫女の手足を拘束している縄を爪で器用に切断して、「立てるか」と訊ねる。彼女は幼子のように、目を潤ませたまま小さく頷いた。
「私の背に乗れ」
巫女は素直にティラの背に跨り、ふかふかの黒い毛皮に掴まる。項垂れていた長い尾を立てて、ティラは白い祭壇の部屋を飛び出した。