傾いた天秤
静謐な笑みを浮かべたまま、ルージュは剣を交える男を観察した。見知らぬ土地を訪問したばかりで知人が決して多くないはずでありながら、眼前で焦燥を顔から滲ませている男には見覚えがある。
「ラスタなのか……? 本当に?」
唇を震わせながら背後で呟くラウムの様子でようやく気がつく。わざわざ開店前のサンセットへやってきてクルーゼ襲撃を知らせにきた張本人ではないか、と。
「こ、これはどういうことだ……」
現状が把握できていないラウムのために解説をしてやりたいところだが、そのためにはラスタの刃の矛先を収めさせるべきだ。ルージュは受け止めた剣の切っ先を逸らすと、ラスタの右腕を掴みひょいと捻り上げて凶器を離させた。カシャンというシンプルな音を立てて剣は地面に転がった。
「あんたがリザルト先生に受けた任務についてだが」
ラウムは思わず目を見開いた。何故彼がそれを知っているのだ。
「申し訳ないがあんたには一役買ってもらった」
そう言いながら、ルージュはラウムの方を見て無邪気な笑みを浮かべた。
「あんたは名優のタイプじゃないからな。悪いがあくまで自然な形で誘い込んでほしかった」
「まさか、あの任務は」
「昨夜のうちにリザルト先生にお願いさせてもらった。おたくのラウム君に道案内の任を課してほしいってな」
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「ところで、行きは間抜けな警備兵が研究所への侵入を許したみたいだけど、またこっそり帰るつもり?」
クルーゼは立ち去ろうとするティラの背を眺めながら訊ねる。
「侵入者を見逃した愚かな男達の自尊心を逆撫でしたくないからな」
「だが、こっそり帰るにももう入り口が開くことは朝までないよ。さっきの交代が今夜最後だったし」
クルーゼは肩を竦め微笑を浮かべている。
「何か言いたげだな」
指摘すると彼は更に笑みを大きくし鼻を膨らませた。よくぞ訊ねてくれた、と言いたげだ。
「僕がキミを逃がしてあげよう」
「ほう、それは非常に都合のいい提案だ」
「そんな言葉とは裏腹に僕を疑ってるね。目を見れば分かるよ」
「こういう類の提案には裏があるからな」
訝しむティラの姿に何故かクルーゼは嬉しそうな顔をする。研究者であるが故に、様々な性格を見せる守護獣に興味津々なのだろう。身も心も子供のような奴だとティラは思う。
「安心して。僕はキミにもキミの仲間にも危害を加えるつもりはないから。それに……今僕自身も外に出たいんだよね。口実を探してたんだ」
「なるほど、お前の真意はそれか」
欲望が見えない人間ほど胡散臭い人間はいない。長い年月を生き、人間を見つめてきた彼の出したひとつの見解だった。
今思えば、クルーゼが暗がりの図書館で隠れていたのは奇妙なことだった。寝室は厳重に見張られており、襲撃者から身を守るためには最も適した場所であるはずだ。何故だ?
「実はリザルトのとこに行きたいんだよ」
クルーゼはそう言いながら拳を握り締める。そんな彼の細かい仕草に目を留めることもなく、ティラは冷然と指摘する。
「だったら勝手に堂々と出ていけばいいだろう? ここはお前の城だ」
ティラの言葉に対して、クルーゼは眉をハの字に曲げながら擽ったそうに笑った。どうやら照れているらしい。
「まあね。でも大人げないことに襲われた時にかなり大騒ぎしちゃったんだよ。怪我もないのに『痛い』って騒ぎ立てて。侵入者を許した警備員の罪悪感を煽りたくてさ」
「お前は子供か」
「だよねぇ。否定はしないよ。まぁそれが原因でめちゃくちゃ警備が厳重になっちゃってさ。外出しようとしたら『お怪我に障ります』って嫌味を言われるしさ、もう後に引けなくなっちゃってさっき交代の隙を見て部屋を抜け出したんだよ」
はぁ、と大きな溜息が二重になって秘密の地下室に響きわたる。二匹の守護獣の溜息を耳にしながらも、博士は別段気にする様子もなく頬を掻いているだけだった。
「そんな矢先にまた侵入者だからな。いくらでも警備員を窘めることができるだろ。『やっぱりこんなとこにいられない』ってね」
「なるほど、あえて自尊心を逆撫でしてやりたいという訳だ。性格、最悪だな」
「徹底的にサディストでありたいだけだよ。ここを抜け出したらキミの仲間にスパイの狙いでも僕の人格についても何でも話せばいいさ」
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「その後は堂々と入り口から出て、俺達と落ち合った。そのままの足でクルーゼと一緒にリザルトの元を訪問し、お願いしたんだよ。釣りに協力してくれってね」
言うまでもなく餌は「行方不明の守護獣の居場所」だ。躍起になっている人間を釣り上げることは簡単だった。リザルト副団長の部屋に盗聴機が仕掛けられていたことを簡単にナシュアが見破り、それを逆に利用しスパイの耳に守護獣の存在をちらつかせた。
――例の森の奥地にこの国の守護獣が眠っている。
この国の真実を語ると宣言されて、守護獣の様子を確認してくれと極秘任務を言い渡されたラウム。例の森について詳しい彼を案内人に推薦したのは他でもないリザルトだった。
「まさかこんなに早く釣れるとは思ってなかったけどな。随分せっかちな奴」
そう告げてルージュは身体を小さく震わせるラスタの両手を背後に回させて拘束する。無駄のない動きに、ラウムの口から思わず感嘆の声が漏れた。
「今更否定すんなよ。何故守護獣を探してるんだ」
「……」
「黙秘権の行使は認める、と言いたいところだが、話の中心にこいつがいるとなると俺達も無視できないんだよな」
背後で荘厳な気配を漂わせる守護獣を指さす不届き者に、木陰から「無礼だから指でさすな」と怒声を上げたのはナシュアだった。黙って事の成り行きを見届る傍観者になりきろうと思っていたが、つい口を出してしまう。世話のかかる奴だ、と彼女は滑らかな黒髪をかき分けた。
そんな戯れの矢先、これまで閉口し、物憂げな表情で思案していたラスタがようやく声を発した。
「風の巫女が人質になっている」
ラスタがこめかみから汗を滲ませ絞り出すように思わぬことを告げたので、その場にいたルージュとナシュアの表情は硬直した。
「何があった?」
「おれはその場にいたわけじゃないから詳しくは知らない。西からの報告では巫女の住む社に何者かが集団で乗り込み、立てこもったらしい。彼女を解放するための取り引きの材料は守護獣の居場所だった。巫女達は数年前から東に潜ませていたおれに指示を出した」
巫女と守護獣を乗せた天秤は巫女に傾いたのだろう。ラスタは早口でまくし立てるように語っている。
「おれ達に与えられた猶予は3日間だ。3日以内に守護獣を引き渡せなければ、巫女を殺し闇の大樹の果実を切り落とすと言われた。果実が摘み落とされたら大地に触れた衝撃で邪悪なるモノが孵化するだろう。それだけは避けなければいけない。もう残された時間は1日しかない」
彼の口から飛び出す非常事態の説明に、最も血相を変えたのが守護獣だった。言うまでもない。彼がその身に宿した本当の使命は「風の巫女を守ること」だからだ。
「あんたはそれで守護獣を捜して引き渡すつもりだったのか」
ルージュが問うと、既に脱力したラスタが力なく頷いた。どうやらその目には覇気がなく憔悴しきっている。
「それ以外に手がない。闇の果実が摘まれたら西どころか東も巻き込まれてこの国は滅ぶんだ」
「なるほど。まあ、巫女の危険を知ったら守護獣はたやすくその身を差し出すだろう。あとは居場所さえ分かれば、連れて帰られるってわけか」
「あぁ。この話、信じる信じないはあんたら次第だ」
「信じるかどうかはもう決まっている。それにしても、西には外から入られないはずだ。そいつらはどこから侵入したというんだ」
彼は目を泳がせながら、何度も息を吐き何事かを説明しようと試みていた。それは喘いでいる魚のようでもあったが、言葉を慎重に選んでいるだけのようだ。
「侵入など必要ない。奴らは西の国で生まれ、西の国で暮らす魔族だ」
ラスタの辿々しい言葉にナシュアが顔をしかめる。
「魔族? 魔素に侵された人間か?」
「いや。西の国で人間と共生していた魔族だ」
「魔族と共生? なかなか国家として面白い施策だな」
ナシュアが無表情のまま皮肉をこめて言うが、ルージュにとっては珍しくもないので黙っている。あの広大な国土を持つエルースには魔族の隠れ里がいくつかあるが国家が黙認している。有害な魔族のみが討伐対象となっているだけであり、リュダが住む集落も無害なものと判断され存続を認められていた。
「魔族と言えども彼らの性格は大人しく、これまで争うことなどなかったのに」
大いなる闇の片鱗が動き出している。レリスにて魔素に冒された可哀想な人間が騎士団に紛れていたのも然り、ルージュは世界中で何かが起ころうとしているのを感じていた。
「ところであんた」
ルージュが急に緊張感のない弛緩した口調で訊ねた。
「西に俺達を連れていける?」