おつかいの終わり
「あの爆発事故で300人の尊い命が失われた。国民がシエライトの秘めた絶大な魔力がいかに危険なものであるかを知った瞬間だった」
クルーゼの語りが子守歌であるかのように、守護獣シエラは瞳を閉じてくつろいでいた。既に過ぎ去った思い出話に耳を傾けながら、彼が何を考えているのかは分からない。
「やがて意見は割れた。制御できない力は害である、という者が現れた。一方で今回の事故だけで怯むべきではないという者もいた。彼らは対立し、やがてシエライトの製造所の破壊活動が始まったんだ。シエライトを護る者と駆除するもの。相入れない彼らの戦いは激化した」
「巫女はどちらについたんだ? 私が知る話ではシエライト製造に反対していたというものだったが」
「巫女は駆除側についた。ただし、それは表向きの話だ。実際に製造を指示したのは、彼女自身だからね」
「何故嘘の立場を演じる必要があったのか、私には理解できないな」
ティラは首を竦めた。
「もし彼女がシエライト製造推進派の立場を表明すれば、この国は崩壊したかもしれない。もし国民が指導者の考えに同意できなかったら、民が国を離れるか、指導者を倒すために立ち上がるだろう。彼女にとってそれは大樹の存在を知られるのと同等に避けたいことだった」
シエライトの恩恵を授かった人間と、巫女の慈悲を授かった人間。確かにバランスをとるには、巫女の立ち位置は重要となるだろう。
ティラは自らの主、スウェロを思い出す。天真爛漫で政治に疎い彼女と随分異なるものだ、と苦笑する。そして同時にとても愛おしく思う。スウェロなら自分と違う考えの相手とは徹底的に話し合うだろう。それが無意味なことであろうと。
「巫女は私を東に残し、クルーゼに付き従うように指示した。お前も知っているだろうが、風の巫女は楔を断ち切るため数年前にエルースからやってきた使者に殺された。そのまま新たな巫女が生まれたようだが、私は面識がない」
シエラは白い羽根を繕いながら言った。
「最近では物騒なことになっているようだな。分かたれたはずの東と西を行き来する怪しげな者がいるのだろう?」
ティラはクルーゼに視線をやる。今日襲撃を受けた張本人に本題をぶつけてみる。
「お前はスパイの目的が何だと思っている?」
クルーゼはうっすらと笑みを浮かべたまま、首を横に振る。
「さあ、推測はいくらでもできる。弟のリザルトにも同じ質問を投げかけられたけど、彼と同様に僕は巫女から離れて以来西の動向を知らないしね。ただ侵入者が守護獣を探しているのは間違いないだろう。僕に剣を突きつけて『守護獣をどこに隠した?』って言ってきたくらいだからね。大樹に何かが異変があり守護獣を取り返しにきたのかもしれないし、次の巫女が事情を知らずに守護獣を取り返しにきたのかもしれない。前者だと思うと胃のあたりがぐっと重くなるけれど」
それだけ分かれば充分だ。いずれにしろ西のスパイが求めているのは、シエライトではなく守護獣そのものなのだ。
「こちらから質問させてもらうが」
クルーゼが腕を組みティラを見つめる。その鋭い眼光は確かに子供が放つものではない。
「砂の守護獣が何故ウェルシュに?」
射抜くような視線。あの腑抜けのような男も時折こういう見方をする。
「私は巫女にとって大事な者の守護を命じられ、レリスを離れた。私の目的はそれだけだ」
「ふふっ、そうか。じゃあ質問を変えた方が良さそうだね。あなたの仲間は何故この国に来たの? まさか観光というわけじゃないだろう?」
「そのようなくだらぬ目的ならば私はレリスを離れたりしない。彼らの目的は竜の捜索だ。その情報を求めて巫女の元を巡礼している」
「だから西に行きたい、というわけだ。確かに閉ざされた世界ならば竜がいてもおかしくはないね。あの楽園のように」
クルーゼは不意に微笑んだ。
「シエラ、竜の居場所は相変わらず捕捉できないのか?」
彼は振り返り、背後で静かに佇む巨大な生物に問う。
「あぁ、気配すら感じない。だが奴が姿を眩ませることは初めてのことではない。かくれんぼが好きなふざけた奴だ」
シエラが鼻を鳴らす。柔らかな風がティラの黒い体毛を撫でた。
「竜がいなければ、この世界の闇を封じることはできない。そういう仕組みだということを僕はシエラから聞いている。あなた達が竜を探すという目的の元、つまりは邪な目的ではなく巫女の元を訪問しようとしていること、信じるよ」
クルーゼ博士は再び微笑む。笑うと無邪気な少年にしか見えない。
「だが僕にはあなた達を西に案内することはできない。僕は既に東の人間だし、西の国への道は僕を襲ったスパイしか知らないからね。奴が守護獣を求めているのならば、それを餌に釣り上げられそうだけど」
「無論そのつもりだ」
おつかいは完了した。ティラは即答し、踵を返し退室しようとする。
「大樹の実が成る前に、竜を探してほしい。国をどんなに強化しても生まれくる闇から守りきれる自信はないよ」
去り際にクルーゼが声をかけた。真実を見据えこの国の行く末を案じる男の嘆きの声だ。
「そうだろうな。如何に屈強な集団を作ろうと人間は人間だ」
ティラが口にした言葉は先代の巫女とクルーゼの考えた施策と祈りを踏みにじる内容であったかもしれない。だが彼は何も反論せず、小さく頷くだけだった。
「巫女の剣である君達に言うべきことではないけれど、この国には、いや、この世界には竜の加護が必要だ。僕はそう思っている」
「そう思っているのはお前だけじゃないさ」
ティラはそう言って、旅の同行者達の顔を思い浮かべ、小さく鼻を鳴らした。