襲撃と白い少年
しばらく彼は黙っていたけれど、立ち込める異様な緊迫感に耐え切れずに吹き出し声を上げて笑った。
「確かに甘かったな」
ルージュは固い茶色の髪に指を突っ込んで陽気に笑って見せたが、ナシュアの表情は険しい。笑って誤魔化すつもりは毛頭ないけれど、彼女がエルースの騎士団長の自分を快く解放するとは思えなかった。
「で、お前は何故レリスに来た? まさか団長様が直々に、取るに足らない小国の諜報に来たわけではあるまい」
ルージュは彼女を信頼に足る人間かどうかを見極めようとしていた。こちらからもっと情報を聞き出しておくべきだったな、と彼は反省する。今からそれを見極めるには分が悪すぎるではないか。
「あんたは間違っているよ。俺は既に騎士団を辞めて勝手気ままな冒険者をしてる」
「ほう」
「レリスに来たのは、砂漠の宝石と呼ばれるこの国を見たかったからだ」
ナシュアの視線が痛かった。自分と同様に見極めようとしているのかもしれない。
「砂漠の宝石、か。言い過ぎた表現だな」
「そうかな。俺はそうは思わないけれど」
「だが、そんな言葉一つでお前を信用すると思うか?」
「だよなぁ。信頼を勝ち取れない哀れな男の末路を教えてくれないか?」
テーブルに立てていた蝋燭の灯りが揺らめいて彼女の顔が一瞬陰った。
「捕虜として永久に幽閉ということも有り得る」
「捕虜? エルースと戦争しているわけでもないだろう?」
ナシュアはふうっと息を吐く。呆れているように見えた。
「そう思っているのはエルースだけだろう。レリスのような小国にとって鎖国した大国がどれほどの脅威か、お前には想像できないか?」
「俺はあまり頭がよくないからな」
「そのようだな。見えざる敵が大きければ大きいほど、我々は恐怖する。閉ざされた楽園とはよく言えたものだな」
「この尋問はいつまで続くんだ? あんたも疲れただろ? さっさとお開きにしよう」
彼はそう言った直後に、扉の後ろで金属が擦れるような鈍い音を聞いた。微かな音で常人ならば耳に入りさえしないかもしれないが、幾度となく戦場に出た彼ならば無意識に反応し構えてしまう。なるほど。外には既に解散したはずの騎士達が武装して待機しているらしい。いつナシュアが指示したのかは分からないが、彼女が抜かりない実力者であることは分かった。
さてどうしたものか。彼は冷静に考える。ここから抜け出すことは簡単だが、あまり手荒な真似をして事を荒立てたくないというのが本音だった。
「何を考えている?」
ナシュアが頬杖をつきながら、彼に問う。もしここが酒場だったら、彼はその凛とした美しさに心をときめかせ、口説いていたかもしれないと想像した。
彼は予想する。恐らく、彼女は能力も知性も兼ね備えた女性であり、騎士団のトップに相応しい。だが、おそらく頭は固い。ここで彼女に全てを伝えて協力を求めることは賢明ではないだろう。彼はそう結論を出した末に立ち上がる。
「お客様がいるんじゃないか?」
そう言って、ルージュは木製の粗末な扉を指差す。2人はお互い笑みを浮かべ、無言のまま向き合った。各々が事態を把握していて、どちらが先に動くか、という状況であることは両者共に理解していた。
ナシュアが何か指示したわけではないが、バタンという豪快な音と共に、四人ほどの騎士達が雪崩れ込んできた。全員がルージュに剣先を向けている。
「随分、レリスの騎士達は凶暴なんだな」
物怖じする必要はないと彼は感じていた。レリスの騎士を過小評価しているつもりはないが、彼は自分が一兵卒に負けることはないと確信を抱いていた。どうやら、ここを抜け出すには強行突破しかなさそうだなと諦観する。
「生憎、そのように鍛えてある」
「さすが。砂漠の過酷な環境でも生き抜く屈強の騎士団というわけだ」
「余裕ぶっているようだが、どう抜け出すつもりだ」
彼女もまた彼を試していた。ここで彼がどう行動するかが重要だと、冷静に観察していた。彼が背中に背負う大剣で1人でも殺せば、見限ろうと決めていた。
ルージュはうっすらと笑みを浮かべたまま、騎士達を眺めていた。彼らは今、微動だにしないが、恐らく間もなくその剣先を自らに突き立てようと一斉に動き出すのだろうなと想像した。
その時、ルージュは突然「ん?」と気の抜けた声をあげた。
「なんだよ、団長。あんたも『うっかりさん』か?」
油断を誘うつもりかと彼女は訝るが、それにしてはあまりにお粗末だと思った。
「何を言っている?」
彼は表情を固くして、深緑色の瞳を目の前に立っている図体の大きな男に向けた。
「人間じゃないやつが混じってるぞ」
ルージュがそう言うと、一時の沈黙が訪れた。そして密室にも関わらずどこからともなく風が吹き、部屋を照らしていた卓上の蝋燭の灯がヒュッと消えた。部屋は闇に包まれた。
やがて騎士の1人が咆哮した。耳を劈く仰々しい雄叫びが響き渡り、その後すぐに肉が避ける音がした。
ナシュアは闇の中で頬に生温かいヌルリとしたものが付着したのが分かった。ナシュアの横に立っていた優男が持っていた明かりを急いで灯した。
部屋に光が甦る。素っ気無い石の壁が紫色のペンキのようなもので乱暴に塗られており、部屋の真ん中に黒い肉塊が蹲るようにして倒れていた。そこに倒れてるものは、人間の姿をしていなかった。黒豹のような頭をした半獣だった。それは低い唸り声を漏らしながら、意識を失っているようだった。
「ま……魔族がこんなところに」
傍らにいた優男が震える声で言った。そこにいた人間は硬直したまま動けずにいる。ナシュアは我に返り、状況を把握しようと努めた。巨大な大剣を握り締め、悶える半獣を見下ろし佇むルージュの姿がそこにあった。
======================
「おい。どうした?」
フェリンは先ほど市場で買った林檎を頬張りながら、街を囲う塀に凭れかかるようにして眠る少年に声をかけた。銀色のしなやかな髪と白い肌をもつ少年だった。
「こんなとこで寝るな。ブラックマーケットで売り飛ばされるぞ」
柄にもなくお人好しで優しい自分に、違和感を覚えながら彼は少年を揺さぶった。少年はううっと小さく呻き声を上げてゆっくりと目を開けた。深緑の澄んだ瞳だった。
「お前、なんでこんなとこにいる? 親はどうした?」
フェリンは膝を地面に付けて、彼に視線を合わせて訊ねた。丸い瞳は焦点が合っているようには思えなかった。少年がゆっくりと首を横に振ったので、彼は孤児なのだと判断した。
「そうか。困ったな。残念だけど俺は冒険者でね。家もなければ金もないんだ。お前の世話をする余裕はないんだ」
彼はそう言って、自分が齧った後の林檎を差し出した。
「これでも食えよ。食い刺しだけど」
少年はぽかっと口を開けたまま林檎を両手で受け取った。
「ありがとう」
表情を動かすことなく、少年は口からこぼすように言葉を発した。瞳と同様、澄んだ声をしている。
「おじさん」
フェリンは25歳の自分が「おじさん」と表現されたことに少し憤りを感じたが、すぐに苛立ちを抑えることが出来た。この少年からすれば、確かにおじさんと呼ばれてもおかしくない歳かもしれない。
「おれの名前はリュダ。おれの親を一緒に探してくれない?」
少年はそう言った。孤児ではないのか、と彼は自分の早とちりに苦笑いを浮かべたが、冷静になる前に気がつくと「いいぜ」と気前のいい返事をしていた。