声
荒廃した大地を吹き抜け、風が運んできたのは灰の塊と生き物が焦げた臭いだった。彼は曇天の下、燃えカスと化した廃墟を見つめていた。深緑の瞳に黒い景色を映し、力なく瓦礫に凭れている。
彼の肩から滴る血液が大地を赤く染めていた。その鮮明な色だけがこの死の世界の命の色だった。一定リズムで滴下される雫は彼に眠気をもたらした。このまま意識を失って永久の眠りにつきたい、と彼は願っていた。彼はこの世の全てから逃げ出したいと願っていた。
頭の中にこびり付いた凄惨な光景が無情にエンドレスリピートされる。彼の罪が具現化し、彼ににじり寄ってきては、耳元で生温い息を吹きかけながら小さく囁く。
この非道で冷酷な惨事はお前が引き起こしたことなのだ、と。
お前が制御できなかった闇の力が、この死の世界の産み出したのだよ、と。
この光景を直視すると、生々しい阿鼻叫喚が聞こえるようだった。瞳を閉じる。世界から己を隔離したかった。この悲劇がまさに文字通り悲しいフィクションに過ぎないならば、彼は自らその幕を閉じ隔絶された無の世界に閉じこもりたいと心から思った。
――おい。
突然、何処からともなく声が聞こえてきた。その声は不思議な深い響きがあった。彼は力なく周囲を見回してみたが、声の主の姿は確認できない。
――無視するなよ。俺がわざわざ話しかけてやったんだから。
声の主は挙動不審な彼を見て嘲り笑っているようだった。
――分かってるか。これは夢だよ。
旅の途中でこれまでに何度も夢を見てきた。あの虹の見える美しい丘でセラと、あるいは王と語らった夢を。限りなく記憶に忠実な夢であることは間違いないが、あの時とは決定的な何かが違う。
――訝るなよ。俺がこんな貧相な夢を見せているわけでもないのに。言っておくが、お前自身がこの夢を好んで選択しているんだからな。
誰が望んでこんな夢を、と彼はしわしわと笑みを浮かべる。
――お前は死から遠ざかれないのさ。結局自らを死地に投じたい衝動に駆られて、近いうちに死ぬだろう。
随分言ってくれるな、と腹を立てながらも彼は否定しなかった。代わりに彼は乾いた口を開き、物騒なことを言うなよ、と掠れた声で咎めた。彼の絞り出すような声がおかしかったのか、声の主は小さく声を上げて笑った。
――お前に死なれたら困るんだよ。そうじゃなければ、こんな場所にわざわざ登場しないさ。
そうだよな。そんな奴がいたら、相当な物好きだし、悪趣味だ。
――お節介という表現が正しいだろうよ。
分かってるなら出てくるなよ。
声の主は彼の発言にその通りだ、とあっさりと同意した。
――それにしても懐かしいな。
懐かしい?
――覚えていないのか? ここはお前と俺が初めて出会った場所だ。
こんな所で出会う奴なんて、ろくでもない奴だ。彼は吐き捨てるように言う。
――それでもお前がこの夢を呼び出したのは、あの日に再び戻り、俺に会い思い出すべきだと自覚しているからだ。
思い出す? 何を言っているんだ。
――お前が抱える罪の意識が、真実と全てを変えられる力を封縛している。妨げているのはそれだけではないようだが。
最初から訊ねたかったことを口にしようと、彼は顔を上げて目を開けてみる。
「あんた、誰なんだ」
訊ねると同時に彼は息を呑んだ。
直視したものは混沌の世界から滲みだしたような底知れぬ闇だった。
声はケタケタと笑う。それは鳥の求愛にも、虫の羽音にも聞こえた。
――そう急くな。俺はここにいる。逃げも隠れもしない。お前が真に望んだ時、姿を現すだろうよ。
俺は今、あんたの正体を知りたいと望んでいる。
――それでもお前は俺を見ることができない。それはつまり、お前がまだ俺を拒絶しているということだ。
声は少し落胆の色を呈した溜息を吐いた。
――いいか。俺はここでお前とある約束を交わした。お前はまず俺とした約束を思い出せ。お前が血にまみれながら望んだ願いは何だ。
彼の体内で何かが蠢き、血脈が躍動する。全身を覆う血管は彼を縛り付ける鎖のようだと彼は思う。罪を購い生きろ、と彼を厳格に何度も戒める。
――おっと、あんたの可愛い子供のお目覚めだ。
現実と夢が交わる虚ろな世界を彼は漂っていたため、子供と表現されたのが誰なのか分からなかった。あんぐりと口を開けたまま首を捻っていると、両頬をバチンと叩かれた。
「起きて!」