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RONDO  作者: maric bee
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怨み、幸せを願うこと

傍らで飛び跳ねているのが巫女だと知る者は何人いるのだろう。がむしゃらに変調したリズムに合わせて踊りながら、リュダはそう思った。

巫女は時折赤い仮面を外し、汗を拭った。その度いつもの憎たらしい笑みを一蹴し、眩しい笑顔を浮かべていた。リュダと目が合うと「楽しいね」と愉快そうな声が聞こえてくるようだった。

踊り子を名乗った彼女は、それが虚偽であったにも関わらず、身軽なステップを踏み可憐な舞いを披露していた。圧倒的な存在感を放っているのは間違いないが、周囲の人間は誰も彼女の存在に気付かないように見えた。まるで吹き抜ける風のように彼女は世界の一部になっているのだとリュダは思った。


「似てないな」


この世界に点在する5人の巫女。彼はスウェロ以外に、巫女を1人だけ知っている。エルースに遺してきた闇の巫女だ。星空のような漆黒の丸い瞳が印象的だった。


――ルージュを憎まないであげてね。


涙が枯れたような憂いを秘めた目でリュダを見つめて彼女はしばしばそう言った。出会った当初は来たる悲劇の運命に怯えているように見えたけれど、やがて彼女の焦点は小さな己の未来ではなく常に世界へ向いていることに気付いた。闇の巫女は強い意思を秘めた少女だった。


彼が過去に思いを馳せていると、突如狭かったはずの視界が開かれた。顔面を覆っていた仮面が引き剥がされ、鼻が触れそうなほど近くにスウェロの顔があった。


「ぼーっとして、どうしたの?」


リュダは驚き、仰け反る。ふいに白い肌が淡いピンク色に染まった。


「な、何だよお前」

「何ってこっちが訊いてるんじゃない。突然動きを止めて茫然とするから、壊れちゃったのかと思ったじゃん」


仮面を外した巫女はただの無垢な少女にしか見えなかった。初めて衝立越しに語った少女はあまりに荘厳な空気を放ち、巫女の名にふさわしい者に思えたのに。


「お前こそ無心で踊っていて壊れたみたいだ」

「否定はしないよ。レリスの夜は壊れてナンボ、だもん」


当たり前のことを言っていると云わんばかりにスウェロは胸を張ったが、少し照れていたのかはにかんでいるようにも見えた。

レリスの夜の舞踏は巫女のための儀式だ。巫女が闇に囚われぬように、祈りを込め、人々は毎晩踊り続ける。そのひたむきな姿は罪を負った人間達が許しを乞うようでもある。

命を削り闇に楔を打つ巫女達に、希望を押し付けた哀れな人々。あの「闇」さえなければ全ての人間が許しを乞う必要もなくなるのに。この爛漫な少女が世界のために犠牲になることも、彼がその身の内に闇を招く必要もなくなるのに。何度もその悲しい希望を抱き、リュダはかき消し続けてきた。


「ねぇ、見てよ」


眉を大げさに潜めて指を差した先には、祭りを傍観しながら語らうナシュアとルージュの姿があった。


「何かいい感じだね」


冷やかすような色があるものの、スウェロはどこか嬉しそうに見えた。


「いい感じ?」

「そうそう。恋人同士みたいじゃん」


そうだろうか。リュダは首を捻った。ルージュは美しい石膏の像に話しかける可哀想な男にしか見えない、と苦笑した。

しかしふとした瞬間、石膏の女神が命を吹き込まれたように、頬を緩めて笑みを浮かべたことに驚いた。ルージュが奇怪な魔法を使ったのではないかと疑いつつも、彼が持つ力はそういう類のものではないと思い直す。人を慰め、喜ばせる力ならばどれほど素敵だろうとリュダは思う。


「行ってみようよ」


白い八重歯をニッと出して、いたずらを企む少女のようにスウェロは笑った。そしてだらりと垂れたリュダの腕を掴み、引っ張り歩きだした。

ナシュアが笑みを浮かべてからは向かう先にいる2人が愛し合う恋人のように見えたことにリュダは戸惑っていた。それなりには聡明に見える青年と天から舞い降りたかと疑うような美女が、肩を並べて愛を囁いているように見えた。

足を動かしながら、リュダの心はかき乱されていた。あそこで物思いに耽りながらナシュアと語っているあの男には深く感謝している。地獄へと突き落とされた少年をすくい上げ、救済したのはあの男であることは重々承知している。しかしあの男がリュダを、つまりは王の器を迎えに来なければ、用意されていた「当たり前の幸せ」を失うことはなかったのではないか。リュダは時の流れと共にこの私怨が風化していくだろうと高を括っていたけれど、見ないようにすればするほどその思いは膨張するのを感じていた。憎悪は王を黒く染め上げてしまう。歴代の王達が底知れぬ闇を受け入れ、呑み込まれたように。理解しながらも、頭では制御できない部分で感情が蠢くのを感じずにはいられなかった。


気がつくと足が止まっていた。大地に根を下ろしたように頑なに動かないリュダの細い足は自らのものとは思えなかった。冷えた汗がこめかみからじっとりと滲み出し、急激に口の中の渇きを感じる。


「……ダ?」


激しく身体を揺さぶられ我に返る。目の前にある景色は相変わらず狂った獣じみた汗臭い大人達で満たされている。


「リュダ? 大丈夫?」


眉間に皺を寄せるスウェロには訝る色はなく、純粋に心配しているように見えた。乾いた声で「大丈夫」と言うと、少し困ったような表情を浮かべた末に彼女は笑った。憎らしい笑みの代わりに、慈愛の光を纏った聖母のような温かい微笑みがそこにある。


「何でもない」


馬鹿でもそれが強がりであることに気付くだろうと彼自身思っていた。しかし意外なことに、巫女はリュダの掠れた弱々しい声を指摘することなく、そのまま手を引き続けた。金縛りのように動かなかった彼の足が、ようやく自由を取り戻したようだった。相変わらず重い足取りのリュダに相反して、目を輝かせて一直線に足を動かすスウェロがとても眩しかった。


「邪魔したいのか、盛り上げたいのかどっちなんだ?」

「勿論、後者だよ」


当たり前のことを言わせるなと云わんばかりにあっさりした口調だった。


「あの2人がくっつけば面白いでしょ。私が知ってる限り、ナシュアとつりあう男は今まで現れたことがないからさ」

「まぁ、おっかないもんなぁ」

「そうそう。剛腕で厳格で聡明な女は大変なんだよ。あんなに美人なのに損だよね。無意識に片っ端から男の自尊心を傷つけちゃうんだもん」


確かにナシュアは普通の女性にはない知謀と武勇を持っている。そして「武」という点においてはルージュは彼女に勝るものを秘めているだろう。


「ナシュアには幸せになってほしいな」


スウェロが口からこぼした言葉にリュダははっとし、同時に愕然とする。彼女が口にしたものは何気ない言葉だった。大切な人の幸せを願うという誰もが当たり前に行うことを、彼が素直に実行できないことに苛立ちさえ感じてしまう。


清き王であれ。


そう思えば思うほど、その道は暗く閉ざされてしまうような気がした。いつでも闇はひたひたと足音を立てて、己の身に迫っている。隙を見せれば、欠片ほどの恨みが身体を滅ぼしてしまう。


「お前は」


リュダは足を止めた。従順に足を動かし続けていた彼が、突然それに抗ったことでスウェロは仰け反った。切迫した声色で、目で訴えるその少年の姿にスウェロは目を丸くした。


「憎まないのか? 全てを押し付けて幸せを望むこの国の民を」


「変なことを聞くな」と嘲られてもおかしくないとリュダは思ったけれど、訊かずにはいられなかった。彼には救済ひかりが必要だった。巫女は口を瞑り、じっと迷子になった少年を見据える。


「怨むのはもうやめたの」

「やめた?」

「悲しい運命は泣き叫んでも、怒り狂っても避けることはできない。クーデターで失った大切な人も、用意されていた幸せも全て戻っては来ない」

「甘んじて許すってことか? 自分の運命も。この国の民も。許せるのか?」


彼女は眉を曲げて、ふんわりと笑う。どこか泣きそうにも見える。


「許さないよ。ナシュアが」


凛とした声でスウェロは告げた。その確信に満ちた声は神の啓示を聞いたような気分にさせる。


「誰もが幸せになりたいと願う権利をもっているのに、ナシュアはそんな思いを放り出して世界を怨んでいる。巫女が失われる不条理な世界を怨んでいる。私のことなんて放っておいたらいいのに、ナシュアは自分という人間を犠牲にして、私を救おうとしている。だから私は代わりに、ナシュアの幸せを願うことにしたんだ」


その身を世界のために投げ出す運命にある巫女が、この上なく羨ましく思えたのは初めてのことだった。自分の身の内に巣食う怒りを、代わりに吐き出してくれる人間がいればいいのに。

そんな思いを汲んだのか、スウェロは「あんたにもいるでしょ、代わりに怒ってくれる人」と前方を指差した。


「冷やかしてやりなよ。たぶん喜ぶよ」


先ほどの真剣な表情はどこにもなかった。白い歯をニッと見せてスウェロは笑った。



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