闘いのあとに
端麗な横顔がオレンジ色に染まっていた。轟々と音を立てて燃える炎とその周りで狂乱の舞を踊る人々を眺めるナシュアは今までに以上に美しかった。少なくとも傍らで彼女を見つめるルージュはそう思った。
リズムを刻む太鼓の音は大気を震わせ、ルージュの心臓まで振動が伝わってきた。胸の鼓動と混ざり合い、既にそれが大気を通して伝わるリズムなのか、彼には判断できそうにない。
「確かにすごいな」
踊る人々の顔には見たことのない幾何学模様の仮面が被さっている。仮面だとは認識しながらも、顔面にへばりついたそれのせいで苦痛に悶える野獣そのものに見えた。息を呑むほどの迫力だった。
「これが日常なのか?」
「儀式のようなものだ。伝説の少女に、つまりは巫女に捧げる祈りだ。毎夜、民は踊り祈る」
「おまじないみたいなものか」
いい歳したルージュが「おまじない」という単語を真顔で口にしたのがおかしかったのか、ナシュアはうっすらと笑みを浮かべて「そうだな」と同意した。女神の氷像が熱を帯び、溶け始めたように見えた。
「私は幼い頃この国に伝わる踊りが好きだった。スウェロもそうだ」
彼女の目の先には仮面を付けてはしゃいでいる巫女スウェロとリュダの姿があった。民に紛れ馬鹿騒ぎをしている様子からは、何の憂いも哀しみも感じさせない。子供達がじゃれ合う平凡な景色がそこにある。
「スウェロが巫女として覚醒した時、世界の色は失われ、モノクロになった。大好きだった踊りも祈りも、全てが歪んで見えた」
ルージュは無意識に頷き同調していた。その様子をぼんやりと眺めるナシュアの視線に気付き、彼は「分かるよ」とその意を口にした。
「知っている感覚だ」
悲劇とは無縁に生きてきたような男がふいに見せた横顔にナシュアは戸惑っていた。軽々しく同意しようものなら怒りが湧いてくるだろうが、その言葉の裏に潜む重みを感じずにはいられず、彼女はただ困惑するしかなかった。
「私はお前が分からないよ」
ナシュアの戸惑いに気付かないルージュは意味が分からずに首を傾げた。
「俺ほど分かりやすい人間はいないと思うけどな」
「そうだろうか。私はお前ほど分からない人間に会ったことがない。私は感情に乏しいという自覚があるが、お前には感情そのものが欠落しているように見える」
「酷い評価だな。俺だっておかしいことには笑うし、悔しいときは舌打ちだってするさ」
そう言いながら、ルージュは眉を曲げて笑う。よく分からない男だ。ナシュアもつられて頬を緩めた。
「お前にもいろいろ事情があるようだな」
「事情がなければ、箱庭を飛び出して砂漠の中で遭難するような無謀な冒険なんてしないさ」
肩を竦めてルージュが笑うと、ナシュアは吹き出し「違いないな」と同意した。弾けるような声が聞こえたため、2人は揃ってそちらへ首を向けた。
「何ロマンティックに語り合っちゃってんだよ」
「ほんとほんと。やだよねぇ」
赤い獅子のような仮面を付けた2人の小柄な少年少女が囃すような様子で近づいてきた。
「何だよお前ら。ガキ共は踊ってろよ」
ルージュが手を振り追い払うような仕草をすると、仮面を外し眉をつり上げながらリュダが抗議する。
「この女はともかくおれをガキ扱いするな」
リュダの指先には仮面を付けたままのスウェロがいた。
「あんたってホント、ガキだよね。そうやってムキになるの、やめた方がいいよ」
彼女は落ち着いた様子でリュダを窘めた。それが逆に鼻についたのか、リュダは目を細めてスウェロを睨んだ。そういう奇妙なプライドもガキっぽいんだよ、とルージュは指摘してやりたくなる。
「ねぇ。ユウィの実のジュース買いに行こうよ」
「ユウィ?」
「レリスのオアシスに生えた木の果実だよ。私、好きなんだ。付き合ってよ」
むくれたリュダなどお構いなしに、スウェロはリュダの腕を掴み、まっすぐに歩きだした。引っ張る力が強いのか、リュダはよろめきながら、引きずられるように市街地へと歩きだした。
2人の少年少女の狭い背中を眺めながら、ルージュは思わず微笑んでしまう。ちらりと横を見ると、ナシュアも消えそうな微笑を浮かべていた。てっきりナシュアは顔の筋肉が硬直してしまっていると思っていたが、その優しい笑みはあまりに意外で、思わず呆気にとられていた。
「何だ?」
先ほどの柔らかい笑みが幻だったかと思うほど、ナシュアは既に美しい仏頂面でルージュを見ていた。この美麗な容姿に微笑みまでプラスされたら無敵だな、と彼は思った。
「いや、そういえば聞いておきたかったんだ」
話をはぐらかされたことにナシュアが怒り出すことはなかった。
「何故あの時、俺達を信用してくれたんだ?」
あの時、というのは街の外れの古城にシスとラザアが襲撃してきた時のことだ。エルースからの刺客から2人を救ったのは紛れもなくナシュアだ。
「あの構図だと確かにお前はおたずね者にしか見えなかったからな」
「そうだろ? まぁエルースを牛耳っている奴からすれば、俺は完全におたずね者だけど。あんたは出会った時から慎重で聡明だ。あんたにしてはリスクの高い選択だったように思えてさ」
「私を人を正確に裁く機械のように思っているのか? 私も人間だ。直感で判断し、感じたままに動くこともある。あいつらは見るからに邪悪だったし、お前はあまりに無邪気すぎた。だからお前を助けただけだ」
「ナシュアには助けられてばかりだな」
ルージュが頬を掻きながら言うと、ナシュアが怪訝な表情をしながらのぞき込むようにして問う。
「私は命を危険に曝してまでその身に秘めた力を隠す理由が分からないな」
彼女には既にお見通しなのかもしれない。ルージュの内に秘めた邪悪で絶大な力の存在も、リュダが本当は魔族であるということも。
敢えて何も口にしなかった。凛とした屈強な美女に過去の罪を全てをさらけ出し、懺悔するようなことはしたくなかった。
「まぁいい。明日出立だな。竜を探す旅か。当てのない旅だな」
「あぁ。本当にナシュアとスウェロには感謝してるよ」
ルージュがそう言うと同時に、音楽が更に激しさを増した。這うような太鼓の低い音と金切り声のような鐘の高い音が混ざり合い、否が応でも神経が高ぶる。
「――……」
「え?」
ナシュアが何かを言ったが、音楽にかき消され聞こえなかった。
「何?」
声を張り上げて再度問うが、彼女は笑みを浮かべたまま口を開くことはなかった。よく分からないままにルージュは首を傾げる。その様子を見て、ナシュアは更に笑みを大きくした。