残虐な饗宴
艶やかな黒髪を揺らしながら、彼女はこちらへ近付いてくる。相変わらず変化のない美貌を携え、腰に身に付けた剣を抜きながら「ルージュ」と名前を呼んだ。ルージュは彼女の声に気付いたものの、夥しい攻撃の手から身を守るのに必死だったため返事はしなかった。
「ナシュア!」
彼女の名を呼んだのはリュダだった。ナシュアは衰弱した小犬のように駆け寄ってきたリュダに視線をやり、やがてその背後で不敵な笑みを浮かべたまま立つティラを見た。
「スウェロ……?」
表情に乏しいナシュアの顔が見る見るうちに強ばっていく。ただでさえ大きな瞳が更に大きく見開かれている。
「お前達、まさかスウェロに何かしたのか?」
「すうぇろ?」
とぼけるリュダに苛立ちナシュアは拳を振り上げるところだったが、唸るようにティラは小さく笑った。
「相変わらずだな。ナシュア」
少女の声とは到底思えないおぞましい声がした。大地を這うようなその声に、ナシュアはその状況を察し、うっすらと笑みすら浮かべた。
「なるほど。貴方だったのか、守護獣ティラよ」
鼻をふんと鳴らしながら燃えるような瞳でティラはナシュアの全身を眺めた。
「あの連中とは違って察しがいいな」
「顔見知りとなれば、当然だろう。それにしても、どういう状況だ。これは」
ティラが口を開く前に、リュダが忙しなく回答する。
「今戦ってるのはエルースの第一騎士団の奴らだよ」
「第一騎士団? 何故彼らとルージュが戦う必要があるのだ?」
説明が上手くできそうに無いことを、リュダは心から悔やんだ。彼自身全てを把握しているわけでもなかったし、どこからどこまで話すべきなのか、幼い彼には判断が出来そうに無かった。
「あいつらは敵なんだよ。あいつらは邪悪だ」
とりあえずリュダはそう連呼した。
「なんだそれは。私はレリスの騎士団団長という立場なのだぞ。闇雲にエルースの第一騎士団と臨戦して国際関係を拗らせるわけにはいかないのだ」
「そんな悠長なこと言ってないで、助けてあげてよ! あいつら、強いんだって!」
もはや悲鳴のようだった。彼女の紺色のマントを掴んで引っ張る姿は、ただの幼子にしか見えない。
「頼むよ」
消えそうな声でそう呟くリュダを見下ろしながら、ナシュアは黙って見守るしか出来ずにいた。彼女の中で、ヒトを守る正義と国を守る正義が拮抗し渦巻いている。
「ナシュア」
葛藤すら顔に出していない彼女に、声をかけたのはティラだった。
「私はあの男に協力する気はさらさらない。私は巫女を守るために存在し、彼女に害あると認めたものしか攻撃する気はないし、そもそもできないのだ。だが、言うまでもないがあの男はこのままじゃ死ぬぞ」
「死……」
ナシュアは指で辿るようにして、呟く。口にするだけで、現実味のない冷ややかなものが身体に触れるような気がした。
「あやつが死ねば、次は王の器を殺す。先ほどそう言っていた。それは私にとってはどうでもいいことだが、世界にとっては厄介な問題になるのではないか」
ナシュアはしばらく硬直したまま、血を流しながら必死で猛攻に抗うルージュを見つめていた。まるで氷像に成り果てたのではないかと思うほどに、彼女は微動だにしない。リュダが不安になり、ナシュアの顔を見上げると同時に、彼女はふっと息を吐いた。凍りついた極寒の湖に春が到来したような温かさがあった。
「なるほど。それはいい口実だ」
彼女はそう言って剣を構え、戦う3人の元へ駆け出していく。その研ぎ澄まされた刃は今飛び掛らんとするラザアの剣を受け止める。
「あれ? 誰、あんた」
ラザアは顔を歪める。
「お呼びじゃないんですけど!」
ラザアが弾き飛ばさんとナシュアに蹴りをいれようとするが、ナシュアはそれを素早く避けて、その弾みで剣を付き返した。
「ナシュア、助かるよ」
目に見えてほっとした様子のルージュの顔を見て、ナシュアは胸を撫で下ろす。結果的に面倒なことになろうとも、彼女はその間違いを後悔することはないだろうと思った。
「お客様が増えたみたいね。ラザア、さっさとその女始末してしまいなさい」
シスが命令すると、ラザアは「分かってるよ」と言いながら、再度ナシュアに飛び掛っていった。
「勝手にレリスに来て、騒動を起こすのはやめてほしいものだな」
ナシュアが剣を受け止めながらそう呟き、それに対してラザアは「あの男はそういうやつなのよ」と艶っぽい声を出した。子供の容姿に相応しくない声だった。
「あの男もそうだが、お前たちもだよ。さっさと帰れ」
ラザアの攻撃はナシュアに悉く受け止められていた。子供の稽古をつけている親のように。傍から見ていても、ナシュアが剣術の上で上回っていることは明らかだった。
ラザアは攻撃が全く通用しないことに苛立ちを隠せずにいた。
「なめやがって! もう我慢できない!」
ラザアの口調が豹変したと思った直後、彼女は咆哮を上げた。ラザアのその声に誰よりも反応したのは、シスだった。「ラザア!」と抑止するような声で彼女の名を呼んだが、ラザアから放たれたのは、シスの声をかき消すような轟音だった。その禍々しい声は空間に存在する大気を震わせた。実際に振動により、遠くの方で何かが倒壊するような音も聞こえた。
ナシュアは眼前にいる者が先ほどの少女ということを理解できなかった。
彼女の身体からは巨大な黒い羽根が、頭からは水牛のような図太い角が生えていた。瞳は深緑色に輝いていて、口には獅子のような強靭な牙が生えている。
「魔族、だったのか」
ナシュアが呟くと、ラザアは醜い顔を更に醜く歪めた。
「魔族? そんな醜い名で呼ぶな。私は魔素を取り込んだ者。あんな魔素に支配された怪物と一緒にされたくはない」
「魔素を取り込む?」
シスと剣を交えながらナシュアの名を呼ぶルージュの声が聞こえた。「そいつはやばい」という言葉と重なるように、ラザアは口をぱっくり開けて呻くように笑った。
「何も知らない可哀想な外界の者。あんたにこの力の素晴らしさを見せてあげるよ」
ナシュアが見据えていたはずのラザアの姿は、瞬きした刹那に消えていた。そして次に捉えた時には、彼女を貫かんと鋭利な爪を腹に差し込もうとしていた。
「ほう、避けたか。ただの人間のくせに」
彼女は優位に立つことに酔っているようだった。
「だが、これはどうだ」
ラザアはたっぷりと息を吸い込み、口から赤い炎を吐き出した。反射的に紺色のマントで身を守るが一瞬で焼け落ちてしまったことにナシュアは顔を顰めた。
「ククク、いいね。その顔。あんた、全然驚いてくれないからさ、その綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしたくなるんだよね。もっと掻き乱させてよ。あんたの顔も、心も、身体もさ」
キャハハと高い笑い声がこだまする。ナシュアには耳障りだった。彼女は剣先をラザアに向けて突進するが、身軽にラザアが回避し、逆に左肩を爪で引き裂いた。
「あれ、顔を狙ったのになぁ。おかしいなぁ。大丈夫だよ、次は顔を引き裂いてあげる。一生残る傷だよ。あ、でもここであんたは死ぬからどうでもいいか。堪らないよ。久しぶりに手応えのある相手なんだ。あれは確か、3年前のことだったなぁ」
意味ありげにそう語るラザアの口調は、ナシュアではない誰かに向けられているようだった。
「王の器を迎えに行ったあの時のこと。忘れられないわぁ。その一族はさ、凄い剣幕で器を守ろうとするの。愚かなただの魔族のクセに。全部燃やしてやったわ。灰も残らなかった。汚らわしい魔族だもの。死んで当然だよねぇ」
リュダは拳を握り締めて、憎悪を抑えることに集中していた。気が付くと涙が零れていたけれど、それを拭うことすらできない。手を動かせば、その手がラザアの喉元を貫いてしまう気がした。
ナシュアは左肩の傷を押さえながら、頬を緩めた。
「随分回る口だな」
「は?」
「そのお前の口を引き裂いてやるよ」
不敵に笑うナシュアはやはり美しかった。優越感に酔い痴れていたラザアでさえも、背筋がゾクっとするほどに。
「煩いのは嫌いだ」
ナシュアがそう言うと逆上した様子で「黙れ、人間ごときが!」と罵倒しながら今度はラザアが攻撃を仕掛けた。炎を纏った拳がナシュアの顔を目掛けてダイブする。
傍から見ていたリュダは一瞬目を背けそうになった。その拳がナシュアに到達し、顔の皮膚をを燃やすのが見えたからだ。
「悪いが、こんな硬直した顔でも気に入っているんでね」
落ち着き払った声がした。届いていたはずのナシュアの身体は何故かラザアの背後にあった。ナシュアは後ろから抱きかかえるようにしてラザアにしがみ付いている。ラザアの眼前には地面と平行になったナシュアの剣があった。
「お前の手で汚されたくない」
彼女はそう言うと同時に、刃を顔に押し付けて引いた。ヴァイオリンを掻き鳴らすように。ラザアの顔が裂け、紫色の血液がぱっと飛び散った。
最後、えぐいです。
すみません。昼ごはん前に書くべきじゃなかったです(汗)